2011年6月アーカイブ

私は、大学において臨床心理学の講座を担当しているが、授業の中で内観療法について講じるだけでなく、内観実習を取り入れている。

これまで高校の授業のなかに内観を導入した研究(原田さよ子 1989・ 勝見ひろみ 2009)によれば、一定の効果が報告されている。原田は「50分の音楽の授業で5分間の集団内観を導入した」結果、「残りの45分間の授業が集中して充実したものになる」と報告している。勝見は「国語科の授業において、内観法を用いることで従来の手法に拠るよりも、より効果的な学習を目指す」ことを目的に研究をおこなった結果、「創作のための想像力の喚起に有効と思われる」という結論を導き出しているが、両者とも50分という短い時間の中で内観を導入して成果を上げている。ならば、大学の授業に内観を導入すれば、より大きな成果が期待できるのではと考えた。 

ところで、インターネットによる報道によれば韓国でも若者の自殺が増えているようであるが、日本も例外ではない。筆者の勤める大学は女子大学ということもあって、女性に多く発症すると言われている摂食障害はもとより、様々な悩みを抱えている学生も少なからず在籍している。

というわけで、臨床心理学の授業は、単に知識を提供するだけでなく、学生の精神衛生に寄与する工夫が必要になってくる。若者の自殺の背後には、「生きること」への不安や恐怖が見て取れる。表現を変えれば、「存在感(identity)」の希薄さが若者の精神を不安定にしているように思われる。内観を学び、内観を体験することによって「家族とのつながりを確信することが出来た」と学生たちは口々に言う。これらの経験から内観は生きる力を引き出してくれると考えている。

 

「内観研究」の動向分析

―過去五年間で為された研究発表について―

 

辻田奈保子、森下文、真栄城輝明

 

Abstract

 The Japan Naikan Association held the first academic meeting in 1978, and the 34th conference will open this year. Then we should examine what the researches we have done and achieved. Maeshiro(2005,2006) analyzed general studies which have presented in all the meetings for about 30years. He explained the result in the 28th and 29th meeting. These reports could provide our colleagues with the opportunity to look back to the trends of the researches, the records and the subjects for further studies. In this article, we take over Maeshiro's research and analyze general studies presented in the meetings during the last 5 years. This time, we research about the number of studies, presenters, affiliations, and psychological testing which were used in researches. In addition, we classify each research according to the methods of investigating and the main subjects.

 

要約

日本内観学会は1978年に第一回目の学会大会を開催し、今年で第34回大会を迎える。この約30年の間、本大会はいかなる歩みを経て、どのような功績を残してきたのであろうか。真栄城(20052006)は過去27回の日本内観学会大会で発表された研究発表の動向分析を行い、その結果を第28回及び29回の日本内観学会大会において報告している。この研究は、本学会の功績と共に、残された課題を見直す大きな切っ掛けとなったであろう。本研究ではそれを引き継ぎ、第28回以降5年間に発表された日本内観学会大会の一般演題に焦点を当て、分析を行う事にした。具体的には、今まで為されてきた一般演題の発表数、発表者数、所属数、そして心理テストの使用頻度を調査した。それに加え、各発表を調査方法とメインテーマによって分類した。

 

Keywords: Naikan therapy(内観療法)、 general studies (一般演題)>

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著者所属:奈良女子大学大学院人間文化研究科(〒630-8506 奈良市北魚屋東町)

Graduate School of Humanities and Sciences, Nara Women's University

今回もまた、81819日に中国は天津医科大学で開催される第3回中国内観療法学会で発表予定の原稿を本欄に紹介します。

 

喪の営みとしての内観

―娘の不登校に導かれて-

阿保周子

(小学校教師)

【はじめに】

2011311日、大震災が日本の東北地方を襲ったように、人生は一寸先に何があるか分からない。まさに、人生は無常であり、突然に襲ってくる死は、人間に社会的、身体的、心理的なダメージを与える。内観は心理的ダメージの回復、たとえば、mourning workとして有効であると言われている(滝野 1980 、真栄城 1988)。

今回は、我が家を襲った死に対して、内観が果たした役割、すなわち「喪の営みとしての内観」について報告したいと思う。

 

