2010年3月アーカイブ

角元良輔(京都大学文学部4回生)

 

私は内観療法や心理学に関しては全くの素人であるが、内観セミナーに今回初めて参加した。大学では哲学や宗教学を主に学んでおり、それらを通して「人間」の在り方を探求できればと思っているのだが、如何せん書物・理論中心で抽象的かつ頭でっかちなものになってしまうことは否めない。学問は実際の人間生活と関わりがなければ意味がないのであって、それは「学問的なもの」を「実践」において試みる、また「実践」から「学問的なもの」を抽出する、という相方向の試行錯誤によって可能となるだろう。その過程において、単なる理論や学説を超えた何か(真理?)があらわれるだろうと私は思っている。以上、頭でっかちなことを述べてしまったが、「実際に生の人間と向き合う」カウンセリングという場は一体どのようなものなのかということに興味をもったので、今回参加した。

今回は、「物語と癒し」というテーマで、ナラティブアプローチについて豊富な事例をもとに森岡先生からお話を頂き、その後、「物語としての内観」について真栄城先生からお話頂いた。この「物語」という概念・アプローチをまず理解することが大切だが、その働きは、「今ここで語っていること」と「語られた出来事」との間で、語る個人の内面において新しい意味や連関が生まれ、「腑に落ちる」意識に気づくことにある。そのことで、出来事は単なる出来事の次元から、実感を伴う感情の次元へとシフトする。そしてカウンセラーは、クライエントと共に、「物語」の生まれる<場>をつくることに注力することが求められる。以上が大まかな「物語」の説であるが、いくつかの点を指摘して私の感想としたい。

先生方もおっしゃったように、加速化する高度情報社会の中で、人々の生の実感が希薄化してきている。「生の希薄化」とはどういうことかを「物語」の観点から考えると、「今生きていること」の意味が実感できないということであり、それは「生の分断化」つまり個人の意識がそれぞれの生活シーンを別個のものと捉え、背後に一貫した繋がりを見出せなくなっているということだと思う。「生の分断化」が進むと、「過去の出来事」は既に自分から離れたどこかよそよそしいものとなり、「現在」はただ刹那的・虚無的なものとなる。そのような状況では人は生の統一的な意味を、実感を伴って把握することはできない。つまり「物語」の喪失である。現代人は昔の人に比べると、自らの「物語」を持っていない人が多いように思われる。

それでは、「物語」はナラティヴ・セラピーにおいてどのように獲得され、機能するのか。ここでは「二つの自発性」が必要とされるように思われる。一つ目は、個人が自発的に「今ここ」において「過去の出来事」を語ろうとする態度が求められる、即ち<「語る」という自発的行為>である。二つ目は、「過去の出来事の語り」が有機的に化学反応を起こし、個人の内面において今まで感じられなかった新しい意味連関(物語)が自発的に生じる、<「物語」そのものの自発的な発生>である。この二つ目の、「物語」そのものの自発的で自然発生的な側面が、当事者はもちろん、カウンセラーにとっても予測や理論化はできないものであり、そうであるからこそ「物語」説を魅力的なものとしているものであろう。

 「物語」は不思議なものである。出来事の際には当事者もおそらく意識していたわけではないのに、今現在において語るという行為を通して生まれた「物語」は、なぜか出来事を説明する際に「腑に落ちる」ものであり、かつその出来事に関わった当事者やカウンセラーまで巻き込んでの「共感」を誘うものである。しかしよく考えたらそれは当然のことかもしれない。過去の出来事を解釈するのは常に現在の意識からであるし、カウンセリングが対象としているのは過去の出来事そのものではなく、今現在のクライエントである。そもそも人の記憶は過去の出来事をありのまま忠実に再現することはできない。それでも「物語」を通して過去と現在を繋ぐ一本の糸を見つけることで、過去を現在の自分に取り込み、現在の自分の生に意味を獲得することができるのだろう。豊富な事例を交えて紹介して頂いたため、私自身ナラティヴという考え方に「腑に落ちる」ものがあった、しかし同時に理論化しきれない「物語」というものに一種の不思議さを感じたのである。

今回のセミナーに参加し、私の目標である「人間の在り方」の探求のためには、心理学などの人間科学も勉強する必要があると改めて感じた。最後に指摘するとすれば、「語る」ということは自らの意識をいったん客観化し、再解釈可能なものとする、ということだ。自らの意識について自らの頭の中で考えて突き詰めようとするのは難しい。「自分とは何か」という問いを自分の頭だけで思索すればするほど、「自分がわからなく」なるのはこのためである。それよりは、過去の出来事を語ることで、自然と自らの意識をいったん客観化し、他者とともに再解釈の場をつくるほうが、新しい意味や現在の肯定を引き出すためには有益であろう。「物語」の自然発生的側面は、語りを通した意識の客観化と対応している気がする。

多くの事例紹介を通して、「物語(narrative)」はとても魅力的な考え方だと思った。全くの素人のため上手く言葉に出来なかった感があるが、以上が私の感想である。

