2011年11月アーカイブ

今号も前回の続きで、「躾と虐待の違い」について、学生(院生)が提出してくれたレポートを掲載することにしました。このレポートを臨床心理学の授業で他の学生にも聞いてもらったところ、具体的で分かりやすいと、受講生からも好評でした。

 

自分のことで恥ずかしいのだが、私の父は「しつけ」と称して、よく姉や私をビンタした。要領の良かった私は、危機を察知すると逃げ出して難を逃れることができたが、時には察知に失敗し被害にあった。おっとりしていた姉は、頻繁に被害にあっていたように思う。その頃の父の年齢を超えた今となっては、父の入り婿としての苛立ちとか、焦りなども理解でき、煩かった私たち子どもに苛立ち、うっぷんを晴らしていたのかもしれない。子どもにしか怒りを発散できなかった、父に対して気の毒な思いも湧いてくる。

さて、父はビンタを「しつけ」と称していたが、一体、私たちに何を「しつけ」していたのか?私は全く記憶にない。姉に聞いてみたが、姉も覚えていないそうだ。おそらく、私たちが何か悪さをして、そのことに対して怒りが爆発して、ビンタという形になったのだろう。しかし、子どもたちの記憶に残ったのは「怯え」と「恐怖」だけだ。これは、着物の躾では、生地の糸に傷をつけることに相当し、和裁の職人としては失格である。針で傷つけられた糸は、いつの間にか、そこから微妙な歪みが生じ、生地が攣れてくるのだ。人間でも同じことだと思う。このような痛みを伴う「しつけ」で生まれた「怯え」と「恐怖」から、私が身に付けたことは、父の顔色を見ることと、父の前では息を殺し静かにすることと、こんな意味不明な怒り方をするような人とは絶対結婚しない、という強い思いだった。そして、今でも感情的に怒りをぶちまけている人を見ると、心臓がバクバクして苦しくなってくる。無理やり、力ずくで子どもをしつけようと思っても、そこから生まれるのは、力に対する反発だけだと思う。

では、父のこの暴力的なしつけは虐待なのか?今の世の中の基準からすると、虐待ととられる可能性は高い。私は、ビンタをされても意地でも泣かなかったが、姉は大声で泣き叫んでいた。今だったら、近所が児童相談所に通報しているかもしれない。その当時、今ほど頻繁に「虐待」という言葉が使われていなかったように思う。私は父の行為を虐待ではなく、単なる感情の爆発とそれに伴う暴力と思っており、「しつけ」とは思っていなかった。子どもながらに父親を観察・分析した結果、父親の怒りのツボを刺激しない限り、怒りは爆発しないことを発見したからだ。そして、刺激によっておこる怒りは「しつけ」とは無関係だろうと、子どもながらに冷静に判断し、父を軽蔑した。それに、父は祖母の前では絶対に爆発しないことも発見した。被害を避けるには、刺激しないこと、関わらないのが一番と思い、極力父を避けていた。たまに、父が家を留守にすると、本当にのびのびとし、女家族の気楽さを満喫していたように思う。その当時(昭和40年初め)、父と同類の、すぐ手をあげる短気な父親が多かったように思う。そんな状況だったので、世の中には優しいお父さんと怖いお父さんの二種類があって、自分は不運にも、怖い父親に当たってしまったと諦めの境地だった。

虐待と、父のようなビンタとの違いは、継続性にあると思う。父がの怒りが爆発した場合、母親が止めに入ってくれる。時には、怒りにまかせて母親も投げ飛ばしたりするのだが、それでも短時間で怒りは収まる。その後、二日ほどかなり気まずい空気が流れ、こっちも目を合わせず話もせず、ぎくしゃくしているのだが、いつのまにか、いつもの日常に戻っている感じだった。いつもの日常に戻ると言っても、私の心にシコリは残っており、少しずつ少しずつ父との距離は遠くなっていたのだが・・・

虐待の場合、一時的に暴力が収まり平穏な状態に戻っても、またすぐに暴力が再発し、継続されるのではないだろうか。そして、あまり暴力の支配力が強すぎて、被害者が身動きのできない状態になってしまうのではないだろうか。私のように、子どもながらに冷静に分析し、対処方法を見つけるような余裕は、虐待には無いように思う。暴力と、その暴力の受け手との相互関係において、お互いがお互いに依存しあい、がんじがらめになっているような、抜き差しならない関係を背景としているのではないだろうか。私と父との関係は抜き差しならない関係ではなかった。色々な対策を講じ、バリアを巡らした結果、小学校に上がってからのビンタは激減したが、常に油断は怠らなかった。

