2009年11月アーカイブ

 

先週のことですが、大学院の授業に臨時講師としてゲストスピーカーを招いた。講師は、私が顧問を務める断酒会の会員である。講演の内容は、体験談である。せっかくの機会なので学部生にも聞いてもらった。学部生は正規の授業ではないので、レポートを書いても成績評価は出せないが、一人だけレポートを提出してくれた学生がいた。4回生は目下卒業論文の作成に追われている時期なのに、その合間を縫って自主的に書いてくれたようである。それを教員である私が一人だけでしまいこむのはもったいないと思ったので、本人の了解を得たうえで、本欄に紹介することにした。

 

 

 

4回生 堀 文音

 

 灰谷健次郎の著作「少女の器」には、主人公(高校生)絣(かすり)が、大阪から来た上野君という転校生と、アルコール依存症である彼の母親を見舞うシーンがあります。そこで、「おかんやおとんはわいの敵やで」という上野君に、絣が「敵を見舞うの」とたずねます。すると、上野君は答えます。

「それはな、ちゃんと理屈があんねんや。アル中の話やけど、酒がやめられへんのは意志が弱いからだと誰でも思うやろ」

「これはあの病院の院長の受け売りやけど、アル中は、おっとあのオッサン、アル中は差別用語だから使うなというとった。アルコール依存症といえ、やて。あほか。そんなもんどっちでもいっしょじゃ。・・・・そのアル中は酒の飲みたい欲求が病的になって、コントロールができんようになるちゅうわけや。意志がつよいとかよわいとかは関係ないねんてえや。意志がつよかったら水虫にならへんいうたら誰でも笑うやろ。それといっしょや。つまり病気や。その病気の原因はなにやとゆうたら、心の中におきたトラブルやて」

「心の中におきたトラブルのもとは、おれとオヤジや。オヤジの極道とおれのゴンタが、おれのおかんを病気にさせたというわけや。これ考えたらけったくそ悪いやないか。敵に借りつくってえんねんさかい。借りは返しとこやないかちゅうのがおれの理屈や」

「この病気はひとりぼっちにさせとったら治らんのやて。院長のオッサンによると、差別と偏見がアル中をつくり病気を重くするんやそうや」

 アルコール依存症について、わたしが事前に持っていた知識と言えば、この本から読み取れるくらいのものでした。

お二人が「こんにちは」と入ってこられた時、「あれ、この親子のようなお二人が、今日のゲストだろうか。ちっとも病気のようには見えないけど」と思いました。アルコール依存についての知識はほとんどなく、もちろん生の声を聞いたのも初めてでしたから、簡単な自己紹介のあと、何の前置きもなく(と、わたしは感じました)始まった、Kさんのお話には、ただただ圧倒されるばかりでした。Kさんは、あまり表情をくずさずに、以前のご自身の様子をよどみなく話しておられました。わたしがちょうど今、逐語を起こしている祖父母の話は、話の飛躍や、いいよどみ、いい間違い、たびたびの間、など話が滞る場面も多いので、それがないKさんのお話になんとなくの違和感を覚えつつ、「話慣れておられるのかな、すごいな」と聞いていました。自分のネガティブな過去を話し自分と向き合うのは、さぞしんどいことであろうと思うのに、それを初対面の私たちの前で話してくださるっているお二人の気持ちは、一体どんなものなのだろうと、講演中ずっと考えていました。講演後、そのことをお二人に質問してみると、Sさんは、「お話しすることが、自分の回復のためになっている。真栄城先生のお誘いだったし、若い女性と話すことにも興味があった」と答えてくださいました。内観や断酒会、そして真栄城先生への大きな信頼があるのだな、と思いました。納得です。Kさんは、「わたしたちは全然特別じゃない、ということを知ってもらいたい」というようなことも、おっしゃっていました。確かに、誰もがみんな何かしら抱えて生きています。相手の期待に沿うように、相手の様子を伺いながら、隷属的に尽くしてしまう。強い思いのあまりに歯車がくるって、一方的なコミュニケーションになってしまう。程度の差はあれ、自分の身の回りでもよくある失敗談です。

散会となり、あいさつに行ったわたしたちに、Kさんはある事件の容疑者とご自分の身を重ね、「あの人は、わたしと同じ。あの人にも内観を知ってほしい。内観に出あえた私は、いまこんなに幸せだから」とおっしゃっていました。その「幸せ」と言われた時の笑顔が、印象的でした。

