2010年12月アーカイブ

世間は、クリスマスムードで盛り上がっているというのに、大学4回生は卒業論文に追われ、それどころではありません。ということは、4回生を担当する教員もこの時期は同じようにクリスマスどころではないのです。昨日は、ゼミ生(4回生5名と研究生1名)がパソコン持参で研修所にやってきました。そして、朝の9時~夜7時半まで卒論の指導のため教員も学生も缶詰め状態でした。私は、内観面接の合間に卒論指導を行っているつもりでしたが、いつの間にか卒論指導の方により時間が割かれ、卒論指導の合間に内観面接を行うという具合でした。結局、ほとんど一日を卒論指導に費やしたというわけです。

 文章の指導をしていて気が付いたことがありました。文章にはその人の性格が反映されるということです。たとえば、せっかちな人は、文章も弾んでいて飛躍が多いのに対して、のんびり屋の人は、なかなか文章が展開しないのです。まさに各人各様なのですが、当の学生本人はそれに気づいていないのです。卒論指導の仕方はいろいろあると思いますが、昨日は、まずそれに気づいてもらうことから始めました。なぜそうしたかと言いますと、自分の文章の特徴を知ることによって、自分の性格を知るからです。自分の性格を知った学生は、文章作成のスピードが速くなるからです。「内観を体験した後、文章作成が楽になりました。」と言った人がいましたが、全くその通りだと思います。と言うのも、内観は相手の立場になって考える訓練のようなものですから、内観が出来るようになるということは、相手の立場になって世界を見ることが出来るようになった証拠です。

 じっさい、ゼミ生の中で文章化の作業が一番進んでいる学生は、集中内観の体験者でした。読者の視線で文章化しているので、読んでいて、分かりやすいのです。

 こんなところにも内観効果が現れるのかと思った次第です。

平成221113()のことですが、奈良女子大学は平成22年度地域貢献事業として連続公開講座を開催しました。その第4回目は表題のテーマで、講演と体験発表が行われました。先日、体験発表者の高橋弘昌氏よりテープを興したという原稿がメールで送られてきましたので、ご本人の了解を得て本欄に掲載することにしました。

 

本人の立場から

奈良若草断酒会 郡山支部 髙橋弘昌

 

 皆さんこんにちは、奈良若草断酒会の高橋と申します。簡単に自己紹介させていただきます。

 私は昭和26年、兵庫県の姫路市で生まれました。姫路市と言うのは城下町で古い町なんですけれども、ホントに周り中が親戚だらけと言うのですか、向こう3軒両隣、5軒のうち3軒が親戚ですし、裏も親戚だし、親戚だらけ。そんな中で私は酒に溺れていきました。だから辛い想いだとか、恥ずかしい想いが一杯あるんですけれど、それでも私の酒は止まりませんでした。

 元々の酒癖が悪いんです。そして、最初から沢山飲めました。小学校の時に友達の家で梅酒の実を食べて酔っ払ってしまって友達の姉さんにえらい絡んだとか、高校の時に2回ほど酒飲みましたが最初から一升酒でブラックアウトを起こしていました。

 私は晩酌の経験がないいんです。年に何回か飲んでいました。その度に問題を起こしていましたが、そのことが恥ずかしい事だとは思っていませんでした。それどころか、酒癖が悪いのは男の勲章だと勘違いしていました。沢山飲めてくだの一つも二つも巻くのが男の酒だと勘違いしていたので酒癖の悪さを反省することはありませんでした。

 26歳の時、親父とお袋が離婚しました。8つ下の弟がおって、弟はお袋と一緒に住むんですけれど家庭内暴力だとか登校拒否の問題があってお袋から毎日のように悲鳴の電話が掛かってきました。仕方がないので姫路に帰って親父と一緒に住むんですけれども、そこで親父と一緒に酒を飲むようになりました。確かに幾つもの問題があったんです。例えばお袋が首吊って死んでしまうとか、それも首を吊る数時間前まで電話で話をしていて、そんな事がありました。