【我が家を襲った夫の突然死】

我が家は夫婦と3人の子どもで構成する日本のごく平凡な家庭であった。

ところが、20051124日、元気だった夫が突然亡くなった。夫は、新聞記者として文化部に所属していた。夕方からのコンサートの取材に出かけ、帰宅後はいつも通りに床についた。私が、隣で寝ていた夫の異変に気付いた時にはすでに意識はなく、救急車を呼んで病院へ搬送。そして、必死の治療の甲斐もなく、そのまま亡くなってしまった。

  あまりにも突然の別れであった。私は夫の「死」をどう受け止め、どうすればよいのか分からぬまま、目の前のことに追われて日々を過ごしていた。

 

 【夫の死後に起こった娘の不登校】

夫の葬儀を済ませて、日常の生活に戻ろうとした矢先に、娘が学校へ行けなくなった。娘は、当時中学校2年生であった。私は、小学校教員として学級担任の他に校内の教育相談も担当し、5年生の不登校の子のケースに関わっていた。そんな時に『我が子が不登校』に陥ったのである。夫を亡くし、相談する人もなく、私の心も不安定であった。学校を休んで昼は家にいるが、外出先を告げずに出ていく娘に「どこに行っていたの!」と問いつめ、朝方まで起きている娘に「早く寝なさい!」と小言を言い、娘の容姿がいちいち気になって「眉毛を細くしないで!」と言うことが多くなっていた。

 

 【娘に導かれて内観へ】 

  亡き夫の荷物を整理していたら、新聞記者として取材先で集めたと思われる資料が出てきた。その中に内観のパンフレットがあった。これは亡き主人が導いてくれたご縁だと思い、ひろさき親子内観研修所を尋ねて、カウンセリングを受けた。そこで、親子の内観を提案されて、娘と二人で大和内観研修所にて1週間の集中内観を体験することになった。

 

 【内観の過程】

私は隣室で内観しているはずの娘のことが気にはなったが、自分自身に向き合わざるを得ない状況になっていった。内観は母から始め、父、夫に対する自分を調べた。自分が人から何かされて嫌だったことは直ぐに思い出したが、内観の3項目の観点から人との関係を考え、言葉にするということはそれまでやったことがなかったため、はじめの頃はなかなか、内観にならなかった。

  母に続き父について内観した日は、奇しくも父の命日であったのだが、その日、研修所に来て初めて夢をみた。タイトルをつけるとすれば「父と夫に守られて」になる。他界して20年以上たつ父と突然亡くなった夫が、真ん中に私をはさんで川の字で寝ているという内容だった。起きてからも嬉しくて穏やかで、安心できた夢であった。もう一つとても象徴的な夢をみた。タイトルは「旅は終わり、また旅は続く」。何かの乗り物を降りた私。目の前には、ゆるくカーブしながら遥か彼方まで続くモノレールのような橋梁が見えたという内容だった。私はこれからこの線路を走る乗り物に乗るのだという思いが強く残った夢であった。

  初めての集中内観は、娘の不登校を何とかしたいという一心であったが、亡くなった父や夫をありありと感じることができた大事な体験となった。

  その後、20061119日、夫の一周忌も近いその日の夜明け前、たくさんの偶然が重なり、今まで見たこともないお月さまを見ることができ、『あっあの月は夫だ。夫が私を見守ってくれている』と強く思った。私が気付かなかっただけであり、ほんとうはいつも夫に見守られていたことに気づいたのである。

 

 【内観後の子どもたち】

 私と娘の内観後の変化を見た息子は、大学3年生であったが、卒業後の進路に迷い、自分から内観を体験している。現在は、教師になっているが、内観したことが心の支えになっているように思われる。不登校だった娘は、現在、看護専門学校に在籍し、看護師を目指してがんばっている。二人とも急逝してしまった父親に対する内観をしたことで、喪の作業を行い、精神的に安定するようになった。

 

 【さいごに】

 今回、喪の営みとしての内観について、私自身の体験を元に発表する機会を与えていただき、感謝致します。

 

【参考文献】

竜野 功1980年)「喪の営みとしての内観」第3回内観学会発表論文集 5859

真栄城輝明1988年)「個別内観療法の経験(2)―末期ガン患者への適用をめぐって―」11回内観学会大会論文集 4246

 

 

 集中内観を体験した学生から体験レポートが送られてきた。いま4回生は就活で忙しい日々を送っているが、その合間を縫ってしたためたようである。内観中の抵抗や戸惑いが素直に記されていて、かえってそれがすがすがしい。本欄への掲載を問い合わせたところ、快諾してくれたので紹介しよう。