 貴重なお話を聞かせてくださったお二人に感謝します。「ありがとうございます。勉強させてもらいます。」という気持ちでいっぱいです。

 

 

今回、定例の12月に予定している「みすゞの会(自主勉強会)」の講師に発達心理学者で奈良女子大学文学部の浜田寿美男教授をお迎えすることになりました。『自白の心理学』(岩波新書・2001 )や『<うそ>を見抜く心理学―「供述の世界」から』(日本放送出版協会・NHKブックス・2002年)が注目されて、最近はマスコミへの出演が増えて多忙を極めているようです。実際、12月の土曜日で空いている日は、その日(26日)しかないということでした。忙しい合間を縫って、わたしたちの依頼にこたえてくれることになった、というわけです。目下、司法心理学の分野で注目されていますが、浜田先生は、本来、自閉症の臨床実践家であり、研究者なのです。浜田先生が講師(レクチャーだけでなくスパーヴァイズ)を引き受けてくれたということで、みすゞの会では、今回、いつもより事例発表を希望するメンバーが増えました。

そこで、前もって、「みすゞの会」のメンバーのために、本欄を使って知らせておきたいことを記そうと思った次第です。と言っても、これまで浜田先生が自閉症について述べたことの中から私自身が印象深く思ったことを紹介するだけです。以下に述べるのは、浜田先生のご著書や講演、あるいは個人的な会話の中で見聞したことですが、年のせいでしょうか、どの文献で、どこで交わした会話だったかなどについては、失念して記憶にないため、省略しました。興味のある方は、当日、直接、ご本人に聞いてください。

「自閉症の人の言葉は、対人関係のやり取りには頓着せず、場面に張り付いている」と浜田先生は述べています。たとえば、人は帰宅すれば、「ただいま」と言い、家人は、「おかえり」と言って迎える。小さな子どもの場合には、それをあべこべに使って間違えることもあるが、それはもとの意味があいまいだから子どもが間違えるのも無理はないでしょう。けれども、ある自閉症の子どもは、家に帰ったとき「おかえり、ただいま」と一人で二つの言葉を同時に言ってしまうというのです。そんな場面に遭遇したのか、あるいは親御さんから聞いたのか、浜田先生は、「こんな間違いは普通の子どもはしないが、自閉症の子どもには、能動―受動の関係の中で発生する人間関係のやりとりは、むつかしいのです」と指摘しています。

たとえば、浜田先生によれば、「私の知り合いのA君は、夕方散歩へ行くが、そのとき彼は母親に向かって『気を付けていってらっしゃい』と言った。もともとは母親が出かけるA君に対してかけていた言葉ですが、それが場面に張り付いて、A君が使うようになったのです。そういったことが他にもあって、あるときA君が母親に向かって『いらっしゃい、いらっしゃい』と繰り返し言ったそうです。はじめは母親も何のことかわからなかった。その後、数日して町内のお祭りがあって、親子で出かけた。そこで「いらっしゃい、いらっしゃい」という呼び込みの声がしていたらしく、その声に誘われてその店でジュースを買ってやった、というのです。そのとき、母親は以前にも同じことをしたことを思い出した。A君はジュースが飲みたいとき、夜店の呼び込みの声を真似て『いらっしゃい いらっしゃい』と声を出していたというわけです。」

『言葉が場面に張り付く』とはそういうことなのです。おそらく、学校の現場で子どもたちとかかわってきた教師やスクールカウンセラーの中には、これとよく似た場面に出合ってきた方もいるかと思います。このように、浜田理論は、具体的な臨床観察の中から導かれたものが少なくありません。12月の勉強会では、発表者はそれこそ具体的な事例を持ち寄って、浜田先生から現場で役に立つ、具体的なコメントを引き出したいものです。

 

「自然には何一つ無駄なものはない。私は自然が喜ぶようにお世話をしているだけです。」と木村秋則さんは著書の「リンゴが教えてくれたこと」(日経プレミアシリーズ)の中で書いている。木村さんとは、NHKの「プロフェッショナル」で紹介された完全無農薬・無肥料によってリンゴを育てた農業指導家のことだ。一躍時の人になった木村さんであるが、そこに至るまでの苦悩は並大抵ではなかった。何しろ、10年近くも収穫ゼロという生活を続け、三人の子どもたちの授業料も払えず、隣近所からは「かまど消し」「ろくでなし」「アホ」と蔑まされてきた。