 私は飲み始めて急速に酒に溺れていきました。私は姫路生まれの姫路育ちだったので、同級生だとか友達だとか、そんなんが地元に沢山いたし、元左翼で全国にアナキストの運動を広げようとか寄せ場の活動もやっていましたから色んなところに友人がいたはずなのに、1年もせんうちに友達なんか誰もいなくなりました。

 例えば、友人に団地が当たったからお祝いをする訳です。僕、酔っ払ってしまって畳の上にションベンするんです。そしたら友達怒りますわ。それを私は、「何、グダグダ言うとるんじゃ。男のくせに何しょうもないこと言うとるんじゃ。畳ぐらい拭いたらしまいやろ」。そりゃ怒りますわ。「もうお前なんかと付きおうておれるか」、てなもんで切られてしまう。冷たい目と言うのですか、腹が立つだとか、喧嘩するだとか、そんなんじゃなくて切られてしまうのです。一人切られ、二人切られ、三人切られ、「お前だけが友達と違うんじゃい」と言って別の所に行くのですが、そこでまた切られてしまう。姫路だけと違って大阪の釜ヶ崎だとか福井県だとか、横浜だとか、千葉だとか、色んなとこ回って、それで切られまくって姫路に帰ってきたんです。姫路に帰ってきてしばらくはおとなしくしているのですが、また酒を飲んで同じ事の繰り返し。

 段々、段々とお金の喧嘩が始まる。最初の内は1ヶ月の小遣いを貰っていたのですが、1週間もせんうちに遣ってしまう。後は金くれ、金くれとなります。次に1週間づつになる。2,3日で遣ってしまってまた金くれ、金くれで争いになる。毎日になる、それもあかんですぐに小遣いなんかなくなりました。そしたら、会社に行く定期代なんかも飲んでしまうんです。定期代は会社に行かなあかんから飲んでしまっても大丈夫なんです。ちゃんとお金はくれるんです。ところが、定期も買ってくれんようになって毎日出かける時にバス代をくれるんですが、そのバス代も飲んでしまうのです。バス代飲んでしまうと歩いて帰らなあかんのんやね。2時間以上かけて歩いて帰ったとか、そんな事が起こっていました。

 例えば会社を休むようになってしまって、家の中、家捜ししてお金を探すんですわ。探していると1円玉とか5円玉で二百何十円か出てきました。「これで酒飲めるわ」ちゅうようなもんで考えたのは銀行に両替に行きました。その銀行に親戚の娘さんがいる事を知っていました。こそっと会わんように行くんですが、やっぱりそういう時は会うんです。そんな恥ずかしい想いをしてたった1杯の酒を飲む。また、トラ箱に放り込まれる。家の裏に叔父さんが住んでいるのですが、その娘さんが姫路で婦人警官をやっている訳です。酒飲んで靴もなくしてしまって、警察のスリッパを借りて帰るんですけれど、そんな時にやっぱり会う訳です。姫路に魚町という飲み屋街があるんですけれど、そこで道端でひっくり返っている。中学時代の同級生が来て「おい、高橋。どないしとるんじゃ」と、そない言われたらいくら酔っ払っていても目が覚めますわ。

 そんな事が酒飲み始めて数年の間に起こっておりました。自分でも「何とかせなあかん」と思うのですが、ホントにどうにもならない。実は26歳で酒を飲み始めて28歳で断酒会との最初の出会いがありました。自分で何とかせなあかんと思っていた時に神戸新聞にアルコール依存症の連載があり、そこに断酒会の事が載っていました。当時、姫路の断酒会は出来始めで知られていなくて岡山に津山断酒新生会と言うのがありまして山崎の方まで伸びておりました。

 新聞社に教えてもらって行くのですが、やっぱりアル中だなあと思うのは酒飲みながら行くのです。酒止めるための相談に行くのだけれども酒飲まんかったら相談によう行かんのです。ベロンベロンになってやっと着くんですが、「こんなもんしゃあないわ」てなもんで嫁はん呼び出されてきました。嫁はんが来たら、私はそこでひっくり返っていました。その姿見て、「何が断酒会や、何が酒止めたいや。そんなことするんやったら仕事でもせい」とそこで喧嘩になりました。一緒に帰ってきて何日間かおとなしくしているのですが、また一杯飲み始めて同じ事の繰り返し。そんな事が延々と続いていました。

