2010年4月アーカイブ

昨年の2009年は9月に第2回中国内観療法学会大会が山東省淄博市にて開催されているが、車で片道4時間余の青島空港まで新旧お二人の学会長が運転手とスタッフを伴って、私たちを出迎えてくれた。彼国の習慣と言えばそうかもしれないが、当方としては恐縮千万であった。再会を喜び合ったあと、車中での会話はやはり内観を巡るテーマが中心であった。そして、文化と心理療法についての話題になったとき、「来年の20104月に上海で国際文化精神医学大会が開催される予定です。ぜひ講師としてワークショップに参加してくれませんか?テーマは"文化と心理療法"の予定になっています。」という誘いを受けた。

というわけで、今年の2010416日~19日まで上海へ行ってきた。17日は森田と内観の研修会に、18日は国際文化精神医学大会のワークショップに参加して日中文化の相違に焦点を絞って話をした。中国では学会などにゲストを迎えたとき、盛りだくさんの料理を用意して歓迎の意を表すが、今回もまた心のこもったもてなしを受けて、会話も弾み楽しいひと時を過ごした。ところが、印象に残ったことと言えば、前夜の歓迎会のごちそうよりも、翌日の内観研修会の昼休み、すなわち昼食の席で聞いた話題である。ちなみに昼食は、カレー入りの弁当であった。中国でもカレーは子どもから大人まで人気のある食べ物だという。

「この4月から中国では内観療法に健康保険の適用が認められることになりました。」と王教授は、病院内に併設された喫茶レストランで注文した弁当を待つ間にそう言った。中国に内観療法を導入した頃からの夢が実現したわけなので、みんなで喜びを分かち合ったことは言うまでもないが、そのあとすぐに午後のセッションが控えていたので、ひとまず中国茶で乾杯をした。食事を口に運びながら、内観療法の時間や料金などきわめて現実的な話になった。詳細は他日を期すことにするが、話を聞いて "名よりも実を尊ぶ"中国人の生き方には感服してしまった。到底、日本の精神科医や臨床心理士などが考えもつかない現実感覚と行動力を垣間に見せてもらった。これも文化の違いといえばそうかもしれない。日本を職人文化だとすれば、中国は商人文化だと評した評論家がいたが、もし、その通りだとすれば、内観は日本人が作って、中国人が世界に売ってくれることになるのだろうか。

さて、午後の私の講演は、なんと3時間という長時間であった。参加者は、70名余。途中で休憩を挟む予定が、質問攻めにあってとうとう休憩なしで終了時間を迎えてしまった。何しろ大半が遠方からの参加者のようであり、みな真剣なのだ。中には汽車で半日がかりという人もいた。最後に、ある精神科医から「日本で、内観療法は健康保険が適用されていますか?」という質問があった。昼食時に中国の状況を聞いていたので、答えるのは難しくなかった。

「いまや内観療法は、中国の方が先進国です。残念ながら日本は後進国になってしまいました。たぶん、欧米や東南アジア諸国で保険が適用されたというニュースが日本に伝われば、日本政府も動き出すと思います。」と答えたあと、急に全身を疲労感が走った。