 

さて、このような父と私の関係を祖母はどのようにみていたのだろうか。祖母から父の文句や悪口は聞いたことがないが、祖母の内心は想像できる。父に叩かれた、泣きながら祖母の膝に抱きついていた記憶は何度もなり、そんな時、着物の躾の話をしてくれたのかもしれない。私は、祖母と一緒の時も、いたずらや悪さをして何度も祖母に叱られた。しかし、叱られているにも関わらず、嫌な感じは全くなく、祖母に叱られている場面は、今でも懐かしく思いだされる。そして祖母からお叱りや教えは私の中に息づいているように感じる。 

祖母の「しつけ」は、私という子どもの生地の特性を理解したうえで、生地を傷めないように柔らかい「ぞべ糸」を使って、締めるところは締め、伸ばすところは伸ばし、ずれないようにきっちりと押さえ、まったく違和感を抱かせず、知らず知らずのうちに生地に良い癖をつけていくという、着物の躾そのものだったように思う。子どもの持つ特性を見極めることは難しいし、躾ける側の希望や欲もあり、それを子どもに押し付けたく思うこともあったはずである。しかし、当の子どもである私に「押し付けられた」という思いは一切なかった。叱られつつも、なぜか楽しく、褒められては喜び、のびのびと過ごしていた。あくまでも主体は、生地であるところの子どもの私だった。子どもの長所を見つけて伸ばし、子どもの気持ちを傷つけず短所を矯正していく。その作業を丁寧に繰り返すことで、やがて着実に躾は効果を発し、やがて躾糸を外す日が来ても、まるで躾糸で押さえていた時のように、着物は美しく、その形を保ち続けるのである。

私の大好きな祖母は、私が中学に上がる頃から持病の心臓が悪化し、寝て過ごすことが多くなり、和裁もできなくなってしまった。行儀が悪いと、叱られることもなくなった。一緒に寝ていたので、色々な話をしたが、いつも笑って聞いていることが多かった。そして、中2に上がる直前に亡くなった。両親がいたにも関わらず、私は寄る辺を亡くしたように心細く、不安でたまらなかった。まるで躾糸を外された着物の気分はこのようなものかと思った。たった13年の祖母との付き合いであったが、私にとっては大切な永遠の時間である。祖母の躾に深く感謝しており、その躾が今でもしっかりと私の中に生きていることを、誇りにおもっている。

臨床心理学の授業は、教員だけが一方的に講じるのではなく、受講生が興味と関心を持っているテーマを取り上げて、ちょうどシンポジウムのように学生自身にレポートを発表してもらっているが、ときにはその延長でディスカッションが展開されることもある。したがって、講師の役割を簡単に言えば、コーディネイターとコメンテーターと座長を合わせたものに近いだろうか。今回の本欄では、先週の授業で話題になったレポートをご本人の了解を得て紹介するが、長文なので、2回に分けての連載になる。

 

躾とは何か・虐待との違い

 

森下 文

(奈良女子大学人間関係行動学講座 M1)

 

 「躾」という言葉を聞くと、明治21生まれの祖母を思い出す。祖母は、自宅で和裁を教え、家業の呉服屋の仕立てもしていた。両親は忙しく、幼いころは祖母とすごしていた時間が長かった。大して役にも立たなかったが、針に糸を通したり、糸巻きなど手伝っていた。和裁の「躾」は人間の「しつけ」にもつながると、その頃祖母に聞いたことを思い出した。