 

集中内観を体験して

 

久保 陽子

(奈良女子大学)

 

 ゴールデンウィークの1週間、私は大和内観研修所で人生初の集中内観を体験した。以前、授業で30分くらい体験したことがあったのと、真栄城先生にはいつもお世話になっているということもあり、特別大きな不安はなく法座の中に入った。

 しかしいざ入ってみると、1週間も過ごせるのかな......と弱気になってきた。法座の中が宇宙空間のような気がして、電車の音が外から聞こえてくると、ざわざわした外の世界に帰りたくなった。静かな環境で自分と向き合うことへの緊張と恐れがあった。

 1日目は生い立ちを振り返るだけであったが、周りの人から今まで貰ってきたたくさんの愛情を感じることができた。1時間半ごとに面接者が回ってきて、それまでに考えたことを声に出して伝える。私の発する言葉が、すぅーっと吸収されていくように感じた。アドバイスも肯定も否定も感想もない。ただ頷いて聞いてくれるだけである。私の言ってることはこれで正解なの?と答えを求めずにはいられなかった。隣の屏風からは早くもすすり泣く声が聞こえてきて、まだそこまで入り込めていない自分、どこか客観的な自分に少し焦りを感じた。何か大きな悩みがある人が来て初めて、内観の効果というのは現れるのではないかと心配になった。今になってわかることだが、そのとき私は自己と向き合うことを避けるために、内観と向き合っていた。正しい内観の仕方を探していた。

そんな私だったが、研修所に来て初めての食事が運ばれてきて、ひとりで「いただきます」をした時、急に涙がこぼれた。そのときの感情を言葉にするのは難しい。自分しかいない法座の中には、「愛情」というものがない。その中に、温かい食事が運ばれ、その食事に込められた愛情に触れたとき、懐かしい気持ちになった。同時に、その愛情はとても遠いところにあると感じ、はかなく消えてしまいそうで心細くなった。いかに自分が愛情にすがって生きているのかを思い知った。

愛情は、思い出して感謝することによっていつまでも心の中で保つことができる。それを怠ると、満たされず、満たされていないことにも気づかず、心の病へと発展するのではないだろうか。

2日目から、内観が始まった。最初は小学校低学年の頃の母に対する自分を調べた。お世話になったこと、して返したこと、迷惑をかけたことの3点について順に調べていく。ポイントは「自分」について調べるということ。相手がどうだったかではなく、自分がどうであったか、ということだ。私はついつい答えを探してしまって、エピソードを「見つける」ことを目標にしてしまいがちだった。

日を追うごとに「見つめる」ことに集中できるようになった。心を静めて目を閉じ自分を見つめてみると、恥ずかしい自分や情けない自分、腹の立つ自分などに出会ってしまう。今まで忘れたふり、見ないふりをして、ある意味で自己否定してきた。そんな自分も認めて懺悔しなければ、嘘の自分のまま生きていくことになる。また、してもらったことに気づくたび、お腹のあたりが温かくなり感謝の気持ちが湧いてくるのが分かった。日が経っても屏風の中は私にとっては宇宙空間のままだったが、足元まで自分が見えるようになり、寄りかかることのできるクッションが次々と現れ、快適な空間になっていた。クッションはなんとなく、ずっとあったのに気付かなかっただけのような感じがした。こう感じるようになってから、面接者が回ってくるのがあっという間で時間が足りないと思うようになり、初めは恐怖すら感じていた空間が、落ち着く場所になっていた。

この宇宙空間は、誰もが普段から心の中に持っているのではないだろうか。屏風の中は、心の宇宙空間を現実に表現したもの、と言える。日常はゴミゴミしているため、宇宙が空っぽでもなかなか気づけない。本当は空っぽではなく、忘れて見えなくなっているだけなのに。しっかりと自分を見つめて反省すべきところは直して、周りに寄りかかって生きていることに気づくことで、現実の社会でも心安らかに生活できるはずだ。

1週間の集中内観を終えて外の世界に戻ってから、毎日がより楽しいと感じるようになった。そしてなぜか、以前より頻繁に泣くようになった。泣くのは夜、ひとりのときだけではあるが。悲しくなったり、むなしくなったり、今まで避けていた感情と向き合っているのかもしれない。