 先週の金曜日から今週の月曜日まで国際文化精神医学会大会に出席するために上海へ行ってきました。418日は日曜日のことですが、午後からのワークショップで座長と講師の二役を務めることになっていましたが、午前中の空き時間を利用して、上海博物館を見学しました。入場料が無料ということもあって、上海市民はもとより、地方からもたくさんの人たちが押し掛けてきており、すでに入口は長蛇の列でした。最後尾に並んで待つことおよそ45分、もうすぐ入口だというところまできた時のことです。一人の中年男性が並んでいる中年女性に近づき、まるで家族か知人のように振る舞って見せて、私たちのすぐ前の列に割り込んだのです。すると、その後ろに並んでいた若い夫婦がその割り込みを見逃さずに、女性の方が大声でその男性を咎めたのです。どうやら中年女性はその男性とは赤の他人であり、男の方が列に入るために知人のようにふるまっただけだということが後で分かりました。しかし、咎められたにもかかわらず、割り込んだ男性も負けてはいません。大声で反論して見せたのです。二人の争いにその女性の夫も加わったところから周囲もそれに気付きました。すると、割り込んだ男性に対して列の前後のあっちこっちから非難の声が上がりました。そして、中国語の応酬が私たちの頭を超えてしばらく続きました。まるでドラマを見ているようです。男の抵抗が激しくなるにつれて、周囲から非難の声が徐々に増えて行きました。さすがに割り込み男もそれには耐えられなくなったらしく、ついに列の最後尾に退散してしまいました。男がいなくなると、先ほどまでの争いが嘘のように、その場は以前の雰囲気に戻っていました。「怒り」というのは、溜めると引きずるがうまく表出してしまえば、あとくされが残らないものだということを、中国人の争いをみて思いました。

 さて、翌日は帰国のため上海浦東空港にて、やはり長い列に並ぶはめになりました。そこで、昨日のことが私の脳裏を横切ったのです。そこで、同行のH先生にそのことを話したところ、実験を試みようということになりました。列を作っているのは、ほとんど日本人でした。「割り込み」に対する日中の比較文化を調査することにしたのです。具体的には、最後尾にいたH先生に列の前列に割り込んでもらい、反応を見ようと言うわけです。その場面をビデオで録画するのが私の役目と決まりました。H先生は躊躇いながらも研究者魂を発揮して、この実験にチャレンジしてくれました。

 結果は、前日の上海博物館とは違って、日本人の場合、割り込みに対して嫌な表情を見せながらも誰も声を荒げてH先生の割り込みを非難する人はいません。周囲の人たちも見て見ぬふりと言うか、事なかれといった態度でした。

 たしかに博物館と空港という場面の違いはありますが、日本人と中国人は、「怒り」の表現の仕方に大きな違いがあることを痛感させられました。 

 

33回日本内観学会(長崎)大会は、表題のテーマでシンポジウムを企画したようです。私も依頼されてシンポジウムに参加することになりましたので、締め切り少し前に、抄録用の原稿が出来上がったので、大会事務局にお送りしました。そこで、今回の本欄において拙文を紹介してみることにしました。

 

【はじめに】

塚崎稔大会長より本シンポジウムにおけるコメンテーターの指名を受けて、その役割の一環として抄録用のコメントを記すよう依頼があった。その際に、各シンポジスト抄録原稿に目を通したうえで原稿を作成してほしいとのことであった。

【テーマ解題】

いつの時代も若者は、不可解な存在である。年長者から見てそうだと言うだけでなく、若者自身もまた自分の中に不可解なものが存在していることに戸惑っている様子は、若きヴェルテルの悩みを例に出すまでもなく、それこそ枚挙にいとまがない。そして若者は、当の若者(youth)だけでなく老人の中にも潜んでいる。

【各シンポジストの抄録を読んで】

若者の本質は変わらない」と元高校教師の池上氏が言う時,それはご自身の中に潜在している"youth"への着目から生まれた言葉のように思われる。つまり,それは徹底した自己観察の過程で,洞察した見解だとみてよいだろう。

一方、精神科医の松本喜代隆氏が「子どもたちの時代性,大人の時代性」について,法務技官の長増敏洋氏は少年院で内観面接担当者として出会ってきた若者について述べているが、それは臨床家と教育者の視点で捉えた若者像だと言ってよいだろう。

つまり,自分がかかわってきた若者たちを観察した結果に得られた知見である。

したがって,前者と後者の視点には相違がある。それを、当日の司会者がどのようにリードして議論を展開してくれるのか,大いに楽しみにしている。

抄録原稿を書いているこの時点では,上海交通大学医学部の王祖承教授(精神科医)の原稿が届いていないようなので,王氏の発言内容を知る由もないが,おそらく,中国の若者事情について話してくれるのではないだろうか。そうなれば日中の若者事情の比較が話題になってくるはずなので,さらに興味が膨らむところである。

