2011年9月アーカイブ

先日、生後5か月の赤ちゃんを連れて一人の母親がやってきました。「内観ベビーとしてのわが子」を見せに連れてきたとのこと、これ以上の喜びはなく、嬉しい対面となりました。これまでにも何人かの方が、ご夫婦で、あるいは母親が内観後に生まれた子どもを見せに研修所を訪ねてきたことはあります。ただ、今回がこれまでと違うのは、その方が内観前には母親になることをためらっていたことです。内観したことで、心境の変化が訪れたらしく、子どもを産む気になったという方でした。もし、その女性が内観していなければ、生まれることがなかったということを考えると、まさに「内観ベビー」と呼んで差し支えないでしょう。帰宅後に送ってきたメールを読んで、この体験を本欄の読者にもお伝えしたくなって、表題のタイトルで原稿をお願いしたというわけです。

 
松本香織
 

「『内観ベビーとしてのわが子』というタイトルで体験記を書いてみませんか?」

真栄城先生にこんなお誘いをいただき、「ぜひ書かせてください!」と二つ返事で答えたわたし。さーて、張り切って書くぞー。・・・って、あれ?あらためて考えてみたら「内観ベビー」って、なんだろ?先生との会話の中で自分でもなにげなく使っていたけど・・・。辞書を引いてもネットで検索してみても、出てくるわけない。いまさら先生に聞くのも間抜けだしなあ。まあいいや、空(そら。うちの息子)は、いろんな意味で「内観ベビー」と呼ぶのにふさわしいんだから・・・。

 

  空が来てくれたきっかけ

2010412日。一週間の集中内観に取り組むため、わたしは初めて大和内観研修所の門をくぐりました。自分の中に何か根本的な問題がずっとあるような気がしており、それに向き合うためでした。集中内観の経験は、得がたい、すばらしいものでした。

そして、内観そのものでの気づきとは別に思いがけず得た大きな産物が、研修所からの帰り道、ふと「子どもを産んでもいいかな」という思いが、ぽっと心の奥から出てきたことです。わたしは、自分が女性であるということをどのように捉え道を選択するかについて迷いや葛藤があり、中でも子どもを産むことについてはどうすべきかずっと決めかねていたのです。内観でそのことについて直接的に取り組んだわけではないのですが、心の奥で何かが動いたのだと思います。

 

  空がお腹に入ったタイミング

8月のお盆明け、妊娠が発覚。後になって気づいて驚いたのが、空がお腹の中に入ったタイミング。7月中旬に、内観での気づきを深めるため真栄城先生のカウンセリングを定期的に受けることにしたのですが、その1回目として再び内観研修所を訪れたちょうどその頃、空はわたしのお腹の中で人生の第一歩を踏み出したようなのです。

 

  臨月に内観

年が変わって3月。いよいよ来月出産予定という時、どうしても出産前にもう一度研修所で内観をしたいという思いが沸き、23日で内観をさせていただきました。お腹の子と一緒に内観するという得がたい機会に恵まれたわたしは本当に幸せ者です。帰り際には、出産に対する不安が不思議とすーっと消えていました。

 

  空が出てきたタイミング

そして、47日。空がこの世に生まれ出てきました。わたしが集中内観のために研修所の門をくぐったのが前年の412日ですから、ほぼちょうど1年後になります。同じように桜がきれいに咲いている中でのことでした。

 

  生後、真栄城先生に会って

空が5ヶ月になった9月。約半年ぶりに研修所を訪問しました。空は、先生と目が合った瞬間、キャキャッと大きな声を出して笑いました。親しい身内でもこれほどはないくらいの喜びようです。お腹の中にいる時に何度も会っているから覚えていたのでしょうか。それとも、もしかすると空は生まれる前、わたしよりずっと前に先生を知っていて、わたしを内観に導いたのでしょうか?

 

  日々、内観?

初めての育児で精一杯な今、日常内観は正直まったくできていません。ですが、不思議と、自分に対する発見の機会は出産前よりずっと増えた気がします。自分の内にいたわが子を見る・観ることは「内を観る」、「内観」に近いのかもしれません。

 

このように、生まれてくる前から不思議と空は内観に関わりがありました。

空という名前は、主人が「その名前を口にするたびに、大事なことを思い出せるような名前にしよう」と言って、色即是空の空(くう)の意味を込めてつけました。空(くう)とは、わたしなりのつたない解釈では「すべては心次第」ということではないかと思います。今この原稿を書いていて気づいたのですが、これまたなんとも「内観ベビー」にふさわしい名前だったものです。「内観ベビー」空くん、生まれてくる前からたくさんの気づきをありがとう。