 洋裁はミシンで本縫いをする前に「仕付け」をするが、和裁では、すでに縫い上がった着物に「躾」を施す。洋裁では、仮縫いの印象が強いが、和裁では仕上げ段階の一つというニュアンスである。「ふき」という着物の袖口や裾から、少しだけ見せる色のきれいな裏地を安定させ、「きせ」という縫い目が見えないように折った細いひだを安定させるために必須の工程が躾である。躾の作業は、特殊な「ぞべ糸」を使い、着物の裾や褄や袖口など端の部分全体を、表地と裏地を押さえ、綴じていく大変な作業である。しかも、大変な作業にも関わらず、着物を着るときには、一気に全部外してしまうのだ。「どうせ外してしまう躾だったら、面倒くさいしする必要ないのでは?」と祖母に尋ねたところ、「そんなことは絶対にありえない」と言われた。祖母によると「着物は人間の赤ん坊と似ている。縫い上げて、一応着物の形になってもそれはまだまだ未完成で、生まれたての赤ん坊が、すぐに一人前の人間にはならないのと同じ。色々と親が手をかけて、目をかけ、心をかけてやっと一人前になる。子どもが一人前になったら、親は躾糸みたいに姿を消さないとだめ。いつまでも親が子供にくついて、あれやこれや指図するのは、躾糸をつけた着物をきているみたいでみっともない。着物も赤ん坊と一緒。出来立ての着物は、布の癖も残っているし、表地と裏地の相性もしっくりこないし、さらにそこに縫い手の癖が加わっている。この生まれたての着物を、躾の工程を省略して人に着せるとどうなるか?生地が自己主張して着にくいし、型が崩れて醜く、着物としては出来そこないになってしまう。着にくい着物は、だんだん着ないようになり、箪笥の肥やしで終わる。人間だって、自己主張ばっかりして、相手に合わせることができないと嫌われる。持っている良いところは伸ばし、悪いことは直していかないと大人にはなれない。着にくい着物を、無理やり着つけようとすると、無理な力がかかって破れてしまうこともある。それは、着物にとっても不幸だし、着る人にとっても不幸なこと。人間でも、まったく同じこと。だから、縫った人が、丁寧に着物に躾けることは、一見、面倒で空しい仕事に思えるかもしれないけれど、絶対におろそかには出来ない大切な仕事。」というようなことを言っていた。子どもながらに、妙に納得したことを覚えている。 

 実際に私が大人になって和裁を習った時、祖母の言っていたことが実感として理解できた。躾糸を「ぞべ糸」というのだが、これは着物生地の糸よりかなり細く、撚りが半分の柔らかいもの使う。これは、躾ける際に着物生地を傷めないためである。生地に合わせて、躾糸を変えることは勿論であり、躾ける際に針で着物生地の織糸を刺すことも厳禁である。つまり、躾は着物生地の織糸と織糸の交差の隙間を縫っていくのである。このように、細心の注意を払って着物の躾はされているのだ。これほどの細心の注意と手間をかけて、やっと着やすい着物が完成し、その後大切に扱えば、傷みも少なく、娘にも孫にも着てもらうことのできるのだ。

着物離れが進み、着物の躾の意味も知らない人がほとんど今日、人間の躾はこれほど細心の注意を払ってなされているだろうか。「しつけ」は親の仕事と多く人は思っているだろう。私もそう思って生きてきた。しかし、近頃の親事情は違ってきているようだ。「しつけは、学校でするものでしょう。」とか、「しつけをきちんやってくれると思って高い授業料を払っているのに」とか「しつけをして親子関係を壊すぐらいなら、厳しいしつけは先生にお願いして、親は子供の見方になりたい」と臆面もなく話す保護者が結構いるのだ。躾は手間も時間もかかる面倒なことだし、子どもからは反抗もされ、時には恨まれるようなこともあるかもしれない。しかし、躾けは親の責任だと思うし、子どもに様々な世の中のルールを教えていく中で、親自身も成長していける大切な過程ではなかろうか。大変だけれど、その中に子育ての喜びが秘められていると思う。このような思いを一生懸命伝えているのだが、「しつけは外注で気軽に」と本気でおもっている保護者の方々にはなかなか分かって貰えない。このような親に育てられた子どもが親になったとき、自分の子どもをどのように躾けていくのかを考えると、暗澹たる思いがする。

(「虐待との相違」については、次号に述べることにします。)

 

1112日は土曜日の午後、奈良女子大学において、地域貢献事業の一環として講演会とシンポジウムが「日本文化におけるシュタイナー教育の在り方をめぐって」をテーマに開催されました。基調講演の講師には、ミヒャエル・エンデとの親交が深かった早稲田大学名誉教授の子安美知子先生を、シンポジストには本学文学部の西村拓生教授とシュタイナー教育治療教育者の脇坂安郎先生を招いて、およそ70名余の参加者とともに活発な討論が繰り広げられました。

