2009年12月アーカイブ

 

内観セミナー③2/21 ()開講

 

"本当の癒し"を仏教哲学から学んでみませんか?

山折哲雄(国際日本文化研究センター元教授)講演会

 

 人生に不幸な出来事はつきものです。

 そして、それを直視できないとき、ひとは心を病む。親子の葛藤や夫婦間での不満、あるいは、少年非行や不登校、さらにはノイローゼや職場不適応など、どうすることもできない悩みを解決するために、インドを起源とする仏教哲学は多くのヒントを提供してくれます。

 仏教学の第一人者であり、現在放映中のNHKドラマ「坂の上の雲」の脚本諮問委員であります山折哲雄先生(平城遷都1300年記念事業評議員)をお招きして、下記の日程、会場にて特別講演会を開催します。

 

 ・日 時  2月21日(日)午前10時半~午後12時半(午前10時受付開始)

 ・会 場  大和郡山市市民交流館(JR郡山駅東口すぐ)

 ・テーマ  日本人と"天然の無常観"‐縄文期から培われた無常観を考える‐

       講演内容はこちら

 ・講 師  山折哲雄(国際日本文化センター元教授)

 ・会 費  3,000円

 ・その他  午後の部(午後1時半~午後4時半)にはシンポジウムを開催します。

       山折哲雄氏、井原彰一氏をシンポジストにお迎えします。     

 午後の部は別途会費が必要です。

 詳細はこちら

 

お問い合わせ  大和まほろばの会事務局(大和内観研修所内)

        〒639-1133 奈良県大和郡山市高田口町9-2

        電 話:0743-52-2579

        FAX:0743-54-1376

        メール:y-mahoroba@07.skr.jp 

 

・山折 哲雄(やまおりてつお)

宗教学者。1931年、浄土真宗本願寺派の開教師であった父親の任地・サンフランシスコで生まれ、実家のある岩手県花巻市で育つ。東北大学文学部卒業。東北大学文学部助教授、国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究センター教授、同所所長を歴任。主な著作に『愛欲の精神史』(小学館)『悪と往生』(中央公論新社)『近代日本人の宗教意識』(岩波書店)『悲しみの精神史』(PHP研究所)『涙と日本人』(日本経済新聞出版社)『美空ひばりと日本人』(現代書館)『デクノボーになりたい』(小学館)ほか多数。

 

井原 彰一(いはらしょういち)

キリスト教神父、ドミニコ修道会司祭。精神科医。内観の創始者・吉本伊信の許で集中内観を体験。以後は自身の修養に励みながらも、内観療法に注目しながら病院臨床に従事する。聖マルチン病院(香川県坂出市)心療内科部長を経て、現在は同病院院長。

 

特別シンポジウム

お申し込みはこちら

先日の日曜日のことです。当研修所に中国は無錫市から2名の精神科医が来訪されました。

今回、わずか3ヶ月という短期間ですが、日本の大学に中国で生まれた心理療法を紹介しつつ、同時に研究用のデータを収集することを目的に来日されたとのことでした。

年明けの1月5日には、帰国しなければならないらしく、せっかく日本まで来たので、ぜひ内観の発祥地・大和郡山市にある内観研修所を見学しておきたい、と強く希望して、休日を利用して訪ねてきた、とのことでした。滞在時間は、昼食を挟んで、およそ7時間、話題は個人的なことから世界に及んで尽きることがありませんでした。そこで、多彩な話題の中から一つだけですが、本欄に紹介したいと思います。それは、中国で生まれた心理療法のことです。名は「道家認知療法」と呼ばれているようですが、頂いた資料の中から抜粋して内容を紹介するとこうです。

 

道家認知療法について

 

《中国科学史》第十巻の作家、イギリスの学者ニーダム,ジヨーゼフは、こう言いました。

「中国人の特徴は多いが、最も注意を引き付けたのは、道家思想からの伝統である。中国は道家思想をなくしたら、根のない木と考えられる。」

老荘哲学にある世渡りと養生の理論は過去にとっても現在にとっても有効な精神の健康法であると言っても言い過ぎではないと思われます。これらの考え方は心理的ストレスも緩和できるし、心の痛手も癒せる。心身状態の調整もできるし、ストレスによる精神疾患に応じた良薬と言えます。

「道家認知療法」は治療法と言っていますが、むしろ「道家養生哲学思想」と言った方が良いでしょう。

なぜならば、これは健常者に最もふさわしいと考えられるからです。

 

道家哲学思想1.利而不害,为而不争。

この言葉は《老子》二十二章からまとめたもので、意味としては、「他人あるいは社会に利するが、他人や社会に害をもたらすことをしない。物事に対してを全力を尽くすが、名誉と利益のためではない。他人のことを嫉妬しない。」

 

道家哲学思想2少私寡欲,知足知止。

これは《老子》十九章、四十四章、四十六章からの考え方であります。

「人間として、欲望にはきりがない、しかし、老子の考え方では「足ることを知れば常に幸せである;止まるを知れば危険を避けられる。」

 