                 (第5号 麻本呂婆より転載しました)

 

                       辻田奈保子(奈良女子大学文学部3回生)

 

 

先月の221日に大和郡山市民交流会館にて内観セミナを開催したところ、学生の参加があり、先日、参加レポートが送られてきました。ご本人の了解が得られましたので、本欄に紹介することにしますが、紙面に制約があり、一部割愛してあります。

 

今回『日本人と"天然の無常観"』という題目の基調講演、及び事例シンポジウムに参加した。その際印象に残った点をここで述べたいと思う。

 第一に日本人が持つ天然の無常観は、日本人の自然に対する姿勢と深い関わりがあるという点が挙げられる。ここで山折哲雄先生のお話を整理してみる。日本は元来地震等の災害の多い国であり、人々は自身の手では自然の力をコントロールすることができないことを認識するようになった。それを通して天然の無常観が形成されていった可能性が考えられる。一方欧米圏の場合、特にイギリスやフランスなどを代表とする西ヨーロッパにおいては、日本のように地震は殆ど無く、自然が安定性していた為、人々の間で自然を把握し、管理化しようとする傾向が生まれた可能性が考えられる。

確かに日本人の無常観と欧米圏の自然観との間に大きな差があることは事実であると思う。欧米圏において、自然が人間によって掌握され、コントロールされる対象として見なされていることは、様々な場面から垣間見ることができるだろう。

デカルトは「方法序説」の中で、次のように述べている。

「科学に力を与え、それを数学的方法に従って応用すれば、人間は自然を制御し所有することができる」と。

そこに、欧米圏の人々が自然をコントロールするという観点を持っている様子が伺える。

しかし一方で、私たちの天然の無常観の成立の過程が、自然災害のみで説明できるかと問われれば、それについては疑問を感じる。なぜなら私たちの無常観は、自然災害によって初めて形成されたものではなく、その無常観の土台となるものが、自然災害が起きる以前から存在したのではないかと考えているからだ。理由の一つとして、欧米圏も自然災害に見舞われない安定した環境下にいたかというと、決してそうではないことが挙げられる。例えば、1315年から2年間続いた西ヨーロッパの大規模な飢饉が挙げられる。もし日本人がこの状況下に置かれた場合、どのような行動を取るだろうか。古代のように、その災害が治まるよう、祈りを捧げたかもしれない。しかし欧米圏の人々は、それに対し(先ほどのデカルトの言葉から把握できるように)科学の力で対抗しようとするのではないだろうか。そこで、二つの間に生じるこの差は一体何だろうか。それは自然の中に、「意志」を見出すか否かにあると考えることができよう。つまり、私は以下のように考えている。日本人の場合、自然の中に自分達と同じような「意志」ある存在を見出し、その対象者に対して語りかけるように歩み寄る。一方欧米圏の人々の場合、自然を意志なき対象物として見なし、制御するよう働きかける。この考え方に則った場合、日本人には元来、周囲の身近なものを「意志」ある存在と見なし、自分達と共存する者として見る性質があった可能性が考えられる。そしてその基盤があったからこそ、自然災害に自分達よりも遥かに強い力を感じ、天然の無常観を築くことができたのではないだろうか。

次に印象に残った点は、日本人には天然の無常観を知ると共に、それを受け入れる力があるのでないかと感じた。あらゆるものは変化して常に同じことはないということを、知識として獲得していたとしても、実際にそれを受け入れることは非常に難しい。例えば、私があの阪神淡路大震災に見舞われた場合を想定してみると、天然の無常観に則り、事実を受け入れることが果たしてできるかどうかについては、あまり自信がない。したがって真に無常観を会得した状態というのは、無常観を知識として獲得するだけでなく、それを受け入れ、身を持って体現することができる状態であると考えられる。

 今回の講演は宗教学、心理学の分野に止まらず、文化人類学や哲学の分野に渡る講義だった。内容は深いものであったが、様々なエピソードを交えて話をしてくださった為、非常に楽しく聴講することができた。今後このような機会があれば、是非また参加させていただきたいと思う。

 

"心身"という言葉が"こころとからだ"を意味することからすれば,"身"はからだのことになる。西洋流のマインド-ボディという二分法で見れば,"身"はボディ(身体)を意味することになるが,果たして,西洋流の理論だけで"身"を考えてよいのだろうか。

 市川浩(1992は,西洋流の「二分法でとらえた身体というのは,われわれの身体の具体的なあり方ではないのではないか,大和言葉の"み"という言葉はひじょうに広い意味を持っていて,これはやがて漢語の"身"と結びついてさらに意味が拡がる」という見解をもとにして「身の構造」を著しており,その中で,大和言葉の"み"の用法を14に類別している。要約して示せば,以下のようである。