真栄城先生、奥さま、研修所のみなさま。これからも親子ともどもよろしくお願いいたします。

 

 

 親しくしている恩師のような先輩が70歳を迎え、あの世が近くなったと感じたらしく生前葬を執り行うという通知が届いた。名古屋のとあるイタリアレストランを貸し切って、盛大なパーティーをするというので出席した。ご本人からのお別れの言葉(小講演)のあと、どういうわけか来賓挨拶があり、それに続いてなんと乾杯(?)の音頭があった。まるで会場の雰囲気は結婚式である。そのあと2名にスピーチの指名があった。その中の一人に私が指名されたので、いちばん最後に弔辞の言葉を述べた。さいごは、もちろん日本語の中で最も美しい言葉とされている「さようなら」で結んだ。それからしばらく経った先月のことであるが、海外出張があって、出発を待つ関空の書店で表題の<日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか>という本を見つけたので、購入した。以下は、機内で読んだ本からの抜粋である。

 

日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか

 

竹内整一著 ちくま書房

 

アン・リンドバーク(19062001)という、アメリカの女性飛行機乗りで、のちに紀行作家になった人がいます。彼女に、アメリカからアラスカ、シベリア、そして日本への飛行を敢行して、日本に降り立った際に見聞きした光景・印象などを書き集めた本があります。

 横浜の港でお互いに分かれる人々の間で、「わたしには意味のわからない呼びかけが船と岸あいだの距離を行き来し」ていたが、それが「サヨナラ」という言葉だったとして、続けてこう書いています。

 「サヨナラ」を文字どおりに訳すと、「そうならなければならないなら」という意味だという。これまでに耳にした別れの言葉のうちで、このようにうつくしい言葉をわたしは知らない。Auf  Wiedersehen やAu revoir Till we meet againのように、別れの痛みを再会の希望によって紛らそうという試みを「サヨナラ」はしない。目をしばたたいて涙を健気に抑えて告げるFarewell のように、別離の苦い味わいを避けてはいない。(『翼よ、北に』)

 別れの場面を、何らかの不可避の状況として、「そうならなければならないなら」という意味で日本人は「サヨナラ」と言って別れているのだという理解です。「うつくしい」というのは、-中略-別れを「再会の希望によって紛らそうと」していないし、「Farewellのように、別離の苦い味わいを避けてはいない」ところでのあいさつだと考えたからです。

 Farewellとは、すでに見たように、"Well"「うまく」、"Fare"「やって行って下さい」という別れ言葉ですが、リンドバークは、それは「励ましであり、戒めであり、希望、また信頼の表現」であるが、しかしそれは、「その瞬間自体のもつ意味を見落としている。別れそのものについては何も語っていない。その瞬間の感情は隠され、ごくわずかのことしか表現されていない」と考えています。

 ― 「一方、Goodby(神があなたのとともにありたもうように)とAdiosは多くを語り過ぎている。距離に橋をかけると言おうか、むしろ距離を否定している。Goodbyは祈りだ。高らかな叫びだ。「行かないで!」とても耐えられないわ!でもあなたはひとりじゃないのよ。神さまが見守っていてくださるわ。いっしょにいてくださるわ。神さまの御手が必ずあなたとともにあるでしょう」」、と饒舌でありすぎる、と。

 

 しかし、日本人の別れ言葉の「サヨナラ」は、そうしたFarewellともGoodbyとも違うと、こう述べています。

 けれども「サヨナラ」は、言いすぎもしなければ、言い足りなくもない。それは事実をありのままに受けいれている。人生の理解のすべてがその四音のうちにこもっている。ひそかにくすぶっているものを含めて、すべての感情がそのうちに(うず)()のようにこもっているが、それ自体は何も語らない。言葉にしないGoodbyであり、心をこめて手を握る暖かさなのだ―「サヨナラ」は。

  奈良女子大学では、地域貢献事業として明日の910日(土)、午後2時より奈良県文化会館を会場に教育学者として高名な佐藤学氏(東京大学大学院教育学研究科教授)を招いて教育講演会を企画しました。明日の講演を拝聴する前に氏の著書に目を通してみました。一冊は共著で「表現者として育つ」(東京大学出版会)、もう一冊は<「学び」から逃走する子どもたち>(岩波ブックレット)です。本欄に紹介するのは、後者の著書ですが、前者の著書も対談も含めて興味深い内容ばかりです。明日の講演が楽しみになってきました。参加費は無料です。当日参加も受け付けておりますので、幼児教育に興味のある方は、ご参加ください。以下に、前者の著書から印象に残った箇所を抜粋しておきます。

 

