2009年1月アーカイブ

 前回の小欄で、「てぃんさぐぬ花」(沖縄民謡)を「内観の歌」として共通語訳を付けて3番まで紹介した。すると、小欄の愛読者を自称する方から率直なご意見が寄せられた。
 「この歌を内観の歌だというのであれば、4番以降にこそ内観らしい歌意が込められているのではないでしょうか?それを割愛してしまうのはいかがなものでしょうか?」と言葉こそ穏やかであったが、「4番以降もちゃんと紹介しなさいよ」との趣意が込められていた。筆者にはそれに反論できる知恵もなければ勇気もない。ご意見に従うことにした。

【歌詞】

 4,宝玉やてぃん/ 磨かにば錆びす/ 朝夕肝磨ち/ 浮世(うちゆ)渡ら
 5,誠(まくとぅ)する人(ひとぅ)や/ 後(あとぅ)や何時(いち)までぃん/
   思事(うむくとぅ)ん叶てぃ/ 千代(ちゆ)ぬ栄い
 6,言(い)ち足らん事(くとう)や/ 一人たれいだれい
   互(たげ)に補(うじ)なてぃる/ 年(とうし)や老(ゆ)ゆる
 7,誰(たる)が上(いい)になてぃん/ し情(なさき)どぅ頼(たぬ)む
   なさきねん浮世(うきゆ)/ 渡い苦(ぐり)さ

【意訳】

 4,宝石は、磨かずに放っておくと錆びてしまう。
   われわれ人間もまた錆びてしまわないために、
   日々心を磨いてこの世を生きていこうよ。
 5,誠実さほど尊いものはない。
   たとえ今は貧しくとも、いつか願いも叶って、
   後の世までも幸せに暮らせるだろうよ。
 6,人間に不足は付き物だ。
   足りないところはお互いに補い、
   助け合って仲良く生きていこうじゃないか。
 7,どんな身にも人の情けは有り難い。
   人が情を失った社会は生きづらい。

 前号で、タリバンに拘束された柳田氏が"椰子の実"を唄って自分を励ましたことを紹介したところ、それを読んだある男性の方から次のような情報が寄せられた。いわく、
 「民俗学者の柳田國男が伊良湖に滞在していたとき、椰子の実が漂着したのを見て、それを島崎藤村に話したようです。その後、柳田の話にヒントを得て藤村が『椰子の実』を書いたのです。その柳田國男と柳田大元氏の関係は分かりませんが、同姓なのでひょっとして何処かでつながっているかも知れませんね」とのこと。
 なるほど、そう言われると興味を惹かれる話ではあるが、今回はそのことに立ち入ることは止して、前号で約束したように、もし、筆者自身が拘束されて苦境に陥ったときにどんな歌を唄うだろうか、考えてみた。
 いろいろと知っている歌が思い浮かんだが、ひとつだけ挙げろといわれれば、子どもの頃からなじみ深い「てぃんさぐぬ花」しかないだろう。
 「内観の歌」とも言われるその歌の歌詞と訳は、以下の如くである。
                          (訳)
 1,てぃんさぐぬ花や         →鳳仙花の花が
  爪先(ちみさち)に染(す)みてぃ  →爪に染まるように
  親(うや)ぬ 寄言(ゆしぐとぅ)や →親の教えは
  肝(ちむ)に染(す)みりぃ     →心の中に染めておきなさい

 2,天(てぃん)ぬ 群星(むりぶし)や →空に輝く星の数は
  ゆみば、ゆまりぃしが         →数えれば数えられるが
  親(うや)ぬ 寄言(ゆしぐとぅ)や  →親の教えは
  ゆみやならん             →数えられないほど無限だ

