2010年9月アーカイブ

敬愛する長島正博先生が今年の5月21日に黄泉(元々、ヨミは夢のことを指していた)の国へ旅立ちました。

 「昨夜もまた、すでに亡くなってこの世にはいない人が夢に出てきたんですよ。この頃、父親をはじめ、親戚の人たちが入れ替わり立ち替わり、夢に現れるんです。」

 大和内観研修所でお泊まりいただいた翌朝のことです。いつも朝が早いという長島先生は、洗面を済ませた後に台所に来られて、朝食前のお茶を喫みながらそう話し始めたのです。それは昨年(2009年)の1月11日のことで、記憶が確かなのは、内観学会の理事会が前日の1月10日から行われていたからです。

 「そういう夢を見たときは、沖縄ではグソウ(後生)が近いと言いますけどね。」

私はお茶を一口含んだあと、夢解釈というわけではないのですが、子どもの頃に見聞きしてきたことそのままを伝えたのです。

 内観関係者の間では、機会があれば、"死"を話題にすることは、珍しいことではありません。ましてや長島先生といえば、吉本伊信師の高弟として無常観の看取に取り組んできたお方です。私自身は、長島先生が吉本伊信師の助手時代に面識を得て以来、幾度となく"死の問題"について語るのを聞いてきましたので、"あの世が近い"という話題も自然にできたのですが、正直言って、その時はまだお互いに差し迫った気持ちはありませんでした。

 ところが、その年の八月に健康診断を受けた長島先生は、膵臓にがんが見つかり、医師から末期で余命まで告げられたらしく、ご本人がメールで知らせてきました。振り返れば、あの世の人たちが登場する夢の話しのとき、すでに体は癌細胞に蝕まれて深刻な事態に陥っていたことになります。すると、やはりあれは、夢の知らせだったということになるでしょうか。そうとは知らずに、私たちは、それを単に沖縄の言い伝えとして話題にしただけでした。

もし、その場に沖縄のおばぁが居合わせていれば、すこし事情は変わったかもしれません。沖縄のおばぁは、今でも夢の知らせを夢物語として済ませず、現実世界へのメッセージとして受け取っているからです。実際、我が家でもそうですが、おばぁたちは、遠く離れて暮らしている子や孫の夢を見た日には、必ずと言っていいほど、電話をかけてきて、「夢の中で元気がなかったけど、体は大丈夫ね~、すぐにでも病院へ行って検査を受けなさいよぉ~」などと言ってくるのです。

 さて、余命を宣告されたことによって、ついに長島先生にとっても"死"が一人称となったのですが、果たして自分自身の"死"とどのように向き合い、対処されたのか、内観界にはそれに関心を持つ人が少なくありません。実際、長島先生亡き後のことですが、私のところにまで、死とどう向き合われたのか、と訊いてくる方もいます。

余命を知らされた後に長島先生と電話で話す機会がありましたが、ご自分のことよりも遺される家族のことを一番に案じておられたからです。とりわけ、ご高齢の母親より先に息子の自分が先立つことになり、それを思うと辛くなるらしく、結局、出した結論は、最期まで母親には一切のことを知らせないようにした、と言うのです。

 「他者の死を想定するばかりか、己の死を身近に感じて思考するのが本来の内観です。私自身、いつ他の人と同様に命が果てるのかわからない身なのですから・・・・・。」

 これは「内観で〈自分〉と出会う」という著書の中で、長島先生が記した文章ですが、その言葉通りに、さいごの最期まで内観者のお世話をしつつ、自分の"死"と向き合い、淡々と自然体で生きておられた、と聞いております。このひと月は、原稿を依頼されたこともあって、長島先生のことがふと思い出され、夢にまで登場することがありました。ご本人の了解なしに本誌に述べるのは気が引けるのですが、夢主の責任において夢の中で長島先生が語ったことを紹介することにします。

「自分はいつも吉本伊信先生を目標に内観を続けてきました。師匠の域に到達したいとは思っていましたが、師匠を越えようなどと考えたことはなかったなぁ、と改めて気付きました。そのせいですかねぇ、内観もそうですが、寿命においても吉本先生を越えるどころか、到達することさえできませんでした。しかし、それを後悔はしていません。自分という人間はそういう生き方がふさわしいと思うからです。」

