2011年4月アーカイブ

涙の心理学

~泣くことの意味を考える~

 

大学も新年度を迎えました。新4回生は、はやくも卒業論文をめざして準備を始めました。各自が自分の興味のあるテーマについて予備研究を行い、その発表会(若葉研究会)がありました。4月27日のことです。その中に大震災に影響を受けた研究がありましたので、ご本人の了解を得たうえで、発表原稿の一部を抜粋して、本欄に紹介します。

 

久保 陽子(子ども臨床学コース・4回生)

 

【研究の動機】

 今回、私が「涙」について研究しようと思ったのは、春休み中にニュージランドで起こった地震がきっかけである。この地震に仲の良い後輩が巻き込まれ、不幸にも亡くなってしまった。安否不明であることが判明してからの数日、戸惑いや心配などの感情とともに涙をたくさん流した。私には泣くことしかできなかった。自分で自分の涙を抑えることはできなかった。私は涙に身を任せて、連日、泣き続けていた。そんな時、東北の大震災が起こった。テレビの映像にくぎ付けになった。大惨事を目の当たりにした時、私の涙が止まった。いつまでも泣いている場合ではない、と思った。私は心理学徒の一人として、涙を心理学的に研究してみようと考えた。これが、研究の動機である。

 

【問題と目的】

 青年期において「涙」は重要な感情表現であり、ストレスコ―ピングやコミュニケーションの面でも大きな役割を果たすと考えられる。上野(2004)は、涙には3種類あるとしている。

1は生理的で持続的な涙であり、第2は外的刺激による涙、最後は情緒によって喚起される涙である。「涙」についての先行研究はあるが、生理学的な研究が大半であり、心理学的な研究はあまりなされていない。これは、質的な定義付けと量的な測定が難しいためと思われる。

 澤田・橋本・松尾(2007)は"泣くことは自己の弱さを露呈するなど,否定的意味を有するのではなく,自己と向き合い精神的成長につながる積極的側面を有すると考えられる。"と述べている。つまり、ひとりで泣くといった場合、「涙」は自己との対話のツールであり、内的な働きかけであると言える。

 人は、大きな精神的苦痛を経験したとき、そのストレスに対して「泣く」という対処をすることが多いのではないか。ストレス、癒しなどの観点から、卒論では「涙」について研究してみたいと思った。今回の研究はその予備調査と位置付け、「泣く」ことについて、出来るだけ広い年代層の方々に「涙」についての調査をおこなった。今回の調査をもとに卒論の課題を絞っていこうと考えている。

 

【今後の課題】

 カウンセリングの場面を中心に、泣くことの意味を考えてみようと思う。その中でも、自己との対話が多くなされそうな「内観療法」に注目し、インタビュー調査をしていく予定である。なぜならば、内観療法はmourning work(喪の営み)として活用されているからである(滝野 1980)。まずはゴールデンウィーク中に自分自身が集中内観を体験し、今後の研究の方向性を考えたいと思う。

 

 

本HPの表紙にも案内のように、第33回 日本アルコール関連問題学会佐賀大会が

 2011年7月22日(金)~2011年7月23日(土)の日程で、アバンセ佐賀県立男女共同参画センター・生涯学習センターにおいて開催予定です。大会テーマには、アルコール医療新時代~新たな治療・支援、そして予防へ~が掲げられています。

分科会の②では、「内観療法の展開と工夫 ―やさしい内観療法の応用―」が取り上げられるようです。竹元 隆洋氏(指宿竹元病院院長)塚﨑 稔 氏(三和中央病院院長)が座長を務めて、話題提供には馬場 博氏 (三和中央病院・看護師) 堀井 茂男氏(慈圭病院院長)のなかに、筆者も加えてもらって、ワークショップを行うことになりました。

筆者は、表題のテーマで話す予定です。以下に、抄録原稿を示しておきます。

 

【内観法から内観療法へ】

 内観は、内観法あるいは内観療法と呼ばれてきたが、歴史の順序でいえば、内観法という呼称の方が先である。ただ、日本内観学会が設立されて以来、内観法に比べて内観療法をタイトルに冠した研究が増えていった。その後、日本内観医学会が誕生してからというものは、内観の呼び名は、内観療法一色になった感がある。ところで、私見になるが、原法と言えば内観法を、変法と言えば内観療法というイメージがある。

 

【病院臨床への導入】

 当初、原法を病院の中に導入しようとして、様々な困難に遭遇した。まず、経済性も無視できなかったが、治療構造や面接者の確保に難渋した。そこで、分散内観・記録内観・個別内観療法・サンドイッチ内観など色々と工夫せざるを得なかった。振り返れば、それによって学んだことは少なくなかった。今回、演者に求められているのは内観研修所の立場からの発言のようであるが、時間に余裕があれば、臨床心理士として病院臨床への導入してきた経験についても触れてみたいと思う。

 

【内観研修所における工夫】

いまでも精神修養法や社員研修として内観法を求めてやってくる内観者は少なくないが、アルコール依存症やその他の精神疾患からの回復を求めて内観療法を受けにくる内観者も増えている。「面接者は、内観者に就いていくように」と言ったのは内観の創始者・吉本伊信である。それに倣えば、おのずと変法が必要になろう。たとえば、面接の時間であるが、原法では一回の面接時間は、3~5分程度で行うとされている。ところが、ケースによっては、毎回と言うわけではないが、ときに30分は優に超えて60分に及ぶこともある。原法の内観法では、おそらく時間を守らせることを優先したかもしれないが、変法の内観療法においては、面接が佳境に入ったと見れば、内観者に就いていく。