けれども、それに耐え、自分の意志を貫いた男である。強い意志を持った男ではあるが、娘の作文に心が揺れたことがある。

 「お父さんの仕事はリンゴづくりです。でも、私はお父さんの作ったリンゴを一つも食べたことがありません」

小学校6年生の長女が「お父さんの仕事」という題で書いた作文を読んで、ズシンと来るものがあって、「これを最後にもうやめよう」と妻に告げた。するとそれを聞いた長女が「じゃあ、今までなんで我慢してきたの」と一言。実家の父親がなんどもやめるよう説得しても聞き入れなかった木村さんだったが、娘の作文に心が揺れてしまった。ところが、その娘の一言でやめずに意思を貫くことができた。子供の言葉ほど親を動かすものはないようだ。

その木村さんは、無農薬・無肥料をただひたすら続けたわけではなかった。農薬をやめたために樹勢が衰え、根元がグラグラしたリンゴの木を枯らしたくない思いから毎日リンゴ畑へ行って、声をかけて歩いた。

「もう一円もなくなって肥料も農薬も買うお金がない。花も実もつけなくていいから、枯れないで耐えてくれ、お願いだから頑張って」と言って歩きつつ、一方で「自分は自分なりに精いっぱい努力しているのになぜ毎年失敗するのか。なぜ、自然は私を受け入れてくれないのだろうか。」という気持ちがもたげて、苦しみ、悩む日々を送った。

そしてある日、突然、あることに気付いた。

「自分はリンゴによって生活している。自分が生活できなくなったのは、自分を生活させてくれたリンゴが苦しんでいるからだ。そしてそのリンゴを苦しませたのは自分なのだ」

それからはリンゴにかける言葉が変わった。リンゴの木、一本一本にお詫びをしながら自分の気持ちを伝えることにした。すると、風もないのに小枝が揺れて、リンゴが「わかったよ、わかったよ」と言っているように感じられたという。つまり、リンゴと対話を始めたのである。そして、八百本余りに声をかけて廻った。ところが、「木村、バカになったんでないか、誰と話しているんだ」という村人の声が聞こえたために、恥ずかしくなって残った八十二本のリンゴに声をかけることができなかった。すると、その八十二本は枯れてしまった。枯れたリンゴの姿を見て、木村さんは自分自身を見つめた。そして、まるで内観後の心境に到達している。 

「恥ずかしい話ですが、(声をかけなかったリンゴは)市場で人気のない品種でした。同じ品種でも声をかけたものは枯れませんでした。収穫とお金にだけ目を向けていた自分に対して、リンゴの木が受け入れてくれなかった。私の心の貧しさを教えてくれたのでしょう。私は感謝の気持ちが欠けていました。自分の愚かさを痛感しました。」

 

 

つい、先月のことであるが、断酒会の学習会に招かれて講演をした際に、10年前にわたしのカウンセリングを受けていた方と顔を合わせる機会があった。思い返せば、父親の酒害に巻き込まれて立往生していた頃、彼女は学生であった。「家庭の中に居場所がない。喜怒哀楽という感情が出てこない。とくに父親とは話ができない。」と訴え、「周囲には自分の気持ちを話せる人がいない」という理由で、わたしのカウンセリング室に通ってきていたが、その後、無事に大学を卒業したこと、現在は、社会人として楽しく仕事をこなしていることなど、立ち話ではあったが、近況を報告してくれた。その日は、手短に対面しただけで別れたが、後日に便りが届いた。

 ご本人の了解が得られたので、本欄に掲載することにした。掲載の第一の理由は、アルコール依存症の親のもとで育った子供たちの苦悩を知ってもらうためである。

彼(女)らの多くが成人してまでも親のことを案じ、それを引きずって生きているが、それから逃げずに、精進を重ねていれば、必ずや光を見出す日が訪れる。彼女の文面にはそれが見事にしたためられていた。それを可能にしたのは色々あるかもしれないが、兄妹で苦悩を分かち合い、今回のように断酒会の学習会などにも一緒に出席し、自己を見つめてきたからだと思われる。

 彼女のような境遇を背負った方をACAdult Children)と称しているようだが、アルコール問題に苦しんでいる方々に読んでいただければと思い、あえて本欄に紹介することにした。

 

真栄城先生

こんにちは。

先日は10年以上ぶりにお会いできて本当に嬉しく思いました。

懐かしさと嬉しさとで涙がこぼれました。

覚えてくださっていてありがとうございます。

多くの患者さんや学生さんを相手にされていらっしゃるのに、驚きでした。

 