この夢の解釈はともかくとして、長島先生らしい発言に、私は一人で納得してしまいました。これまで本誌に掲載してきた拙文をまとめて「大和まほろばの会」から「内観をめぐるはなし」として刊行するにあたって、長島先生は会長として祝辞を寄せてくれました。そこには、謙虚で誠実な人間性が表れていて、いまその文章は私の宝物になっています。

(本文は、やすら樹123号から抜粋して短縮したものです。)

 

 今年の115日に韓国のソウルで国際内観シンポジウムが開催されることになっていますが、シンポジストには当日の講演原稿の提出が求められており、今日がその原稿の締め切りの日でした。何とか締め切りに間に合わせて原稿を送ることができましたので、本欄にその一部、と言っても導入部だけになりますが、紹介しておきます。

 シンポジウムのテーマは、「自殺問題と内観」となっていますが、それをテーマに掲げた理由として、韓国の国内事情があるようです。韓国では有名俳優だけでなく、若者の自殺が急増しており、大きな社会問題となっているからです。他のシンポジストの方々は、うつ病との関連でその問題について話題にするようですが、私は「学生に生きる力を与える内観的授業を試みて(Attempting the Naikan-style Class Giving Energy to Live to Students )」というテーマにしました。さわりを示せば、以下のようです。

 

はじめに

私は臨床心理士であり、女子大学において臨床心理学の講座を担当しているが、授業の中で内観療法について講じるだけでなく、内観実習を取り入れている。

これまで高校の授業のなかに内観を導入した研究(原田さよ子 1989・ 勝見ひろみ 2009)によれば、一定の効果が報告されている。原田は「50分の音楽の授業で5分間の集団内観を導入した」結果、「残りの45分間の授業が集中して充実したものになる」と報告している。勝見は「国語科の授業において、内観法を用いることで従来の手法に拠るよりも、より効果的な学習を目指す」ことを目的に研究をおこなった結果、「創作のための想像力の喚起に有効と思われる」という結論を導き出しているが、両者とも50分という短い時間の中で内観を導入して成果を上げている。ならば、大学の授業に内観を導入すれば、より大きな成果が期待できるのではと考えた。 

ところで、報道によれば韓国でも若者の自殺が増えているようであるが、日本も例外ではない。私の勤める大学は女子大学ということもあって、女性に多く発症すると言われている摂食障害はもとより、「生きること」に疑問を抱いたり、人生における様々な悩みに直面している学生も少なからず在籍している。

というわけで、臨床心理学の授業は、単に知識を提供するだけでなく、学生の精神衛生に寄与する工夫が必要になってくる。若者の自殺の背後には、「生きること」への不安や恐怖が見て取れる。表現を変えれば、「存在感(identity)」の希薄さが若者の精神を不安定にしているように思われる。内観を学び、内観を体験することによって「家族とのつながりを確信することが出来た」と学生たちは口々に言う。これらの経験から内観は生きる力を引き出してくれると考えられる。シンポジウムの当日は、それについて話したいと思うが、それに先だって、韓国の参加者のために内観の紹介をしておこう。なぜならば、今回、韓国において、二度目の国際内観シンポジウムが開催されることになっているが、内観療法は、韓国の精神医学や臨床心理学の専門家の方々にもまだよく知られていないと思われるからである。

 

 

 

このたび、私が所属する文学部人間科学科では、地域の皆様方に貢献しようと言う目的で、無料公開講座を企画しました。各界から専門家を招いて、本学の教員が協力し、以下の内容でワークショップや講演会並びにシンポジウムを行うことにしました。

 興味と関心のある方は、ふるってご参加ください。お待ちしております。

 

1、平成22925日(土)