 「勉強」という言葉にはもともと「学習」という意味は含まれていませんでした。たとえば、中国語にも「勉強」という言葉がありますが、辞書をひいて意味を調べてみると「①無理をすること」と「②もともと無理があること」の意味しかありません。日本においても、明治20年代に「学習」の意味で「勉強」が使われるようになるまでは、「無理をすること」と「もともと無理があること」の意味以外で使われることはありませんでした。商売で「「これ以上まけられません」という意味で「勉強しておきます」と言われることがありますが、それ以上の意味をもった言葉ではなかったのです。「勉強」という言葉が「学習」を意味するようになったのは、おそらく明治20年代以降です。欧米文化一辺倒の明治の学校の学習や受験のための学習には「無理がある」という意味で「勉強」という言葉が使われたに違いありません。その「無理」がいつのまにか当たり前になってしまったのが、「勉強」に象徴される日本の学校文化であると思います。その「勉強」から子どもたちが大量に逃走しています。もう二度と「勉強」の世界へと子どもたちが立ち戻ることはないでしょう。―中略―

 「勉強」と「学び」の違い

私自身は、「勉強」と「学び」との違いは、<出会いと対話>の有無にあると考えています。「勉強」が何ものとも出会わず何ものとも対話しないで遂行されるのに対して、「学び」はモノや人や事柄と出会い対話する営みであり、他者の思考や感情と出会い対話する営みであり、自分自身と出会い対話する営みであると思います。

 「学び」とは、モノ(対象世界)との出会いと対話による<世界づくり>と、他者との出会いと対話による<仲間づくり>と、自分自身との出会いと対話による<自分づくり>とが三位一体となって遂行される「意味と関係の編み直し」の永続的な過程であると、私は定義しています。ー中略ー

 これまでの「勉強」は、教科書と黒板とノートによる「座学」であり、脳のシナプスの結合でした。何者とも出会わず何ものとも対話しないで、ひたすら教師の説明を聴き黒板と教科書を読んで理解し記憶するのが「勉強」でした。

 座学によって教科書の知識を習得する「勉強」は、プラトンが描き出した「洞窟の神話」に譬えることができます。「洞窟の囚人」が洞窟の壁に映った影を現実と見誤って認識したように、教科書と黒板に映し出された知識を習得している子どもは、現実の世界の知識を学んでいるのではなく、教科書と黒板に映し出された知識の影を情報として習得しているに過ぎません。この壁を克服するためには、道具や素材や人によって媒介された「活動的な遊び」を教室に実現する必要があります。

(<「学び」から逃走する子どもたち>岩波ブックレットのp54-58より)

 

 

「山折哲雄・特集号」によせて 

 

奈良女子大学  真栄城 輝明

 

 

今号の第七号は、前号の発行から約一年ぶりの発刊となりました。会員はもとより、関係各位の皆様には、長くお待たせしてしまい、心よりお詫び申し上げます。

 さて、本号は標題にも示したように、日本国際文化研究センター元所長の山折哲雄名誉教授による講演を特集することになりました。

大和まほろばの会は、二〇一〇年二月二一日(日)に大和郡山市市民交流会館を会場にして研修会を開催しました。午前中は「日本人と天然の無常観―縄文期から培われた無常観を考える―」をテーマにした基調講演をたっぷり二時間近くも聞くことが出来ました。今号には掲載しておりませんが、午後からは、精神科医で神父の井原彰一氏に加わっていただき、対談形式のシンポジウムを行い、仏教とキリスト教の邂逅というきわめて興味深いセッションが展開されたことを付言しておきます。

 ご紹介するまでもなく、山折氏は日本の宗教学の第一人者であり、著名な方です。そういう方に大和郡山までご足労いただいたことは大変貴重なことでした。

 本号の特集では、基調講演のほかに山折氏へのQ&Aについても掲載しました。当日は参加者の質問にとても分かり易く、丁寧に答えていただきました。  

周知のように、内観は元々仏教の修行法である「身調べ」から生まれました。したがって、内観法の本質を考える際に、仏教の智慧なくしては深い理解に至ることは難しいように思います。

 後半のシンポジウムでは、私自身、これまでの内観臨床において、疑問に感じていたいくつかのことを質問させてもらい、目からうろこが落ちるような見解を示していただき、大変有意義なこととして感謝致しております。

 最後になりましたが、三和中央病院の馬場博氏、蓮華院誕生寺の大山真弘氏、ヨーガ療法士の寺越晴美氏、西村みどり氏、教師の酒井ゆり子氏のほか、長島正博先生の追悼文を寄せて下さったなわて内観研修所の西山徳子氏にも心から感謝申し上げます。