 本欄では、内観との関連で話された脇坂先生の発表資料から一部を抜粋して紹介します。

 

 <はじめに>

バイオグラフィーという英語は、「伝記」「自分史」と訳すことができる。バイオ=いのち、グラフ=関数図形は、人のいのちの軌跡。その轍(わだち)の跡を人間は跡録(あとど)ろうと努めることである。

 <ふたつの登り道>

 人智学バイオグラフィーのコースに参加している中で、30年前に試みた内観との異同に興味をひかれた。両者は、等しく山の頂を目指しながら、その登り方はかなり異なっている。何が共通で、どういうところが異なっているか、またこれらを調和的に取り入れて、内観的人智学バイオグラフィーとでもいうべき登り道を見つけることができるだろうか、と思った。

 そこで、内観関係の書物をもう一度読み、内観発祥地奈良県大和郡山市に身を運び、再び内観研修を行った。また、20106月には11名の参加者を得て、内観的・人智学バイオグラフィーワークを卒業ワークとして行なった。

 ここでは、内観の特性を、人智学バイオグラフィーとの比較、を通しながら、概観してみよう。

 

<人智学バイオグラフィーとの異同>

生まれてからの自分の人生を、歴史的に振り返ることについては、同じくバイオグラフィーである内観は、振り返る内容が拡散しないように、自分に関係のあった人との関係における3項目に絞り込んでいる。これは、人は人間関係の中で、生きとし生けるもの、在りとしあらゆるものによって生かされているという、大乗仏教の思想が底辺に流れているように思える。とりわけ、1回目の内観は、「~こと」という、事実だけに焦点を当てることによって、自己の解釈、主観、主情を抜き去って調べていこうという点に特徴がある。事実を客観的に調べ直すことによって、そのとき気づかなかった人の愛を、いまここに新たな視点から発見してそれを受け直し、今ここに新たに生きるという実存的な生のベクトルがある。 

  その当時のありのままの自分への回帰、

  それをいま客観的に眺め直す歴史的に生長した自分、

  そしてそれらの底にあるものに今気づき、いま新たにここに生きるという生(せい)の弁証法ともいうべき三層構造。

Here and Now という標語は、時間と空間の幻想性を取り払うマジックワード。そのとき母と共に生きた私は、いまここに、母と共に生きている。過去・未来という絶対時間的な座標の横軸は、いまという瞬間に息づき、そのとき共にいた故郷という空間たちは、ここという縦軸に生息している。このときXYZの三層構造の弁証法は、多次元的一元の高みに上昇し、内観する人は清らかな至福の涙にいのちを洗われるだろうか。

このことに関連して、シュタイナーは次のように語る。

"・・・このようにして把握されるものは、要するに、私たち自身の生の現実性です。私たちは地上における自分の生―生まれてからこのかたの生―をどのようにして知るのでしょうか。それは記憶によってです。私たちの記憶は幼年期のある時点までさかのぼることができます。魂の名状しがたい深みから過去の経験についての記憶が立ち現れます。それは影のようにぼんやりしています。日々得られる活力に満ちた強力な体験にくらべて、私たちの生についてのそうした記憶像はいかに漠然としていることでしょうか。しかし、もし思考というものを、先ほど述べたような仕方(*思考の行―筆者注)で理解するなら、こうした記憶の影のような特質は霧散するでしょう。そうすれば私たちは自らの地上の生に立ち戻ることができ、十年も二十年も前に体験したことを、それをはじめて体験したときのあの内的な力をもって再び体験することができます。もちろん、外的な事物や人間に直せつ接することはできないのですから昔の体験と全く同じというわけにはいきませんが、その代わりにそうした昔の経験のいわば「抽出物」を経験することができるのです。そしてそれは、逆説的に聞こえるかもしれませんが、まことに明瞭に描き出されるのです。その結果たちどころに、誕生時にまでさかのぼる私たちの生の全体が、一大パノラマのように眼前に繰り広げられます。その際、個々の出来事が単に時間的継起にしたがって現れるのではなく、一枚の完全な生の図絵として提示されます。

 すなわち、時間が空間に変わるのです。このようにして想起される経験はありきたりの記憶ではなく、私たち自身の奥底にある深い本質―普通、意識されている人間の内部にひそむ第二の人格―と相対することを可能にしてくれるのです。・・・"

