2011年8月アーカイブ

 

真栄城輝明著(静岡学術出版)・臨床心理士による「内観」をめぐるはなしを読んで

千葉征慶(臨床心理士)

 

「みすゞの会」とは、援助職のメンバーが年に2回、大和内観研修所にて1泊2日という時間をかけて、お互いのケースを持ち寄り、集中的に事例検討会を行っている会のことである。酒井先生は、公立中学校の教師で、会の世話人である。会のメンバーである千葉先生は、職場のメンタルヘルスを中心に仕事をしている臨床心理士である。千葉先生が酒井先生に送ったというメールを私にも送ってきました。前文は、酒井先生宛てのメールの内容であり、後半は添付されてあった標題の著書の読書感想文である。

 

「みすゞの会」の酒井先生からのメールのご返事に、拙文を添付いたしました。ブログ用感想文を意識して書いてみたものでした。時機を逃したかも知れませんが、もしも差し支えございませんのなら、広く皆様にお読み頂きたい私の思いをご紹介頂きたく、不躾ですが、献上させて頂きたく存じます。<中略>

酒井先生、お世話になりました。

こんかい、ほんとうに、「ゆっくりした~」って感じでした。

(真栄城)先生の近著を頂戴し、登場してくるうまれたばかりの赤ちゃんにも遭遇でき、私は幸せでした。拙文ですが、感想文を書きました。ご笑納頂けたら嬉しいです。

 

 

日本にもかくもふか~い深い精神療法があったのか...。それが私自身、ある内観研修所で集中内観を終えて思ったことだった。ひとの苦しみの深いところには、有限的なしかし実存的な存在としての、病気や死そして罪の苦しみがあると思っている。そうしたテーマについて真正面から向き合っている精神療法が日本にあったとは(内観を体験するまで)知らなかった。

本書の冒頭、著者が病院の精神療法を担当する心理士として、アルコール依存症の入院患者の心理治療に苦戦するなかで内観と出会い、以来、これを精神療法としてどう位置づけ発展させ、次世代に繋ぐべく奮闘してきたか、本書を読むと、その一人の臨床心理士の姿が浮かび上がってくる。

スクールカウンセラーや養護教員らとの地道で息の長い勉強会でのエピソード、エッセイ風にまとめられた、さわやかなそして時に深く考えさせられるお話が登場する。病気の母には面倒みてもらえなかったと思っていた青年が、母にお弁当を作ってもらったのを思い出すシーンは、何度読んでも泣けてくる。

オーバーハングに苦戦する登山家が、ふと崖っぷちに咲く一輪の高山植物の花に気づいて励まされ、岩をよじ登り、ついにはその岩こそが次なるトライをしっかり支える足場になるみたいな感覚だ。教訓めいた話は好きではない私には、むしろ、本書からは、何度も味わいたい人生の妙味を、味あわせて頂いた。欲を言えば「おとな買い」して友人、知人にばらまきたい心境である。  

今回は、私の読書ノートより抜粋して表題のテーマについて紹介します。出典は、中井久夫著「精神科医がものを書くとき」(ちくま学芸文庫)です。

 

 

西欧の場合、精神医療には二つの起源がある。一つは行政的・管理的な立場から精神病患者を浮浪者、売春婦などとともに「働かざる者」として一括収容した「施設」(アンシュタルト)に、精神病に関心をもつ内科医が往診(ヴィジート)したことから始まる。精神病患者のみを分別収容し、また医師が常駐するようになったのはフランス革命以後であり、精神医学が内科学から分かれて大学に講座を持つようになったのは19世紀末である。こちらは、体制側の医学で非宗教的である。

 もう一つは、悪魔祓い師起源で、これが脱宗教化して「自然神学」となり、それにもとづく「催眠術師」となったのはやはりフランス革命前後で、この後身が精神分析学で主に在野の開業医の学である。宗教や超心理学とは微妙な関係にある。

 前者が重症・長期・貧困の患者を、後者が軽症の富裕・社会人患者を対象とするという分業の傾向があった。

 日本においては、江戸幕府の掲げた「医は仁術なり」という規定は、神官僧侶による医療禁止と表裏一体であり、儒教の教養をもとにした非宗教者である医師が医術を独占するようになった。医学の脱宗教化は欧米よりずっと早くかつ徹底的であった。(ただ顕著な例外として日蓮宗僧侶による狐憑き治療が認められていた)

