2011年10月アーカイブ

 

 かつて私は、ロールシャッハ・テストの訓練を受けているとき、クライエントには直接会わずに、ロールシャッハ・プロトコルだけから解釈を行うblind analysis(目かくし分析)を学んだことがある。これは「一つのロールシャッハ・プロトコルから、できるだけ多くの情報を汲み取る訓練になると同時に、この検査を単独で用いた場合の、その限界を認識する謙虚さを学ぶ上にも有効である」(片口安史 1974)と言われており、内観面接者養成と訓練に際しても有効な方法だと考えて、私がブラインド・アセスメント法と名付けた。

山折哲雄(1999)がロラン・バルトを引用して紹介した言葉に、「中世は聴覚の時代であった。それに対して、我々が生きている近代は視覚の時代である」というのがある。そうなった理由として、山折は「顕微鏡や望遠鏡が発明されたことによって、見えるものだけが重視されるようになった。それらを通して見えるものだけが存在し、見えないものは存在しないという考えが出てきた。その結果、神や仏も耳で聞くものではなくて目で見るものだという考えになった」と指摘する。そこで、「中世の人々が神とか仏の存在を目ではなく、耳(心)で聞いた」ように、近代人は中世の人々にならってもう少し聴覚を取り戻した方がよいと思われる。たとえば、ドイツ人の宗教改革者、マルチン・ルターの「神は聞くもの、神の言葉を耳で聞け」と言った言葉や親鸞が「仏法にふれる究極は聞法、すなわち法を聞くことによって初めて実現される」と言った言葉を重視すべきであろう。

内観の面接をしていると、目の前に存在しない人やモノの存在を耳で感じたと報告する内観者に遭遇することがあるが、内観面接者としては、それをキャッチできる感受性を身につけてほしいと考えている。ブラインド・アセスメント法は、それを可能にするための面接者養成のトレーニングなのだ。今年の第14回日本内観医学会大会でもその方法でトレーニングを受けた臨床心理士の白羽知子さんが研究発表を行っている。

 

今回もまた夏休みを利用して集中内観に行ってきた学生の体験レポートを紹介します。人は誰しも自分の欠点、弱点、短所、醜さ、汚さには蓋(フタ)をして、見たくないのがふつうです。ところが、内観ではその蓋をはがして真実の自分と向き合います。見たくない、隠しておきたい自分を直視できた時、人は浄化され、すがすがしい心境が訪れて、変わるのです。内観面接に携わっていると、内観はまるで神道で行われている禊(みそぎ)のように感じられることがあります。キリスト教においては、邪悪なもの、悪魔は退治すべきものとして考えられているようですが、日本の古神道(国家神道ではなくて、本来の神道)においては、邪悪なもの、悪霊は退治するのではなく、むしろ祭って、なだめることによって善神に転化させるという考えがあります。

学生の体験レポート読んでいると、内観の理論化には欧米の心理学よりも日本独自の神道にヒントを求めた方がよいのかもしれない、と思うことがあります。

 

岡田万美(子ども臨床学コース3回生)

 

8月21日から27日まで、実家の近い山陽内観研修所で集中内観を行った。自分の中に潜っていく7日間。そのなかで、私は大きく2つのことを知った。

 内観を進めるうちに見えてきたのが、「ほんとうの自分」だ。しかしそれは決して綺麗なものではなく、根拠のない万能感に浸り、他人を見下し、それだけの価値が自分にはあると思い込むという汚い人間であった。それは「嘘と盗み」の課題について調べているとき、中学でのいじめ体験を思い出す過程で知ったことだ。

いじめられていると思い込み、加害者を軽蔑することで、私は自分の現状を変えないで済んでいた。しかし当時の自分の振る舞いを思い出すと、その思い込みが偽りであったことに気付く。いじめというフィルターを通さずに当時の自分を眺めると、そこには何も努力しないまま、根拠のない自信から他人を見下している汚い自分がひとり残されているのみであった。私はその恐ろしい事実に戦慄した。そして周りの人との関係を思い出す。家族や幼なじみ、大学でできたたくさんのつながり。「こんな私」の周りにいてくださっている多くの人々、そのありがたみを心から感じた。涙が止まらなかった。

もうひとつは、今年初めに亡くなった祖父のことだ。父のいない私の父親代わりを務めてくれていた祖父なのに、献花のときくらいしか泣かなかったことがずっと心に引っかかっていた。ずっと看病していた母がひどく泣いていたため、私は泣くわけにはいかないと思っていたのだ。しかし、祖父が私へ向ける視線は、ひとりの人間へ対するそれであったことを思い出した。親の親、ではなく、私の祖父が亡くなったのだと飲み込み、きちんと別れを告げることができた。

これら2つから、自分が事前に用意していた「答え」が、まったくの見当外れであったことを実感した。知っているはずなのに聞こえないふりをし続けていた自分、それから解放されてとても楽になったように思う。

 

 

 中国の天津市からメールが送られてきました。第三回の中国内観療法学会大会の大会長を務めた毛富強氏からです。内容は私個人宛にというよりも日本内観学会や日本内観医学会の会員はもとより、様々な分野で内観に関心を寄せる内観関係者に向けたメッセージのようです。それで、本欄に掲載することにしました。

 

毛 富強

(天津医科大学精神医学教研室)

 