 

内観三項目について、吉本師に質問したことを思い出す。

「ひとつめの、お世話になったことと、三つ目のご迷惑をお掛けしたこととの違いはどういうところにあるのでしょう。」という私の質問に、

「どうぞ、ご自分で考えて見て下さい。」と答えられた師。

 先日、吉本師の内観研修所を受け継いでおられる三代目の前所長真栄城輝明氏とこの話になった。真栄城氏は、次のように明快に応えられた。

「ひとつめに対しては、『ありがとうございます』とお礼の言葉が出てきます。みっつ目にたいしては、『申し訳ありません』と、いわざるを得ないでしょうか。」

  なるほどと思いながら、屏風の内側で思わず考えた。

" Thank you" がひとつめ。"I am sorry" "Please forgive me" がみっつ目。

 ふたつ目は、きっと"I love you" であるべきだろう。

ハワイのヒューレンが、世界を回って唱え続けている三つ(4つ)のマントラも、同じ根から生まれた同じ頂を目指す、異なった登り道なのだろうか、と。

 ひとつの道は、人生全体の法則性を認識を通して見出すことによって― 人に感謝しながら、いまここに生きようとする人智学のバイオグラフィー。

 ひとつの道は、二河白道(にがびゃくどう)を二人同行(ににんどうこう)で歩み来たったこの私を、懺悔感謝しながら― いまここに生きようとする内観のバイオグラフィー。

ありとしあらゆるものに感謝して、同じ頂上を目指す西洋と東洋=東洋と西洋の、ひとつにしてふたつの道。

 

今号も、前号に引き続き「内観面接者養成研修に参加した研修者の視点からの一考察」について紹介したいと思います。面接者としての立ち居振る舞いについて考えた研修生の白羽さんは、最近臨床心理士の資格を取得されていますが、もともとは獣医師です。獣医医師としての経験から面接者の振る舞いを考察したあたりがなんともユニークで面白いところです。

以下には、発表原稿の中から面接者の立ち居振る舞い」の部分とサブタイトルになった思い違いから気づきへの過程」について考察した部分を紹介したいと思います。

 

〔面接者の立ち居振る舞い〕

研修がはじまり、最初に戸惑ったのが立ち居振る舞いです。内観者の邪魔にならないよういとの助言を受けて、思い当たったのが「牛と接するときの振る舞いでよいのだ」。それは私自身が獣医であるために思い当ったことであるが、内観者を驚かせないよう、慎重に、ゆったりと、でも無駄なくシンプルな動きが良いように感じた。ブラインドによる陪席面接では、「声だけを頼りに想像を膨らまして傾聴」した。そのあとに、内観者が目に入る位置に座っての陪席となった。そこでは、内観者の法座でのたたずまい、視線、表情、語り口、緊張具合などを観察することができた。その結果、ブラインドでは観察できなかったことが視覚を通して観察することが可能になった。そして、ブラインドでは思い違いと不明点が多数生じていたことに気づかされた。ブランドによる陪席面接で想像していた内観者のイメージが対面すると違っていたことである。たとえば、ブラインドではわからなかったが、対面してみてみると内観者の沈黙や声の大小、面接に臨む姿勢の意味を知ることができた。もう少し詳しく言うと、沈黙にいくつかの種類があって、①考えこんで、②はっとして、③何も考えられない(真っ白)、④面接者の答えを待つ(依存的)などがあることを知った。そのほか、声が小さい場合、①元気がない、②周囲に気を配って、③対面が苦手というような違いがあることも知った。

また、姿勢についても背筋を伸ばして面接者に対面している姿から積極的に自分の問題に取り組もうとしている内観者の気持ちが伝わってきた方がいたが、なかには法座の後ろの方に座っていて、面接者を避けようとしているのかと思えるような人もいた。

視覚による情報が得られることによって、ブラインドでは混同していた内観者を判別できるようになったケースもある。具体的には、女性の内観者で、2名の方がブラインド中には識別できなかったが、対面後は判別できるようになった。ブラインド中の記録は逐語風になり、とても時間がかかったが、対面したあとには、記録時間が短くなった

そのほかに研修を受けていて印象に残ったエピソードを記しておく。内観の途中で2名の内観者から「帰りたい」と申し出があったが、結局中断することなく、2名とも最後までやり遂げたあとの座談会で、以下のように語っている。