 会社も何遍も変わっているのですが親戚の関係で姫路のガソリンスタンドの会社に勤めました。何遍も酒飲んで会社休んで、その度に上役の人が迎えに来てくれました。最初は店長あたりでしたが、課長になり、部長になり段々と上の人が迎えに来てくれるようになりましたが、やっぱり同じ事でした。終いに「会社の二階に住め。会社の二階に住んだらどんなに酒飲んでも休めへんやろ」と言われて、僕もそう思いました。ところが、朝になったらコソーと抜け出して酒飲みに行っていました。

 親父が死んで葬式を出しました。三人兄弟なんですが、兄も弟も外国に行っていて私1人だったのですが、そんな中でどう言ったら良いのかなあ。親父も酒飲んでお袋に逃げられて、ますます酒に溺れて死にました。そんな姿を横で見ていたから「これで酒が止まる」と思ったのです。何か親父が、僕の為に死んでくれた、そんな気がしたのです。だから、「これできっと酒が止まる。もう大丈夫」と思うのですけれども2時間後には飲んでいました。僕は「こういう事があった。親父の姿を見ていた。だから酒止めるんや」と、そない言うんですけれど叔父さんが、「何言うとるんや。だから酒飲んで送ったるんやないか」と言われ、「ああ、そうやな」と簡単に飲んでしまい、もうアウトですわ。何か申し訳ないというのか、実は私と親父はすごく仲が悪かったのです。憎んでいるといって良いぐらいだったのですが、それでも僕の親が、「僕の為に死んでくれた」と感じながらも、たったの2時間しか酒が止まらない。情けないとか、そんなもんじゃなくて申し訳ないなあと思いました。

 そして、その葬式の日に私は会社をくびになりました。部長が来て言った言葉は、「高橋、ほんまはなあ、わしゃ、こんなとこ来たなかったんじゃ。お前くびじゃ。ただで辞められると思うな。退職金なんかあると思うな。罰金払え。罰金払えんかったらお前を紹介した井上さんから取ってくる」と言われました。葬式の日に、それも私が喪主をしている葬式の場で、なんて非常識なと思いましたが断酒会に入って分かりました。私の酒は、そこまで相手を怒らせてしまう、そんな酒やったんやな、そない思います。

 会社はくびになってしまうし、親戚の叔父さんからはパージされてしまうし、嫁はんはおらんようになってしまっているし、そんな状況の中で、どうにもならない状況の中で私はただただ酒を飲んでいました。

 それを見かねた叔父さんが、嫁はんとこに「何とかしたれや」と電話しました。姫路におってもらったら迷惑掛かると思ったのか、どない思ったのか知りませんが、嫁はんに「何とかしたれや」と電話しました。嫁はんが「奈良に行ってやり直そう」、そう言ってくれました。

 私はその言葉に救いを求めて奈良に来ました。そこも親戚だらけの村なんですけれど、それでも酒が止まったのは20日ぐらいです。嫁はんの兄さんとこに勤めるんですけれども、「姫路でこんな事があったから、今度こそ酒止めてちゃんとやっていくんや。やり直すんや」とみんなに言って酒を断っていたのですが、そこは昔の青年団が中年団になって、そういう集まり場所でした。集まってはみんなで酒を飲んで楽しそうに話していました。酒席に出ていたら段々に気持ちが変わってきます。

 嫁はんに言ったのです。「まったく飲まへんのは付き合いが悪いから一口だけ飲むわ。心配せんでええ。それ以上は絶対飲まへんから」と一口だけ飲んで、それで治まりました。ほんまにビールの一口だけ、ところが問題なのは次の日、酒を買いに行くのですわ。その日はそれで終わっているのですが、次の日には缶チューハイを自販機で買って飲んでいました。缶チュウハイの1本が2本になり少しずつ増えていく。その内に臭いがしだす。アル中の家族は、やっぱり酒に対して敏感ですから隠しようがなくなってしまう。ばれてしまう。そしたら、僕のほうから言いました。