道家哲学思想3知和处下,以柔胜刚。

この"知和処下"という言葉は、《老子》四十一章の「上徳は谷の如く」から抜き出したものです。その意味は、「調和は世界万物の根本的な法則である。謙遜の気持があると人間関係の葛藤を避けられるし、安定した団結を保つことが出来る。」というふうに考えられます。

"以柔勝剛"は《老子》四十三章と七十八章からの考え方によれば、「上善は水の若し、水は善く万物を利して争わない。しかし、雨垂れ石を穿つ。」

 

道家哲学思想4清静无为,顺其自然。

この考え方は、老子思想の中心となる哲学思想の一つである。老子は「静か」を尊ぶ、所謂「寧静にあらざれば、以て遠きを致すことなし。」

つまり、「無為」は「何もしない」ということではなく、「無駄なことはしない」という意味であります。

「順其自然」の意味は、自然の法則をよく把握すると、順を追って一歩一歩進められるということです。逆に、功を急げば目的を達成することができません。

つまり、道家思想は単なる消極的な考え方ではなく、自然の法則を認識し、やるべきことをして、してはいけないことをやめる。自然の成り行きに従って物事をすることを目指しているのです。

 

周知のように、インドでは「ナマステー」と合掌して挨拶を交わしているようですが、内観の面接では、面接者は「お願い致します」と言って屏風を開き、1回の面接で4度の合掌をしています。病院の中に内観を導入したばかりの頃、筆者はその合掌に抵抗がありました。宗教臭いものを感じたからです。しかし、内観面接を続ける内に抵抗どころか、なくてはならないものとして感じるようになってきました。もし、今、誰かに「いったい合掌にはどういう意味があるのですか?」と訊かれたら、次のように答えます。

「人間はどんな人にも仏性(いのち)が宿っている。仏性というのが宗教的で抵抗があれば、良心あるいは、超自我と言い換えてもよい。たとえ極悪非道な罪を犯した人にでも良心(仏性)というものがある。面接のときの合掌は、内観者に対してだけではなく、否、むしろそれ以上に内観者の背後に潜んでいるとされる仏性に対する畏敬の念の表れなのである。面接者として内観者の仏性を感得したいという意思表明だと言ってもよい。そのとき、面接者は心の中で、私にはこの内観者の悩みを解決したり、病を治したり、救うことはむつかしい、不可能です。なぜならば、私は無力だからです。面接者としての私にできることは、せいぜい内観者の中に潜在している仏性が顕現してくれることを信じて祈ることだけです」と。

ところで、最近「人は何のために『祈る』のか」(詳伝社 2009)という本に出合いました。筑波大学応用生物学系の村上和雄教授と京都府立医科大学の棚次正和教授です。購買動機をそそられたのは、著者の肩書きではなく、次のように記された帯の言葉です。

「『祈り』はとてつもない力を秘めている。それは、われわれの潜在的可能性を目覚めさせる行為なのだ。『祈りと遺伝子』という壮大なテーマに世界的科学者と第一線の宗教学者が挑んだ」

頁をめくると次の言葉が目に飛び込んできます。

「祈るだけで遺伝子がオンになる」と。さらに次の頁にはこう記されています。

「祈りというと、宗教のことが頭に浮かんでしまい、どこか敬して遠ざけるという態度になりがちですが、アメリカでは祈りに着目する科学者が大勢いて、ハーバード大学、コロンビア大学、デューク大学など有名大学で盛んに研究が行われていて、研究事例が1200を越えているといいます。」

読み始めるとグイグイと引き込まれてしまいます。36頁までくるとこう書いてあります。

「重いガンと宣告された人がいつの間にか治っているというような現象を、医学では『自然寛解』と呼んでいます。―中略―ガンの自然寛解を経験した患者に『なぜ回復したか』と聞いたアンケート調査結果は、祈り68%、瞑想と運動がそれぞれ64%、ウオーキング52%、音楽50%という数字が報告されています。」など。

そして、「アメリカでは今、祈りがちょっとしたブームになっています」と言う言葉がさりげなく記されています。興味のある方は、読んでみるとよいでしょう。

筆者は、この本に力を得て、内観面接の際の合掌にいよいよ強い祈りを込めるようになりました。

 

「内観は心理臨床や精神医療場面での効果は、わずかに1週間の治療であるが期待を裏切らないものであり、時には目を見張るような効果も認められるが、しかし、一方で、今なお理論の構築が十分でない」と述べたのは、日本内観学会の前会長を務められた竹元隆洋先生でした。

たしかに、内観の理論化は欧米の心理療法に比べ見劣りすると言わざるを得ません。これは、欧米の心理療法が言葉を駆使して行うのに対して,内観では言葉の制限を課していることとも関連しているように思われます。たとえば,内観中は内観者同士の私語が厳禁となっているだけでなく,面接も三項目に沿ってなされ,必要最低限の言葉で済ますことになっています。