 明治政府がこれを引き継いで、日本の医療はきわだって非宗教的、時に反宗教的である。西欧では奇跡的治癒を認めることも少なくないキリスト教が日本では伝統治療への反対者として立ち現れているという事情もある。(沖縄では「ユタ」治療をめぐって大論争があった)

 

去る730日(土) ~ 731日(日)に青森県は弘前市にある岩木山のふもとの温泉郷・いわき荘(アソベの森)を会場にしておよそ120名余の参加者を集めて、第15回内観セミナーが開催されました。遠く愛知県から参加した教師が印象記を送ってくれましたので、本欄にて紹介したいと思います。

 

面接者として内観者に救われた出来事

 

酒井 ゆり子

(公立中学校教諭)

 

私がこの内観セミナーで聞きたかったのは、内観の体験発表でした。

 今年の6月に埼玉であった内観学会で私は偶然、今回、発表される方と出会いました。弘前からみえたその方は私に「どこかでお会いしませんでしたか?」と尋ねました。二人で話をするうちに、私たちの出会いは200910月の弘前の内観ワークショップの内観実習だということがわかりました。そこで、私は面接者として参加していました。「あれが私の内観の初めての体験でした。面接してくださったのはどなただったのかと、ずっと気になっていました。やっとお会いできてうれしいです。」と言ってくださいました。私はそれを聞いて、心にわだかまっていたものが流れ落ちる気がしました。その内観実習は面接者としての私が1人で行う初めてのものでした。以前に面接者としての研修を受けていたときもそうでしたが、内観実習の時間に、面接を担当しながら、私は心の中で「こんな私が面接を担当してもよいだろうか、果たして私に面接者が務まるだろうか」という問いを繰り返していました。終わってからも「私の面接で実習してくださった方は、どう思ったのだろう。」と思っていました。そんな私には先の一言が宝物のようでした。この方の発表をぜひ聴かせてもらいたいと思いました。

 当日、私は会場となった青森県弘前市にある「アソベの森」まで京都経由で夜行の寝台特急に乗るつもりでしたが、途中の新潟が豪雨に見舞われて、電車が不通となりました。そこで、いったん名古屋まで戻って、新幹線に乗り換えることにしました。図らずも、人生にはアクシデントがつきものだということを痛感させられた次第です。この方の体験発表にも幾度となく遭遇してきた人生のアクシデントが語られました。それはとても素晴らしいもので、聞きながら、何度も泣けてしまいました。そして、内観の大きさを思い知りました。面接者としてどうみえるかを気にしていた自分は不遜で傲慢でした。内観の枠組みを、内観者を、信じていく態度に欠けていたような気がします。そして、この方の内観にほんの少しでも関われたことがとてもうれしく思えました。これまで私は教師として生徒に教えられたという経験がありますが、今回は面接者として内観者に救われる、という経験をさせてもらいました。遠くまで出かけて行った甲斐がありました。私にとっていわゆるファーストクライエントになってくれたその方にこの場を借りて、改めて感謝したいと思います。ありがとうございました。

 

 最初の体験というものは、どんな体験でもそうですが、緊張感と共に印象深いものがあります。学会発表は研究者としての第一歩ですが、今回は大学院に在籍する学生が卒業論文をまとめ直して発表してくれました。初々しい印象記をレポートにして提出してくれたので、本欄に紹介することにしました。

 

辻田奈保子

奈良女子大学大学院 人間文化研究科 人間行動科学専攻

 

去る2011,6,2426に文教大学越谷キャンパスにて第34回日本内観学会大会が開催されましたので、私も日本内観学会の会員として、本学会大会に初めて参加させてもらいました。それだけでなく、当日は、卒業論文をまとめ直して応募したところ、一般演題として採択していただき、発表の機会を与えてもらいました。そこで、ご報告かたがた、印象に残ったことを書かせていただきたいと思います。

当日は私が想像していたよりも参加者が多く、会場内は活気に溢れ、外の暑さに負けないほどの熱気に包まれていました。参加者は内観面接者や医療関係者、教員、僧侶、経営コンサルタント、研究者など様々なバックグラウンドを持った方々で構成されており、内観研究が学際的研究であることを実感致しました。