 B氏は、面接者に「帰るか帰らないかを決めるのは自分です」と言われたことが「面接者に却下された」と受け取っていた事が語られた。

 また、D氏は、27年間誰にも言えず、「フタをしてきた出来事」を、「面接者の顔を見たら、話したくなった」と、別室でのカウンセリングを希望している。

座談会の場において<研修者に対してどう思ったか>質問したところ、

・好意的が3名、否定的が1名おり、様々な受け取り方がされていた。

・研修生について、陪席初回に放送で自己紹介をしたが、内観者には、ブラインドの間は研修生の存在が見えず分からなくて、対面してはじめて陪席していたことがわかったと述べており、説明不足だったことと、以下の点についても反省させられた。

・ブラインド⇒対面⇒座談会と、限られた情報の中で、アセスメント上で思い違いが生じた事を実感した。

・この思い違いは、ブラインドでは対面による視覚情報、対面では、座談会での内観者自身から語られる内容や、指導者に質問をすることなど「確認」して気づきへ変化する事がわかった。

・また、教訓的な夢により、意識していなかった、「確認が不十分」「指導者との関係」について、気づかされる事があった。

以上のことより、内観面接者養成研修により、自己の癖を知り、面接者として、アセスメントをする者としての課題が、短時間で明確になる、と思われる。

最後に、研修を快く引き受けてくださった、大和内観研修所の所長はじめスタッフの皆様と、内観者の皆さんに深謝します。

 

 

 

前回の本欄にて、14回日本内観医学会大会で臨床心理士の白羽知子さんが内観者養成プログラムによる研修を受けた体験をもとに、私と共同で研究発表を行っていると述べました。

そこで、今回はその発表の内容を掲載したいと思います。少し長くなりますので、2回に分けての紹介になります。

 

 

内観面接者養成研修に参加した研修者の視点からの一考察
-思い違いから気づきへの過程-

 

○白羽  知子(獣医師・臨床心理士) 

 真栄城 輝明(奈良女子大学文学部教授)

 

内観の普及が広がる中、内観面接者養成研修について、検討する必要性が指摘されている(大高,真栄城,2010)。これまでに、真栄城を指導者として、内観面接者養成の研修が実施されているが、今回、私(白羽)も内観面接者養成研修を受ける機会があったので、その体験をもとに考察を加えてみたいと思う。現在のところ、内観面接者養成研修を受けることができる施設は、大和内観研修所以外には知られていない。学会としても正式な養成プログラムについての指針を示していない。が、それを希望する人は少なくなく、大和内観研修所では、研修生の受け入れにあたって、原則、以下3つのいずれかを満たしていることを条件にしている。

  集中内観経験者。

  守秘義務を有する対人援助専門職の有資格者もしくは従事者。

  内観指導者の推薦 がある者。

演者の場合は、①集中内観経験は3回(沖縄内観研修所、大和内観研修所、弘前親子内観研修所) ②2010年に臨床心理士の資格を取得したので、その条件を満たしているとされて研修を受け入れてもらった。

以下に、面接者研修の方法 について説明する。

まず、第一段階において、研修生は、指導者の内観面接に同行・陪席するが、それは、ブラインドアセスメント法(以下ブラインドと略す)という方法による陪席面接が行われる。ちなみに、ブラインド・アセスメント法とは、ロールシャッハテストのプロトコルだけから解釈を行う[blind analysis]にヒントを得て真栄城が考案した方法である。その[blind analysis]について片口(片口安史、1974) は、「できるだけ多くの情報を汲み取る訓練になると同時に(中略)単独で用いた場合のその限界を認識する謙虚さを学ぶ上にも有効である」と述べている。

次いで、第二段階は内観者を視認できる位置で陪席(以下、対面と略)する。

さらに、第三段階では、研修者生は、指導者の見守るなかで内観面接を担当することになっているが、今回は研修の日数が短く、指導者の判断により、第三段階は行わなかった。

研修の内容についてであるが、研修生は、陪席後、自分の法座に戻り、面接内容の記録を行い、スーパーヴィジョン(以下SVを受ける。

陪席以外の時間は、研修生も法座の中で自己の内観に取り組み、それを指導者に報告する。今回、小論では、「指導者による内観面接とSVと「内観最終日の座談会へ参加した結果」について報告する。(次号に続く)