また、原法の面接においては、内観中の夢を話題にすることはまずない。が、変法では夢が語られれば、それも聞くことにしている。その他、内観者が内観後のフォローを希望すれば、個別のカウンセリングをおこなっている。さらに、希望者には、定期的(1カ月に1回)に開催している集団療法が用意されている。それに参加することによって、日常内観の継続を可能にしている人もいる。

 

【さいごに】

当日は、事例も交えつつ、変法として工夫してきた内観療法のあれこれについて、紹介する予定である。

「アルコール依存症を卒論のテーマにしたいのですが、卒論の指導を引き受けてくれますか?」

 四回生になったばかりの学生が私の研究室にやってきて、そう言った。昨年の四月のことである。この時期に、はっきりと卒論のテーマを口にしたことだけでも驚きであったが、若い女子学生がアルコール依存症を卒論のテーマにしたいと言うこと自体、何とも奇異に感じられたので、そのわけを訊いてみた。

 「じつは、父の飲み方が気になったので・・・」と口ごもりつつ話すので、それ以上の詮索は止めて、卒論指導だけは引き受けることを伝えて面談を終えた。以来、およそ八ヶ月間、彼女の断酒会通いが始まった。いつも何かにおびえているかのようにおどおどと、ゼミの発表も小声なので、内容を聞き取るのに苦労させられた彼女が、私が同席した断酒例会で臆することなく、自然体で発言するのを聞いて我が目を疑ってしまった。断酒例会がひとりの学生を成長させていたのである。

じつは、その日、私が例会に出席したのにはわけがあった。勤務校である奈良女子大学が地域貢献事業の一環として断酒セミナーを企画していたので、断酒会への協力要請が目的であった。その席で学生の変貌ぶりを目撃した私は、彼女をシンポジストの一人に加えることを思い立った。そして当日は、娘の大役を見届けるために、母親だけでなく、なんと父親までも遠くT県から駆けつけてくれたのである。

「断酒会に出席して、みなさんの体験談を聞いているうちに父親もアルコール依存症であることがはっきりわかりました。それまでは、父は飲みすぎてよく夫婦喧嘩をするけど、真面目に仕事をしてくれているし、路上で酔いつぶれている人たちとは違うので、アルコール依存症ではないと思っていました」

 娘の発言を聞いた母親は涙を落とし、人前で話すことを苦手とする父親が勇気をふるってマイクを握って、言った。

 「娘のおかげで自分の酒害と向き合うことができました。家族が幸せを取り戻すためにもアルコール依存症の治療を受けて、断酒会にも入会しようと思います」

 両親の姿をみつめる娘の晴れやかな表情が印象に残った。

 卒論のテーマは、「アルコール依存症の回復にみる断酒会の意義―本人と家族の語りからー」である。断酒会員とその家族に直接会って面談しただけでなく、四九名の方々のご協力を得て、アンケートの実施を行っている。卒論の結果で興味を引いたのは、「断酒会のことを世の中にもっと広めたい」「断酒会にマイナスイメージをもっていた人が、過去の辛い体験を語りあっていくうちに仲間に対して信頼を覚え、アルコール依存症についての病識を深めた」という回答が多数得られたことだ。

 十年前、愛知から奈良へ移ってきたばかりのとき、貴会の記念大会に出席したことがあるが、なにゆえ、記念大会を毎年開催する必要があるのか、理解できなかった。それが今回の卒論指導を通して、これまでの謎が解けたように思った。

改めて、第三九回目の記念大会の開催を祝したい。

 そして、最後になってしまったが、わが子同然に、快く学生を受け入れて、卒論にご協力いただいたことはもとより、ひとりの学生を見事に成長させてくれたばかりか、その家族までもご支援いただいた貴会に、この場をかりて感謝申し上げる。

 心理学の分野においては、卒論の取り組み方はさまざまです。文献を中心にするのもあれば、実験室にこもって実験をするもの、あるいは、現場に出かけて行って観察と調査をするものなど、じつに多彩なのです。今回紹介するのは、アルコール依存症を理解したいということで、自助組織である断酒会へ毎週のように足を運んで、体験談を聞き、会員の皆さんの協力を得てアンケートや個人面談までして、まとめたものです。

 

アルコール依存症からの回復にみる断酒会の意義

―本人と家族の語りから―

筧 百合

 

要旨

ルコール依存症の病理の中核である「否認」を解除するために、断酒会がどのような働きをしているのか、断酒会員とその家族49名にアンケートを行った。飲酒中は、酒量がコントロールできず、家族や周囲の人に酒害を与えていても、アルコール依存症を認めることができない。そのため、専門治療を受けず精神的・肉体的依存が進行していく。断酒会に繋がることができても、アル症や断酒会にマイナスイメージをもつ意見が多く見られた。しかし、過去の辛い体験を語り、聞いていくうちに「同じような辛い酒害体験を共有し」、「アルコール依存症への病識を深め」、「仲間と信頼を深めること」で、自分ひとりの力ではどうにもできないことを認める。これがアルコール依存症と家族の否認を解除する鍵なのである。また、世の中に断酒会を広めたいという回答も多く見られた。しかし、アルコール依存症を認めることはできても、飲酒以外の問題を認めない「第2の否認」は、必ずしも断酒会だけで回復していくわけではない。他機関との連携もあって断酒が継続していかなければならない。