 ①「木の実」や「果実の実」のように中身の詰まった自然的存在や内容を意味する。

②「魚の切り身」のように生命のない肉を意味する。

③「お臀の肉(み)」とか「身節が痛む」のように生命のある肉体。

④生きているからだ全体。「身もちになって,その結果身二つになる」という使い方。

⑤からだのあり方を意味するような「半身に構える」「身もだえする」という使い方。

⑥身につけているものを意味するような「身丈」「身ごろ」「身ぐるみ」という使い方。

⑦生命を意味するような「身あってのこと」「身の代金」という使い方。

⑧社会的生活存在の意味で「身すぎ世過ぎ」「身売り」のような使い方。

⑨自分の意味で「身がまま」「身のため」「身つから(自ら)」という使い方。

⑩多重人称的な自己の意味で「身ども」「お身」「身が等」という使い方。

⑪社会化した自己の意味で「身内」「身の方(味方)」という使い方。

⑫社会的地位,役割,立場の意味で「身のほど」「身を立てる」という使い方。

 ⑬心とほぼ同然の「身にしみる」「身をこがす」という使い方。

 ⑭全身全霊や全体存在の意味で「身をもって知る」「身をもって示す」という使い方。

 以上のように "み"には,多彩な意味があって深いようだ。したがって,"身調べ"における"身"は,単に『身体』を意味するだけでなく,『心』はもとより,『社会』や『全身全霊』に及んでの意味を含んでいることが知れよう。

ところで,従来,WHOが健康について「完全な肉体的,精神的及び社会的福祉の状態であり,単に疾病または病弱の存在しないことではない」と定義してきたことに対して,1998年の総会において『Spiritual(霊的)』の追加が提案された際に,賛成22,反対0,棄権8で採択されているが,我が国は棄権した国の一つであった。この国を代表して出席した委員もまた,大和言葉の"み"に⑭の意味が含まれていることを知らなかったのだろうか。

 

20回の南方熊楠(みなかた・くまぐす)賞に、元国際日本文化研究センター所長で宗教学者の山折哲雄さん(78)が決まったと、田辺市などが4日発表した。と朝日新聞の夕刊が報じています。山折先生には、去る2月28日の内観セミナーに大和郡山までお越しいただき、午前10時~午後4時半までじっくりお話を伺ったばかりなので、記事は小さかったのですが、ご縁のおかげなのか記事の方から私の目に飛び込んできました。改めて、氏の受賞を讃えたいと思います。

 

 ところで、南方熊楠といえば、和歌山の生んだ世界的な学者ですが、上京して大学予備門(東京帝国大学の前身)に入学はするものの、体操は皆欠席、勉強は好きだが学校が大嫌いということで、成績は116名中下位から8番目の劣等生だったようです。結局、中退して田舎へ戻ったので、形式的な学歴は中卒になっていますが、1892年~1900年まで、イギリスに滞在し、主として、大英博物館で、十数ヵ国語の本を読み、それを書き写して頭に入れこむことに没頭していたとのことです。当時の英国で孫文とも親交を結んだと言われております。

 

 じつは、これらの知識は、昨年の秋に白浜温泉に宿をとって、その足で南方熊楠記念館を訪ねた際に仕入れたものですが、そこでいろんなエピソードを聞くことが出来ました。印象に残ったエピソードを一つだけ本欄に紹介すると、こうです。

 

「南方は、粘菌その他の標本を手作りしていたこともあって、土地の職人との付き合いを大切にしていたらしく、よく近所の床屋に行って、来る人来る人をつかまえて色々な話を聞いた。また、自宅にお風呂があるのに、銭湯に行くのを楽しみにしていた。そこで、長時間にもわたって 入れ替わり立ち替わり入ってくる町の古老や職人をつかまえては話を聞いていたそうだ。さまざまな職業の人から話を聞いて、そこから知識や知恵を得ていたようであるが、それは江戸時代の庶民文学を読んだ南方がその庶民生活に影響を受けたものと思われる。まさに"浮世床"と"浮世風呂"における人間模様である。」

 

さて、授賞理由について新聞には、次のように紹介されていました。

 

「古代インドや欧米にも及ぶ宗教思想の研究で知られ、宮沢賢治や美空ひばり、天皇制にわたる幅広い考察で日本の文化に迫る。著作も多彩で多数にのぼることから、世界的視野の博物学者だった南方熊楠を記念する賞にふさわしいと評価された。」

 

その南方熊楠と山折哲雄先生が私にはダブって感じられました。というのも、山折先生とご一緒していて、対談の名手だと思ったからです。講演も分かりやすく聴衆をひきつけていましたが、それ以上に対談に移ってからの方が、山折先生は生き生きとして見えましたし、質問されることによって、次々と話題が広がって、参加者を喜ばせるだけでなく、自らも話しの展開を楽しんでいるようにみえました。

 

「対談というのは、おもしろいね。思ってもいなかったことが出てきて、自分でもびっくりしましたよ。やぁ、今日は疲れたけど楽しかった。」

 

山折先生は、見送りの車中で運転席の私に向かってそう言われた。駅に着いて、その日の対談によほど満足されたのか、別れ際に握手を求めてこられた。