 「ビールを飲む。大ビンやったら多いから中ビンでいい。中ビン一本だけでいいから、飲ましてくれ」、そう言いました。それで中ビン1本ずつ飲ましてもらうのですが、まったく足らないのです。チョロッと飲んだらキュでしまいでしょ。1本が2本になり、3本になりました。その時、「中ビンは経済効率が悪い。大ビンにしてくれ」、そう言いました。大ビンにしてもらっても、3本ぐらいになるんですけれども、それでもやっぱり足りない。そこで、「焼酎にしてくれ、ビールはやっぱり高い。兄さんかて焼酎飲んどるやないか」と言って焼酎にしてもらったのですが、焼酎になった頃にはまったく元の木阿弥でした。奈良県に来て酒も止まらんと同じ事の繰り返しが延々と続いていくんですけど、その村にもおれんような形になってしまって、小林町に移るんですけれども、それでも酒は止まりませんでした。

 会社の方だって、こういう事がありました。「高橋、お前なあ。酒で休んでいるの、分かっているんや。嘘でもいいから電話1本だけしてくれ」と言われました。何でかと言ったら、僕が休んでいる時に嫁はんが見つけて無理矢理会社に連れて行ったんやね。そこの部長が、そう言ってくれたんやけど、ある時、酒飲んでいたら益々目が冴えてくるんです。「こら、明日仕事やからもっと飲まなあかん」、寝ようと思って飲むんやけど、飲んだらまた目が冴えてくる。朝方になったらベロンベロンですわ。それでも電話せなあかんと思って電話するんですけれども、その時にあいつにこんな事言われたとか、どれがどうやとか会社の人の悪口を言っていました。それも早い時間帯です。部長、三重県から来ているのでもう出なあかんのにグダグダと言うから頭にきて向こうから電話を切られてしまう。それでまた、会社に行けんようになってしまいました。

 そんな事が延々と続いて、話もまったくせんようになって、嫁はんの従兄弟が僕の所属している奈良若草断酒会の初代の会長だったんです。そういう関係で嫁はんが無理矢理保健所に連れて行かれて大阪にある新阿武山病院に入院、36歳で再度断酒会との出会いがありました。

 今までも経験的には分かっていたのです。例えば、「しんどい事があって今日一日飲まんと辛抱したほうが、飲んでいる酒を切るよりも楽や」と言うぐらいは経験的に分かっているのですけれども出来ないんですね。断酒会に入って何でか知らんけどその事が出来ております。断酒会のおかげやなあと思います。どうも有難うございました。

 

 

 

 
 今年も12月を迎え、クリスマスがもうすぐやってきます。
去る10日の金曜日に、奈良女子大学付属幼稚園(藤原素子園長)でクリスマス会が開催されました。
私は園長の依頼でサンタクロースとして参加しました。3歳児32名、4歳児62名、5歳児60名、合計で154名
の園児たちの歓喜する姿を見て、1897921日にニューヨーク・サンに掲載された社説が思い出されました。
当時8歳の女の子・ヴァージニア・オハンロンが新聞社あてに出した手紙の返事が社説に掲載された、という出来事のことです。

 

女の子の手紙は、以下の通りです。

「こんにちは、しんぶんのおじさん。 わたしは八さいのおんなのこです。

じつは、ともだちがサンタクロースはいないというのです。

パパは、わからないことがあったら、サンしんぶん、というので、ほんとうのことをおしえてください。

サンタクロースはいるのですか?」 (ヴァージニア・オハンロン)

 

 そして、それに対する返事が世界中を感動させたという。一部を抜粋して示すと、以下のようです。

 