 

【シンポジウムへの期待】

抄録を読む限り,当日は,シンポジスト各氏がこれまでの豊富な経験と博識に基づいた話題を提供してくれそうなので,それに刺激されてフロアからの質疑も活発化するであろう,という期待がある。

 

【起】

日本に駐在する米軍基地の75%が沖縄にあることは知られているようで、意外にもそれほど知られているわけではない。実際、「沖縄が好きで毎年行っているんです」という学生にそのことを聞いたら知らないという答えが返ってきた。何人かの知り合いにも同様の質問を試みたことがあるが、正確な数字を言い当てた人はいなかった。

そして、この国に初めて選挙による政権交代が行われ、民主党の鳩山政権が誕生した。

いま、その鳩山民主党が沖縄の普天間にある米軍基地を別の場所に移設しようと取り組んでくれているが、問題は単純にはいかないらしく、混迷を深めている。

【承】

何年ぶりだろうか、これまでに学会や講演などでしばしば一人で帰省したことはあるが、家族そろって沖縄に帰省した。子どもたちと先祖の墓へ参った後、その晩は、親戚が40名近く集まってくれて親交を深めた。翌日は子どもたちに沖縄戦の現場を見せたくて南風原にある陸軍病院跡の壕を見学した。安仁屋さんと名乗るボランティア・ガイドの案内で当時の負傷兵が寝かされたという粗末なベッドを目の当たりにした息子は、衝撃を受けていた。若い看護学生たちの命がけの献身ぶりを聞きながら、妻は涙をぬぐった。改めて戦争の悲惨さを痛感することになった。

【転】

平和の有り難さを噛みしめつつ、翌々日は、甲子園球場で開催されている第82回選抜高校野球大会をテレビで観戦した。その時間帯は、沖縄全体がテレビにくぎ付けになったからだ。応援の甲斐あって、興南高校が智辯和歌山 を72で下し、沖縄中が歓喜した。今大会は、沖縄から大会史上で初めて2校(県立嘉手納高校と私立興南高校)が出場を果たした。残念ながら、嘉手納高校は初日の第二試合で花咲徳栄 (埼玉)40空しく敗退してしまった。嘉手納といえば、200機近くの米軍機が常駐する極東最大の米軍基地があるところとして知られている。その近くの沖縄市に住んでいる義姉は、隣の市から甲子園に出場したというので、応援ツアーに参加してきたとのこと。沖縄らしいと言えばそれだけのことである。

一方、興南高校は、雨天順延が続き大会4日目になって最初の試合が組まれたが、ビギンが唄ってブレイクした「おじい自慢のオリオンビール」の歌詞ではないが、順調に勝ち進んで、「野球応援甲子園/明日は準々決勝ど/夜から応援しておくさ」とあいなった。

 「今度は決勝戦だぞ、興南高校が決勝へ進んだら甲子園にいくぞ」と、会う人、会う人が口々にそう言っていた。

【結】

なんと、その通りになって、興南高校は日大三高(東京)との決勝戦へとコマを進めた。そして、4月3日の土曜日は快晴の中で、決勝戦が行われた。いつも予定で詰まっているはずの私のスケジュールなのに、その日は偶然にも空いた。急遽切符を手配してもらって、甲子園のアルプススタンドで声援を送った。私の後ろには、力投を続けた島袋投手のおばぁがいた。手に汗を握る攻防が続いた。得点するたびにそのおばぁと手を取り合って喜んだが、ピンチになるとおばぁは両手を胸にあわせ、真剣な表情でマウンド上の孫を見つめて、必死にご先祖様に祈っていた。祈っているおばぁの姿は、平和を祈る姿を連想させて、まぶしく美しかった。

そして、延長戦(12回)の末10―5で初優勝を飾った瞬間、アルプススタンドは一体感に包まれた。指笛を鳴らし、みんなでカチャーシを踊った。つかの間の平和が甲子園球場を包んだ。相手の日大三高の応援席とエールを交換してお互いの健闘をたたえ合った。平和は一体感から生まれるようだ。

ところで、普天間の米軍基地はどうなるのだろうか? いつになったら、米軍基地が撤去されて、ほんとうの平和がこの国に訪れるのだろうか?