前夜祭には参加せず、大会1日目は午後から参加した為、午前の一般演題の発表を拝聴することができなかったのが非常に残念でした。しかし、午後の部のシンポジウムは聞くことができ、素晴らしい時間を過ごすことができました。私は現在大学院に在籍しており、実践の場を目にすることがほとんど無いので、実践の場に携わる専門家の方々から、内観法がどの領域でどのように活用されているのかを聞くことができたことは、非常に有意義でした。また午後の部の滝川一廣先生の特別講演も大変勉強になりました。子供の発達を養育者との関わりを絡めながら話してくださったのですが、説明がとても分かりやすく、発達心理学に疎い私でも発達の全体像を掴むことができました。

 1日目の学会後は懇親会が開かれ、緊張感の漂っていた会場とは打って変わり、終始和やかな雰囲気に包まれていました。そこで沢山の先生方からお話を拝聴することができ、多くの刺激を受けました。例えば、和歌山赤十字病院の東睦広先生、東香先生から和歌山での自殺率や自殺予防の取り組みについて貴重なお話を伺うことができ、自殺問題についての知識を得る事ができました。東先生を始めとする先生方、貴重なお話をありがとうございました。

2日目は午前から参加し、一般演題や特別講演、内観体験発表を聞くことができました。特に一般演題は参加者の専門領域の多様性を反映するかのように、テーマがバラエティーに富んでいて、どのお話も興味深かったです。その為15分という発表時間が非常に短く思え、もう少し詳しく聞きたいと思うことが多かったです。

この時間の短さは、発表者の立場においても同様でした。私も今回報告する機会に恵まれたのですが、15分という限られた時間内で発表する難しさを痛感致しました。しかし、同じ研究室の森下さんに何度も発表の練習に付き合っていただいたのと、前日の懇親会で本学会事務局長の堀井茂男先生から貴重なご指摘をいただいたおかげで、内容を修正し、大きなミスをすることもなく、無事発表を終えることができました。また発表後、慶応義塾大学の手塚千鶴子先生から貴重な御質問をいただき、論文の修正すべき点を知ることができたことも大きな収穫でした。堀井先生、手塚先生そして森下さん、本当にありがとうございました。

このように、本大会は非常に充実した二日間でした。特に私のような経験も知識も浅い若手にとっては、専門家の先生方と交流し、様々な知見を頂くことができる重要な機会であったと思います。今後も内観法の研究を志す者の一人として、本学会大会に参加させていただきたく思います。最後になりましたが、本大会への参加の機会をくださいました竹元隆洋先生、本山陽一先生、堀井茂男先生、大会長の小林孝雄先生を始めとする学会員の先生方、そして奈良女子大学でご助言いただいた野村晴夫先生と指導教官である真栄城輝明先生に改めて御礼を申し上げます。

 

 第15回内観セミナーが青森県弘前市にて120名余の参加者を集めて開催されました。

内容は以下に示した通りですが、初日はシンポジウムに引き続き、武術研究家・甲野善紀氏とリンゴ農家・木村秋則氏の記念対談に参加者からの質疑まで飛び出して大いに盛り上がりました。

 二日目は河野夫妻に寄る体験発表が行われ、参加者に深い感銘を与えました。

 

「こころ」と「からだ」のつながり

~再生への道しるべ~

 

会期  平成23730日(土) ~ 731日(日)

会場  アソベの森 いわき荘(岩木山のふもとの温泉郷)

【第一日目】

1.シンポジウム

テーマ:「こころ」と「からだ」のつながり~再生への道しるべ~

座 長  佐々木 真(教員)・竹中哲子(内観面接者)

基調発言 真栄城輝明(臨床心理士)

指定発言 木村 秋則(リンゴ農家)

甲野 善紀(武術研究家)

2.記念対談

木村 秋則& 甲野 善紀

 

【第二日目】

3.内観セミナー

 

<体験発表>2名

 

<記念講演>

講師:真栄城輝明(奈良女子大学教授)

演題:臨床心理士による「内観」をめぐる話(90分)

質疑応答(30分)

主催  ひろさき親子内観研修所・内観懇話会「めぐみの集い」

後援  青森県・青森県教育委員会・弘前市・弘前教育委員会・東奥日報社・

    陸奥新報社・NHK文化センター弘前教室・青年会議所

事務局 ひろさき親子内観研修所(℡・fax 0172-36-8028