 「ヴァージニア、それは友だちの方がまちがっているよ。きっと、何でもうたがいたがる年ごろで、見たことがないと、

信じられないんだね。自分のわかることだけが、ぜんぶだと思ってるんだろう。でもね、ヴァージニア、大人でも子ども

でも、ぜんぶがわかるわけじゃない。この広いうちゅうでは、にんげんって小さな小さなものなんだ。

ぼくたちには、この世界のほんの少しのことしかわからないし、ほんとのことをぜんぶわかろうとするには、

まだまだなんだ。じつはね、ヴァージニア、サンタクロースはいるんだ。愛とか思いやりとかいたわりとかがちゃんと

あるように、サンタクロースもちゃんといるし、愛もサンタクロースも、ぼくらにかがやきをあたえてくれる。もしサンタクロース

がいなかったら、ものすごくさみしい世の中になってしまう。ヴァージニアみたいな子がこの世にいなくなるくらい、ものすごく

さみしいことなんだ。サンタクロースがいなかったら、むじゃきな子どもの心も、詩のたのしむ心も、人を好きって思う心も、

ぜんぶなくなってしまう。みんな、何を見たっておもしろくなくなるだろうし、世界をたのしくしてくれる子どもたちの笑顔も、

きえてなくなってしまうだろう。(後略)」(大久保ゆう訳)

 

私が訪ねた幼稚園の子どもたちからも、質問がありました。その幼稚園では、サンタは日本語が分からないといことになっていて、

園長先生が英語で子どもたちの質問をサンタクロースに伝え、サンタもまた英語でそれに答え、そのサンタの英語を再び、園長先生が

日本語にして子どもたちに伝えるという配慮と言うか、演出をしておりました。その効果なのか、子どもたちはサンタの存在を疑いません

でした。そして、わくわくした気持ちで、目を輝かせながら、全員がサンタを歓迎してくれました。

 ちなみに子どもたちからの質問は、次のようでした。

1)サンタさんはどこに住んでいるのですか?

2)サンタさの国には他にどんな人が住んでいますか?

3)サンタさんはどういうふうにしておもちゃを集めるのですか?

4)サンタさんはお風呂に入りますか?

 

「昨年の5月から名古屋のギャマノンへ週二日通っています。春日井にあったらと常々思っていました。お陰さまで名古屋の方々が応援して下さり12月25日(土)春日井の地にギャマノンを立ち上げる運びと成りました。会員が増えたら例会を増やしていきたいと思っております。チラシ添付しますので見て下さい。私はギャマノンに通いながら自分の人生を歩んで行こうと思っております。亡き主人の30年に及ぶ完全断酒の生活はわたしの宝物です。」

 

 夫のアルコール依存症の回復のために身を粉にして断酒会と家族会に通い続けたご婦人は、何の因縁だろうか、今度は息子のギャンブル依存症のために苦しんでいて、ギャマノンを立ち上げることになったらしく、メールでそれを知らせてきた。

 ギャマノンとは、ギャンブル依存症によって苦しんでいる家族が自分たちの回復のために集っている、いわゆる家族会であり、自助グループなのである。

 以下に、送られてきたメールに添付してあったチラシから抜粋して貼り付けておこう。読者の中でギャンブル依存症で苦しんでいる人とご縁のある方がいるようでしたら、下記の案内を伝えていただければ幸いである。

 

 

ギャマノン 春日井 ときわ樹

<ギャンブル依存症の家族・友人の会>

同じ立場の人たちが集まってミーテイングを行っています。「匿名」ですから本名や身分を明かす必要はありませんし、ミーテイングで聞いた他人の情報を漏らすこともありません。また、どんな宗教・政党・組織・団体にも縛られていません。苦しみを分かち合い、勇気と元気をもらうためグループ・ミーテイングを以下の場所で行っています。参加するには資格も会費も必要ありません。必要なのはただ一つ、脅迫的ギャンブラーに悩まされている自分自身に幸せが欲しいという願いだけなのです。

第4土曜日 13:3015:00

会場 春日井市高蔵寺町3丁目2番地1

高蔵寺ふれあいセンター(2階)

問い合わせ 080-6925-1865 

 

ギャンブル依存症とは

「ギャンブル依存症(脅迫的賭博)」は国際基準(ICD10)で認められている心の病気です。

ギャンブルによって、経済的・社会的・精神的な問題を生じているにもかかわらず、やめることができな状態」を指します。