去る2011818日から822日までの三日間にわたり、天津医科大学を会場にして中国第三回内観療法学術大会が開催されました。主催は中国心理衛生協会内観療法学組(上海市精神衛生中心)でしたが、大会の運営は天津中医学会亜健康専業委員会の協力を得て、天津医学大学精神学研究室が担当しました。天津医科大学では20097月にはじめて内観療法研修会を開催して以来、これまでに7度の内観療法研修会を開催してきました。その時点での研修会参加者した人の総数は、166名を数え、国内と国外で発表した内観に関する論文数は19本に達しておりました。そして、今年の20118月には、第15回目の内観療法研修会が開催されました。その時、参加者の総人数は395名を数えるまでになり、国内と国外で発表した論文の総数は49本を数えております。

さて、今大会のメインテーマは、「Change Period Society And Psychological Support(時代の転換期における心理学的支援)」としました。参加者は中国国内(北京、天津、上海、重慶、河北、山東、山西、黒竜江、遼寧、甘粛、河南、広東、福建など)の150名(医者、教師、心理カウンセラー)に加えて、日本からは、奈良、大阪、岡山、青森、九州から内観療法の専門家が15名も参加していただきました。中国国内の講演やシンポジウム及び一般演題発表者は、大会事務局がとりまとめましたが、日本からの講演と一般演題の発表者は、日本内観学会副理事長の真栄城輝明教授(奈良女子大学)が中心となって、日本内観学会事務局長の堀井茂男院長(慈圭病院)と共にお世話をしていただきました。大会を盛り上げていただいた日本からの参加者の皆さまに、この場を借りて深く感謝申し上げます。

次回の開催地についてご報告しておきますと、現在、広東の珠海、甘粛の蘭州、内モンゴルの通遼など3つの場所が開催候補地として名乗りを上げましたので、大会中に大会誘致の演説会を行いました。来年天津で中国第九回森田療法学術大会が開催されますので、その時までに開催地を理事会で決めることになっています。以上、当日の大会のプログラムを紹介しましたが、日本から参加された先生方は口々に「中国の大会運営の仕方が日本とはだいぶ違いますね」と言っていたのが印象に残っています。

 ところで、天津医科大学の精神医学教研室は中国で内観療法の応用を研究するもっとも歴史のある機関のひとつです。1995年から現在まで全七回の内観療法研修会を行ってきました。集中内観体験者数は166人います。その中から国内・海外の研究誌に全19部の論文を発表しております。この15年間の内観研究を通して、我々は中日文化の違いが中国における内観療法の実践に大きく影響することがわかりました。このテーマは、今後、中国における内観療法の展開を考えて行く上で、非常に大切なことだと思います。

訳者:許雷(中国ハルビン市曲偉傑心理学校)

本間 友佳

文学部・人間科学科・子ども臨床学コース

 

この夏最後の日射しを浴びながら大和内観研修所の門をくぐった9月18日。その日から7日間、授業の一環として、初めての集中内観に参加させていただいた。不安や心細さは思っていたほど感じなかったが、法座について眼前にそびえる屏風を仰いでは、やはり狭いなぁ、どうしてこのようなところに自分はいるのだろうなどと可笑しく感じるとともに、寂しさに包まれた。それから24日までの間、私は朝から晩までひたすら屏風に籠ったが、その間に世界では台風が1つ過ぎ去り、いつの間にか秋を迎えていた。その一週間がもたらした、私の変化について記す。

 内観をしてわかったこと、というか今一度確認した1番大きなことは、自分がいかに愛されて今日を生きているか、ということである。家族1人1人について私が幼いころからの内観をしていくうちに、本当に抱えきれないほどたくさんの時間やお金、そして愛情を私1人に注いで頂いていたということに改めて気づかされた。決して胸を張ることのできない自分の性格や短所を私は度々、母子家庭で育ったことや、1人っ子であること、忙しく働いてきた家族からの愛情不足を言い訳にして自身や周囲を納得させてきたことを思い出し、心底恥じた。母と祖父母の3人から、文字通り一身に愛情の全てを受けてこの20年間、成長してきた。私の性格や悪癖の問題があるとすればそれはまさしく自分自身の生き方が原因であり、恥ずかしくも誇らしさをもって、家族の私への教育は、ほぼ完璧だったと言い切って過言でない。当たり前のようで忘れている家族への感謝と、家族が皆、いまだ元気でいてくださることへの喜びを、まずは再認識する場となった。

 今まで関わった友人や恋人についても内観をし、家族でもない他人で、人としての魅力にも最低限の常識にも欠ける私を無条件に、こんなに好いてくれて、心配し、応援してくれる人々が沢山いたことに気づかされた。これは正直なところ完全に新しい発見であった。友人の数は多くない、その少ない友人にもかけるだけ迷惑はかけるものの全く意に介さない、それが私だと自覚はしていたものの、改めて自身の勝手さに思いを馳せ、周囲の人々がこんなにも私のことを純粋に思いやって動いてくれ、またはただただ好いて、そばにいてくれていた、その幸福を感じた時、私は初めて涙が出た。

 元気がないやる気が出ないという理由で留まっている私に、家族がかけてくれる励ましの言葉や期待、友人や恋人が与えてくれる安心。そのようなものの重みがわかるようになってやっと、わたしは今までの生活から脱却し、私を愛してくださる人の為に自分の為に、しっかり歩んでいこうという意思を固めることができた

 内観についてその内奥をよく知りたいという興味を持つこともできたし、もっと勉強したいという思いを引き出させていただくこともできた。何より自分自身のことについて理解でき、自分を大切にしようという思いが生じたことが何よりの収穫であると感じる。得たものはこれからの勉学の糧として、しっかり活かしていきたい。

 このような素晴らしい機会を下さった真栄城先生、おいしいご飯を毎食作ってくださり、心地良い生活環境を提供してくださった奥さま、本当にありがとうございました。