いったいこの相違をどのように考えればよいのか、長く,筆者のなかで疑問としてありました。何となく欧米と日本の文化の相違からくるものであろう,とは思っていましたが,納得のいく答えを見つけることが出来ませんでした。そんな折り,両者には心に対する考え方の違いがあることを知って,目から鱗が落ちました。臨床心理学者の河合隼雄先生と仏教学者の山折哲雄先生の対談『河合隼雄―いのちの対話』(潮出版社)のなかに示唆される箇所を見つけたからです。以下に、引用するとこうです。

河合―では,日本人の心とは何だ,ということになります。欧米は心を徹底的に言葉でつかまえて表現しようとする。言葉を積み重ねて論理を構築し,体系づける。それが心理学になり哲学になるわけです。どこまでも言葉で表現しようとする欧米文化は実にすごいもので,尊敬を払わなければなりません。だが,日本は違う尺度で心を表現しようとする。

山折―違いますね。心を日本は言葉ではなく形でつかまえ,表現しようとする,と言えるのではないでしょうか。

河合―世阿弥の能などはそのいい例でしょう。自分の体,それが心なのです。体という形に心を見ようとする。生け花もそうでしょう。欧米のフラワーアレンジメントは,あくまでも花の美しさ表すための形ですね。だが,生け花は花に形を与えることで,そこに心を見ようとする。

山折―心を体で表す。だから,心を鍛えるには,体を鍛えなければならない。体を鍛えることが心を鍛えることになる。能などの芸能の世界では,芸を磨くことが心を磨くことになる。武芸でもそうでしょう。体を鍛えて剣の技を磨く。それが心を鍛え,心を煮詰めて輪郭をはっきりさせ,その心を表現し伝えていくことになる。だから,芸道,武道,華道というように,「道」になるのですね。

両氏が指摘しているように,心に対する欧米と日本の捉え方の相違は,当然のことながら心を扱う心理療法の世界においても同様なことが言えましょう。たとえば,これまで欧米の心理療法に比べて内観には理論がない,といった批判がなされてきましたが,それは河合氏が言うように「違う尺度で心を表現しようとする」日本文化の特徴だとすれば,理解しやすいように思われる。

実際に,内観を欧米のそれと比べたとき,合掌はもとより,畳の上で正座による面接を行ったり,面接の前後には面接者と内観者がお互いにお辞儀を仕合ったり,屏風の開け閉めの際に面接者が示す細やかな所作など,一つひとつを取り上げてみると,内観がこれまで「内観道」と呼ばれてきたことがよく納得できるのではないでしょうか。今後は、必要以上に劣等感を抱くことなく、内観の理論化研究を続けて行こうと思います。その際に、欧米の手法を参考にしつつ、日本独自の古神道やアジアの文化で生まれた儒教や仏教などからも学んでいきたいと考えています。

来年の221日に仏教学者の山折哲雄先生を迎えて内観セミナーを開催しますが、内観の理論化を考えていく上で何かヒントをいただけるのではという期待があります。

(内観セミナーに興味のある方は、大和内観研修所のHPをご覧ください。)

 先の第32回日本内観学会が奈良で開催された際に、記念講演に島倉千代子さんを招いたことは本欄でも紹介したことがありますが、その後もお心遣いやお手紙をいただいたり、あるいは大和まほろばの会の機関誌・「麻本呂婆」に寄稿頂いたりして、ご縁が続いています。

そんななか、最近、表題のタイトルで新曲を発表されたようで、歌詞カードを添えてCDが送られてきました。吉本伊信師がご存命であれば、たいそうお喜びになられたことでしょう。私は今、ご本人のサイン入りのCDをパソコンで聴きながらこの文章を書いているところですが、これはまさに「内観の歌」です。当方としては、先の大会の後に作られた歌なので、つい、そう考えてしまいたくなったのです。内観関係者はもとよりですが、本欄の読者の方々にご紹介したくて、以下に、歌詞を記しておくことにしました。

CDの発売は平成22年の1月1日のようです。母への想いが切々と伝わってくる歌です。ぜひ、アルバムを聴いてほしいと思いますが、聴くだけでなく一緒にくちずさめば、心がほかほかとあたたかくなります。

 

1、心の庭に咲いている          

  私の小さな幸せの花          

  あの日の母の歳を越え         

  今でも道には迷うけど         

いつもあなたが胸にいて        

そっと支えてくれている        

誰も知らない花でいい         

まあるい笑顔でいればいい       

私の小さな幸せの花          

                     

2、働き者の手をしていた

硬くて荒れている そんな手だった

自分のことは後まわし

誰より私を想っていた

過ぎてからしか気づかない

大事なことは いつだって

無いものねだりをするよりも

あるもの数えて行けばいい

あなたが私に教えてくれた

 

誰も知らない花でいい

まあるい笑顔でいればいい

私の小さな幸せの花

あなたと咲かせた幸せの花

 

 

記念講演の島倉千代子