内観療法と理論

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内観療法と理論"は古くて新しいテーマである。実際、日本内観学会は1990年の第13回名古屋大会において「内観療法に理論は必要か」というテーマを掲げてンシンポジウムを開催している。筆者はシンポジウムの企画者として、壇上のシンポジストはもとより、参加者に向かって次のような問題提起を発した。

「内観は浄土真宗の一派に伝わる"身調べ"という修行法から発展してきたこともあり、理論(理屈)に走ることを戒め、実践こそが重視されてきた、という歴史がありますが、内観法はともかく、ここでは"内観療法に理論は必要か"について考えてみたいと思います。」という前置きから始めたが、それは学際性を特徴とする日本内観学会においては必要なことであった。何しろ、会場には医療界だけでなく、宗教、矯正教育、学校教育、産業界、法曹界、内観研修所など多分野の参加者が顔を揃えていたからである。分野の違う人々が話し合うには、まず"理論"という言葉の意味を確認する必要があった。

「理論という言葉は、多義的に使われているので、整理しておく必要があると思います。広辞苑によれば、①個々の事実や認識を統一的に説明できる普遍性をもつ体系的知識。②実践を無視した純粋な知識。この場合、一方では高尚な知識の意を含むが、他方では無益なものという意味が含まれることもある。という二つの意味が示されていますが、当然のことながら、修行法から発展してきた内観においては②の意味での理論は排せざるを得ないでしょう。したがって、ここで理論というときは、①の意味で用いることにします。内観療法における理論は、実践を無視するどころか、徹底した臨床実践の中から積み上げていく理論でなければならないことは、言うまでもありません。」

 筆者の問題提起を受けて発言したシンポジストは、村瀬孝雄教授・杉田敬臨床心理士・David Leynolds博士・竹元隆洋医師の4氏である。面白いことに、ロゴスの国・アメリカ出身の文化人類学者は、「内観に理論は必要ないです。内観は内観でよいと思います。」と一人だけ理論不要の立場を表明したのに対して、日本人の3氏は、それぞれの立場から理論の必要性を説いて見せた。各氏が発言した詳しい内容を知りたい方は、第13回日本内観学会大会発表論文集をご参照ください。

 

 

 

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