「内観セミナーに参加された学生さんのレポートに"天然の無常観"という言葉があり興味を覚えました。無常という言葉は、平家物語の冒頭の一句"祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり"が記憶にありますが、いったいどういう意味でしょうか?また、罪悪感との関係についても教えていただけければ幸いです。」

 小欄を楽しみにしているという読者の方から上記のような質問が寄せられました。

そこで、手元にある文献(仏教語源散策)などを参照しつつ返事を書いて送りました。今回は、その返事の一部を抜粋して紹介することにします。

 

 『無常』は、サンスクリット語では『アニティヤ(anitya)』と言うようです。anityaは、nityaという『常の』『永久の』『恒久の』『不変の』などを意味する形容詞ですが、それに『a』という否定の意味を持つ接頭字がついて『常でない』『非永久的な』『一時的な』などの意味になります。したがって、『諸行無常』とは、『われわれが経験するすべてのものは、恒久的なものはなく、変化するものだ』という意味であり、それから派生して『死』をも意味するようになってきましたが、本来はただちに『死』と結びつく言葉ではありません。けれども『無常の煙』といえば、『火葬の煙』のことであり、『無常観』は『罪悪感』とセットになって内観の真髄へ導くキーワードになっています。

 

 <内観の真髄へ導くもの>

 周知のように、内観は自由に連想を語るのと違って、課題が設けられています。吉本伊信は、3項目の中では"迷惑"を、その他では"嘘と盗み"という課題を重視していますが、それはなぜかと言いますと、そこに内観の真髄を見ていたからです。吉本が好んで口にした法話の一節に次のような句があります。

"我が身は悪しきいたずら者と思えば自力はすたるなり"

『今死んだらどこへ行くのか』と無常観に最大のポイントを置いてきた"身調べ"に対して、内観では罪悪感に重点を移しました。その理由として『今死んだらどこへ行くのかを真剣に思える人は、もうすでに相当深く進んでいる人と考えていいから』と説いています。

つまり、悟りの境地に導く無常観へ至るには、罪悪感を観取する必要があって、そのためには『自分の罪を知ることが死をとりつめる近道だ』と考えたのです。

 

<罪悪感から無常観へ>

  "身調べ"の時代は、罪悪感を観取するために『善いことと悪いこと、どちらが多かったですか?』という課題を内観者に問うておりました。しかし、その方法では具体的な罪悪感が出づらいと考えた吉本は、内観に3項目を設けただけでなく、"嘘と盗み"というテーマを設定しました。このように内観は身調べに比べて、与えられたテーマが具体的になった分だけ取り組みやすくなったと言われています。ところで、3項目に止まらず、なにゆえ内観では"嘘と盗み"を追加したのでしょうか?吉本の答えはこうです。

『口先では私は罪人ですといっておっても、他人から泥棒と言われると、何を!と怒るのであります。怒るということは'私は罪人でございます'と言っているのが、実は表面だけのことなのだということを示していることになります。本当の罪人と自覚するには、深い反省が必要です。罪人が罪人だったと悟った時、真理の目が開けるのです。』

 つまり、吉本は自身の体験から内観が悟り(転迷開悟)の境地を獲得することに目標を置くならば、"嘘と盗み"のテーマこそ罪悪感を伴って無常観へ至る王道となる、と考えたようです。

 

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