時間: 午後100分受付   開演は、1時半~400分 

講座名:思いを受けとめるからだ・関係をつなぐ動き(Ⅱ)‐ダンス/ムーブメントセラピー

【ワークショップ‐開催趣旨】

ダンス/ムーブメントセラピーは、動きを通じて自己の表現能力を獲得しながら自己

認識を促し、心身の統合や自己の回復・成長をめざす芸術療法の一つです。アメリカ

に始まったこの療法は近年、日本においても医療、福祉、教育などの臨床場面で実践

が試みられています。当講座において昨年度は、精神科デイケアや知的障害児サーク

ルにおけるダンス/ムーブメントセラピーの実践について報告していただきました。

今回はダンスセラピストの荒川香代子氏を迎えて、ダンス/ムーブメントセラピーを

体験します。自分ひとりで、または誰かとともに動くことで生まれる感覚や感情に着

目して、「動き」を取り上げる意味や、その「動き」が自分にもたらすイメージや変

化、さらにそれらを率直に受けとめるプロセスについて考えてみます。

講師:荒川香代子   企画担当者:成瀬九美

MA, ADTR (アメリカダンスセラピー協会認定有資格指導者)、日本ダンスセラピー

協会公認ダンスセラピスト。ボディ・マインド・ヘルスセンター代表。

<参加者の方へ>

 動きやすい服装でお越しください。上靴は不要です。 なお、心身のトラブルで現在治療中の方は事前にお知らせください。

2、10月2日(土)受付時間は、午後1時~

 開始時間:1時半~2時半

 基調講演:巽信夫(信州大学病院精神科メンタルヘルス外来専任医)

「いのちの時代を迎えての、メンタルヘルス活動」

 

 シンポジウム:2時半~5時

シンポジスト:東睦広( 日本赤十字社和歌山医療センター 精神科医)

        「日本における自殺対策の現状」

       王紅欣(中国無錫市精神衛生中心 精神科医)

        「中国における自殺問題の現状」

 座 長:真栄城輝明

【基調講演】

  まず、様々な障害や困難の背景に、モノ的文明の限りない発展に伴う、人間不在化傾向が窺えます。 とりわけ、効率性や細分化、均質化を余儀なくされている昨今、人と人との生きたつながりの喪失こそは、メンタルヘルス支援活動における、基本テーマと受け止めています。

 と同時に、障害や、困難は、生きなおしに向けてのチャンスという視点こそ、"いのち"の裡に潜む、自己再生や、自己成長力を促すうえで、基本になるかと思います。

当日は、次世代コミュニテイ活動の実情や具体的事例をまじえ、モノ的時代から、いのちの時代に向けての、新たなつながりの胎動状況にも触れてみていとおもいます。

3、1023日(土)

 受付は、午後1時~

 相談会:午後1時半~3時

 臨床心理士や臨床発達心理士などの資格を持つ本学の教員が、参加者本人はもとより、子どもの問題についての悩みにお答えします。ただし、個別相談ではなく、集団の場での質疑応答と言う形で行われることをご了解ください。その後、3時15分~5時まで、児童精神科医による講演(最近の子ども事情)を行うことになっております。

  

公開講演:飯田 順三(奈良県立医科大学看護学科 人間発達学)

演題:最近の子ども事情

                       

 最近の子どもは耐性が乏しく、短絡的・衝動的で、すぐ「キレる」と言われている。また対人関係が苦手で、些細なことで傷つきやすい。心の健康に問題を抱えている子どもも増加している。最近の子どもの生活を覗いてみると、就寝時間が遅くなり、ゲームや携帯電話を使用している時間が長くなっている。また一方で塾や習い事などでゆとりがないことも多い。

そのような生活環境の問題以外にも子どもたちがキレやすくなっている要因がいくつか挙げられる。近年虐待が増加しているが、親子関係における愛着障害の問題が子どもの衝動性と関係していることが推測される。また脳内のセロトニン欠乏症も生活リズムの乱れと関連しながらキレやすい要因の一つとなっている。その他発達障害の問題やパーソナリティ障害の問題も関連しており、当日はそれらに触れながら対応策を考えてみたい。

 

 

4、1113日(土)

公開講演:アルコール依存症

講師:植松直道(植松クリニック院長)

 