 3,夜(ゆる)に走らす船(ふに)や   →夜に航行する船は
  子ぬ方星(にぬふぁぶし)目(み)当てぃ→北極星を目印に航行するが
  我(わん)生(な)ちぇる親(うや)や →私を生んだ親は
  我(わん)どぅ目(み)当てぃ    →子供の私が生き甲斐なのだ
  (紙幅の都合で4番以降は割愛)
 2001年9月11日8時45分(現地時間)にアメリカのニューヨークで貿易センタービルが爆破された事件は、今でも記憶に新しい。
 そして、同じ年の11月に日本人フリージャーナリストの柳田大元氏がアフガニスタンでタリバン兵に拘束されるという事件が発生し、連日、マスコミはそれを取り上げていた。あれからおよそ8年が経つというのに、わたしには、某新聞のコラムがいまだに強く、印象に残っている。いま手元にその記事はないが、記憶を頼りに思い出せば、こうである。
 「拘束生活は、行動を制限されて不自由を強いられた。書くことも読むことも禁じられている。尋問されることはあっても会話は許されていない。いつ殺されるかと思うと不安と恐怖に襲われた。いつの間に"椰子の実"を唄って自分を励ましていた。」
  記事を読んで、なぜ"椰子の実"なのか、知りたくなった。そこで、小学生の頃を思い出しながら、島崎藤村の詩集を開いてみた。

  名も知らぬ 遠き島より/ 流れ寄る 椰子の実一つ/
  故郷の岸を 離れて/ 汝(なれ)はそも 波に幾月/
  旧(もと)の樹は 生いや茂れる/ 枝はなを 影をやなせる/
  われもまた 渚(なぎさ)を枕/ 孤身(ひとりみ)の 浮き寝の旅ぞ/
  実をとりて 胸にあつれば/ 新なり 流離(りゅうり)の憂(うれい)/
  海の日の 沈むを見れば/ 激(たぎ)り落つ 異郷(いきょう)の涙/
  思いやる 八重の汐々(しおじお)/ いづれの日にか 国に帰らん


  一読して、柳田氏が「椰子の実一つ」に彼自身を重ねたことが分かる。ジャーナリストとして、故郷を離れて異郷を飛び回ってはいても、心はいつも故郷に向かっていたのであろう。母国に帰ることをひたすら願って、"椰子の実"を口ずさんだように思われる。
人は困難な状況に遭遇したとき、歌によって癒され、元気を回復することは確かにある。
 もし、自分が拘束されたとき、どんな歌が出てくるのだろうか、次号で述べてみたい。
 奈良にて内観者と共に9度目の正月を迎えた。ということは、奈良に移り住んで8年を過ごして9年目を迎えたことになる。
 昨年(2008年)は、「変」という字が世相を象徴したように、百年に一度の経済不況に見舞われた。そして、新年を迎えたというのに不況の出口は、今なお見えてこない。
 「変」は、変人の「ヘン」でもあるが、変化の「ヘン」とも読める。そこで今年(2009年)は、この国の「まほろば」と称されている奈良から「変化」を祈願しようと思う。
 まず、その一つとして、今年の6月20~21日の2日間、日本内観学会の第32回大会が奈良で開催されることになっているので、その前日の6月19日にでも「内観セミナー」を企画し、一人でも多くの市民に内観を知ってもらいたいと考えている。
 「変化」は、まず人々の心の中から起こそうというわけである。奈良はそれにふさわしい土地かも知れないと思う。
 新年早々に頁をめくった本(「無常の風に吹かれて」・小学館)にその意を強くした。著者は宗教学者の山折哲雄氏である。かつて、インドの地を訪ね歩き、奈良にも2年間住んでいたという氏によれば、以前にインドの王舎城にある霊鷲山に登ったとき、「深夜に満天の星が降ってくるような幻想に襲われたことがあるが、奈良の地を踏むとその記憶が蘇ってくる」というのである。
 そして、奈良の朝焼け、夕焼け、かぎろい、に感動したようだ。

    あをによし奈良の都は咲く花の
     薫(にほ)ふがごとく今盛りなり


 「『あをによし』の『青』は、高々と広く、青一色に澄みわたる空の青をも指していたのではないか。」という自説を山折氏は述べている。
 さらに、奈良の魅力についても平城京や東大寺、法隆寺、薬師寺、春日大社など数ある寺社仏閣に目を奪われ勝ちであるが、それ以上に「千三百年もの歴史をこえて優しく押し包み守り続けてきた、美しい、広々とした天空にあったのではないだろうか」と看破して見せている。
 ちなみに、今年の6月に開催される第32回日本内観学会(奈良)大会の大会テーマは「内観の空に"かぎろい"を迎えて」である。大会の詳細は、学会のホームページ、あるいは当研修所のホームページを参照されたい。