2009年5月アーカイブ

 今回は、<小林秀雄全作品17 私の人生観(新潮社)>の中から興味の赴くままに抜粋し、大意を変えることなく、私なりに綴ってみた。
 <「人生」という言葉も「観」という言葉も非常に古い言葉であるが、両方くっついて人生観というのは、古いことではなく、ごく近頃のことで、西洋の近代思想が入って来て、人生に対する新しい見方とか、考え方が起こった時から、人生観というその言葉が盛んに使われるようになった。
 人生観に相当する言葉は外国にはないようだ。
 ドイツの哲学者オイケンのLebensanschaunung が人生観と訳されて以来、それが広く使われるようになったというが、Lebenは人生だが、Anschaunungという言葉は「観」とは余程違う。観という言葉には日本人独特の語感があるからだ。
 この言葉に非常な価値を置いたのは、仏教の思想でしょう。
 「観」というのは見るということであるが、そこいらのものが、電車だとか犬ころだとか、そんなものがやたら見えたところで仕方がないのであって、極楽浄土が見えてこなければいけない。極楽浄土というものは、空想するものではない。まざまざと観えてくるものだ。
 観るには順序がある。先ず、日想観(にっそうかん)とか水想観(すいそうかん)とかいうものから始める。日輪に思いを凝らせば、太陽が没しても心には太陽の姿が残るであろう。清冽珠(せいれつたま)の如き水を思えば、やがて極楽の宝の池の清澄な水が心に映じてくるであろう。水底にきらめく、色とりどりの砂の一粒一粒が見えてくる。池には七宝の蓮華が咲き乱れ、その数六十億、その一つ一つの葉を見れば、八万四千の葉脈が走り、八万四千の光を発しておる、という具合にやっていって、今度は、自分が蓮の上に座っていると想え、蓮華合する想を成し、蓮華開く想を成せ、すると虚空に仏菩薩が遍満する有り様を観るであろう。人間の深い認識では、考えることと見ることが同じにならねばならぬ。観をする為に心を静かにする。>
 このように、内観の「観」には深い意味があったのである。

 奈良女子大学に赴任してまず驚いたことは、講義室に教壇が設置されてないということだった。他学部の教室に入ったことがないので、全教室がそうなっているかどうかは知らないが、少なくとも文学部の人間科学科の教室には教壇がない。高いところから教官が学生に向かって一方的に講じることがないように配慮されてのことだ、と勝手に解釈しているが、もしそうだとすれば、嬉しい限りだ。
 そこで、私の授業では、一方的な講義を避けて、学生との対話を重視することにした。学部の授業は、人数が多いので円陣になって座るのは難しいが、大学院の授業は少人数なのでそれが可能である。
 院生はすでに卒業論文を書いた経験があるし、研究テーマが決まっている学生もいるので、活発な発言が飛び交うこともある。女子学生の発言に耳を傾けていると、男性の発想や視点とはだいぶ違うことに気付いた。が、違うということはわかっても、何がどう違うのか判然としないでいたところ、本学で教鞭を執っていたという数学者の岡潔博士の以下の言葉に出会って目から鱗が落ちた。
 「男性と女性とでは精神の動きの順がまったく逆であって、男性にあっては智意情と動くのに反し、女性の場合は情意智と動くと思います。たとえば、講義(私は数学を教えているのですが)を理解します際にも、男性の場合には智的に理解し、次にそれを咀嚼玩味しています中に、感覚感情的な要素が加わって始めて全き理解となるのですが、女性は、まづ感覚感情的に理解するように見えます。尚、このことは由来する所が非常に深く、私の観察によれば、数え年3つになれば、既にこの区別が歴然と現れるようです。」と述べた上で、女性の長所を伸ばすべきだと主張し、日本の文化の水準を上げるためにも女子大学を作るべきであり、その設置場所として日本の中では、奈良が一番ふさわしいとまで言ったというから驚きである。
 岡先生の言葉を頭の片隅において、いま私は、明日の授業の準備をしているところだ。

 

広い心で接すれば/ キレる子にはならない
誉めてあげれば/ 子どもは明るい子に育つ
愛してあげれば/ 子どもは人を愛することを学ぶ
認めてあげれば/ 子どもは自分が好きになる
見つめてあげれば/ 子どもは頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば/ 子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば/ 子どもは正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば/ 子どもは、正義感のある子に育つ
やさしく思いやりをもって育てれば/ 子どもはやさしい子に育つ
守ってあげれば/ 子どもは強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば/ 子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

 以上、連載にして紹介したこの詩は、「親から子へ伝えたい17の詩」の中に所収されている。ちなみに、発行したのは「双葉社」であり、その他に谷川俊太郎氏や長田弘氏の詩も収められている。

私事になって恐縮だが、奈良女子大学に着任して1ヶ月が過ぎた。文学部に在籍しているが、そこは3つの学科からなっており、全部で11のコースに別れている。私が担当するコースは、人間科学科の中に2年前に新設された「子ども臨床学コース」である。元々子どもが好きだったので、着任した研究室の居心地は悪くないが、新任教授は授業の準備に追われて多忙を極めている。子どもに関する資料や書籍に目を通す日々の中で、表題の詩が目に留まった。そこで、小欄に紹介することにしたが、 長い詩なので、紙幅の都合もあり、二回に分けての掲載となる。

 けなされて育つと/ 子どもは、人をけなすようになる
 とげとげした家庭で育つと/ 子どもは、乱暴になる
 不安な気持ちで育てると/ 子どもは不安になる
 「かわいそうな子だ」と言って育てると/
             子どもはみじめな気持ちになる
 子どもを馬鹿にすると/ 引っ込みじあんな子になる
 親が他人を羨んでばかりいると/ 子どもは人を羨むようになる
 叱りつけてばかりいると/
        子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
 励ましてあげれば/ 子どもは、自信を持つようになる

 <続きは、次号へ>