 「アルコール依存症は病気です。病気だから治さねばなりません。また治すことができます。」

 これは断酒会の家族の誓いの冒頭の一節です。アルコール依存症は、本人を苦しめるだけではなく家族も苦しめる病気です。誰でもなる病気にもかかわらず、自分だけは依存症と無縁だと思って飲んでいるうちに依存症になってしまう病気であります。

 最近は人口の高齢化と共に、長期間の飲酒歴のある60歳代、70歳代の男性のアルコール依存症が増えてきました。

 アルコール依存症は飲酒の抑制障害が特徴的な病気です。一杯飲むとなかなか止めることができず、結局は酔うまで飲んでしまうという病気です。そのためアルコール依存症という病気から回復するには、一杯の酒に手を出さない、つまり断酒することが是非とも必要です。断酒を続けて行くことは、困難なことですが、断酒会には、立派に酒をやめている人が多くいます。

 当日は、断酒会の方の体験を聞き、アルコール依存症という病気について考えてみたいと思います。

 

            体験発表:アルコール依存症からの回復

            発表者:高橋昌弘(奈良断酒会事務局長)他3名

 

前回、奈良断酒連合会が38周年を迎えて、挨拶文を依頼された際に、阿修羅について紹介しましたが、一昨日は、愛知アメシストの会に招かれて名古屋の断酒会館で開催された学習会に参加してきました。アメシストとは、ギリシャ神話に由来するものですが、断酒会では女性のアルコール依存症者のことを呼んでいます。

 学習会は、夕方の6時に始まり、終わったのが夜の9時でした。そこでも私は与えられた講演の時間に「阿修羅の正義」について、ひろさちや氏の著書(わたしの中の阿修羅)を参考にしつつ、紹介しました。本欄には、講演の一部を抜粋して紹介することにします。

 

 古代のインドの神話では、アスラはインドラと並ぶ二大神である。アスラは正義の神であり、インドラは力の神であった。アスラにはスジャーと名付けられた美貌の娘がいた。インドラは、直情径行で傍若無人な神であった。ある日、街でスジャーを見たインドラは、欲情し、自分の宮殿に連れ込んで、暴力によって犯し、自分の女にしてしまった。当然のことながら、父のアスラは、怒った。そして、武器を持ってインドラを攻めるが、相手は力の神である。無残にも敗北となる。しかし、アスラはあきらめることを知らない正義の神だ。三度四度・・・と執拗に挑むのであるが、敗北を重ねる。竹槍をもって戦車に挑むようなものだが、アスラの怒りは収まらない。怨念の主と化したアスラには、戦うことしか知らなかった。その後、スジャーはインドラの子を産んでその妻となったにもかかわらず、それでもなお、インドラに対するアスラの憎しみは、増大こそすれ減ることはなかった。いまや、娘の婿となり、孫までできたと言うのに、インドラを許し、和解するなどと言うことは、アスラには思いもつかなかった。

 この神話の時代(紀元前2世紀~紀元後2世紀)の論理と倫理は、現在(21世紀)のそれとは違って、他の部族から女を拉致してきて、自分の妻にする略奪婚が当たり前とされていた。現代の倫理からすれば、到底認めることはできない不正義なことであるが、当時は認められていた。いまの時代でみれば、正義はアスラにあるが、時代によって倫理とか正義というものは、変遷していくものである。おそらく、当時の人々から見れば、アスラの怒りは執拗に過ぎて、不可解に思われたにちがいない。つまり、「阿修羅の正義」を単数形の正義だとひろさちや氏は指摘している。ひろ氏によれば、本来、正義というものは、複数形だと言うのである。アスラにはアスラの、インドラにはインドラの、スジャーにはスジャーの正義があってよいはずなのに、アスラには自分の正義以外を認めることはできなかった。そこが、アスラの問題であるが、忠告する神もいなければ、自己洞察の機会もなかった。内観は相手の立場に立って、自己を観察することである。アスラに必要なことは、まさに内観することであった、と思われる。少なくとも、私はそう思う。

 アメシストはもとより、断酒会の会員のなかには、自分の正義に酔っている人を見受けることがある。日本の政治家のなかにもそういう人は少なくない。その酔いからさめるには、内観をすることが一番である。私が言いたかったことはそのことである。