正直、お会いするまで先生の顔を思い出せずにいましたが、

お目にかかれた瞬間、「あぁ、そうだ!この先生だ!」と時間が戻りました。

 

この10年間、いろいろありました。とても長くなりますので、また書きます。

いまは腹を抱えて笑うこともとても多く、腹の立つこともありますが、

毎日充実して、背伸びせず過ごせています。

 

真栄城先生、先生のことを思うと今もなぜか涙が出ます。

あの頃、先生に診てもらえて良かったと思います。

何が・・・という具体的なものが、すぐには浮かばないのですが、

先生の存在に救われたんだと思います。

 

今は、父も母も純粋に尊敬できます。

断酒をできた父を誇りに思います。

長いこと反発した母のことも、受け入れることができ、

楽しい会話ができるようになりました。

私は数年前から一人暮らしをして、実家から車で45分くらいのところに

住んでいます。週1回以上は必ず実家へ帰ります。

I家の家族で良かったとつくづく思います。

 

両親へは、私は口が悪くてぶっきらぼうに話すことも

多いのですが、感謝しています。

老いも感じますので、いつかは介護も必要になると

不安もあります。長く元気でいてほしいと常々思います。

  

祖父の一周忌で親族が集まりました。

すこし時間があったので、父に、先日真栄城先生にお会いしたことを話しました。

次回、名古屋にいらっしゃるのが1月と伺っていましたので、

「次は一緒に行こうね」と伝えました。

拒否されたら・・・正直と怖かったのですが、

とても笑顔で、「おう、行く。行く。」と言ってくれました。

 

先日も弟が誘ってくれていて、

当日連絡がつかなかったとのことだったので、

逃げたか?と思ってしまいました。

新聞の集金に出ていたとのことでした。

しっかり事前に時間を伝えていなかったのか、

とても残念です。疑って悪かったなと思いました。

 

弟に

「内観をしたんだったよな。1週間どうだったか?

お前は早く感じたかもしれんなぁ。

父ちゃんは長く感じたなぁ。」

と、話してくれました。

初めて父の口から治療中のことを、

ちゃんと聞いた気がしました。

とても嬉しく思いました。

時間がなかったので、ゆっくり話せませんでしたが、

また聞こうと思います。

 

仕事場はとても楽しく、周りの人にも恵まれて救われています。

 

季節の変わり目、くれぐれもご自愛ください。

またお会いできる日を楽しみにしています。

 

K,Iより

1031日~111日の両日におよそ200人の参加者を集めて第21回内観療法ワークショップが青森県弘前市はアソベの森にて開催されたので、筆者も学会員の一人として参加した。充実したプログラムには感心させられたが、なかでも体験発表で朗読された詩に感動した。内観を体験した後に作った詩のようであったが、妻から夫に向けて発せられたラブレターなのである。内観は人を素直にすると言ったのは、日本内観学会の初代会長を務めた故・村瀬孝雄教授であるが、たしかにこの詩には内観後の素直な気持ちがあふれていると思った。発表者は、以前に小欄で紹介したことのある詩集・「魔女志願」を出版された林草布子さんだ。かつての恋人(配偶者)からラブレターがほしいと思っている方には、内観をお勧めしたいものである。

以下に、そのラブレター(詩)を紹介しておこう。

 

 

イ(にんべん)のラブレター

 

 俺と言わずに僕と言っていた

優しい笑顔のあなたを伴侶に選び

似た者夫婦と言われて二十四年

健気にお互いを補佐し合いながら

今の住処に家庭を築いてきましたね

 

偉ぶらず

どんな仕事を依頼されても休日返上で他人のために働くことを厭わず

人を侮辱するようなことは一度もなく

相手に心を傾けるような仕事ぶりのあなたを

とても信頼申し上げています

 

言葉でそれを伝えることが照れくさいので

代わりにこの詩を作っています

 

僕から俺に変わったあなたと

そろそろ仲良く老後の準備をしなければ

 

身体を酷使するばかりではなく

たまには停車して休んでください

次の休日、天候が良かったら

仏像巡りでもしましょう

そして 俳句の一つでもひねりましょうか

 

子供らが配偶者をみつけて二人になったら

私たちの暮らしも佳境の時代です

 

あの仙人峠の別荘を借りるのも素敵ですね

伊太利亜旅行も実現させましょう

 

私に価値ある人生を与えてくれてありがとう

人生の修了式まで

あなたの側で居候させて頂きたく存じます