2012年2月アーカイブ

前回、本欄に紹介した学生のレポートに実名で登場した学生がいましたが、今回はその学生のレポートを掲載しました。その学生によれば、祖父母にはお互いに好きな人がいたにもかかわらず、その気持ちを抑えて、親の言いなりで結婚をしたことが信じられないと報告してくれました。それを授業のなかで取り上げたところ、多くの反響があり、その中の一つが前回のレポートでした。現在の若者にとって、両親が生まれた昭和時代とは違って、祖父母が生きた「昭和は遠くになりにけり」といった思いのようでした。

 

松本愛弓(2回生)

 

前回の講義でNさんが紹介してくださったご自身のレポートを聴いて、自分でもいろいろと考えてみた。Nさんがおっしゃった「親の意のままに従うのは不真面目なのか、無意志なのか」というような問いかけがとても印象に残っている。先生もおっしゃっていたが、一昔前だと、子どもの人生決定に親が深く関わることは当たり前だった。私の祖母はよく昔の想い出を語ってくれる。祖父と結婚したのは20歳の時だったが、当時の祖母には恋人がいた。祖父にも恋人がいたのだが、既にお互いの両親が二人を結婚させることを決めており、二人ともそれに逆らうことなく、お見合いを経て結婚へと至ったそうだった。初めてその話を聴いたとき、私はなんだかショックだった。祖父も祖母も大好きなので、その気持ちを少し裏切られたような気分になってしまった。このことに関して祖父に話を聴いたことはないのだが、祖母は当時の恋人とは結婚できないことは分かっており、恋人の方にも親同士が決めた許嫁のような相手が存在していたことから、祖父との結婚に抵抗はなかったそうだ。乗り気ではなかったものの、すべてを捨てて恋人と駆け落ちをするようなことは全く考えておらず、祖父とも何回か顔を合わせているうちに素敵な人だなと思うようになり、結婚も最終的には自分の意思で踏み切ったと話してくれた。当時私は高校1年生だったのだが、「後悔はしてないん?」と祖母に聴くと、「してないよ、今が十分幸せ」と答えてくれた。この言葉を聴いてほっとしたのを覚えている。また、祖母は結婚して祖父の家に嫁いできてから子どもが成人するまで、自分が本当にしたいことはぐっと我慢して生活してきたと言う。仕事をしながら家事や祖父の両親のお世話もしていたため、朝は5時に起きて夜は1時に寝る生活がずっと続いていた。しかしながら当時はどの家庭においてもそれが当たり前のことで、しんどいなと思うことはあっても、嫌だと思うことはなく、ご近所の方との交流も楽しみながら平和に暮らせていたそうだ。最近になって祖母はよく祖父や友達とツアーで旅行に出かけているのだが、昔いろいろと我慢した分、今精一杯遊んでやると決めているのだということで、孫の私と妹より断然アクティブな祖母である。この祖母の昔話を聴くたびに、今の自分に与えられている時間や選択権が当たり前のものじゃないことに気付かされるのだが、Nさんのお話しを聴いて、祖母の話が「もう昔のこと」なのではなく、もしかしたら今でも私たちの生活のなかに一つの流れとして含まれているものなのかもしれないと思った。

前回の本欄に担当する授業(家族臨床学特殊研究)では、学生たちのレポートが授業の内容を作っていると述べましたが、今回はその内容の一部をお伝えするためにレポートの一例を、本人の了解を得て掲載したいと思います。レポートを介して学生たちがやり取りする様子を知ってもらうためです。次回は今回のレポートの中に名前が出てくる学生のレ―ポートを紹介する予定です。実際のレポートでは、Tさんも実名でしたが、ご本人の了解を得てないのでイニシャルにしました。実名で記してあるのは了解を得られた学生です。

 

宮崎佳子(2回生)

                                     

 

 Tさんがレポートで、授業で言ったことの補足をしたように、私も補足をしたいと思う。私は彼氏がいるというのはどういうことなのかを授業で話し、「安心感」についてのみ述べた。その時はあまり長く話すわけにもいかなかったということもあるが、彼氏がいるということは、安心感があるというだけではない。一緒に時間を過ごし、楽しみ、共に笑うだけでなく、何度も意見をぶつけ合い、傷つけあったこともあったし、不安になることもたくさんある。そのようなさまざまな経験をしていく中で、安心感が築かれていくのだと私は思う。他の人がどう感じるのかはわからないが、私は彼氏ができてはじめから安心感があったわけではない。安心だと認識するようになったのは付き合ってから1年以上たってからだった。相手とどれぐらいの頻度で一緒にいられるかによって安心だと感じるまでの期間は異なるだろうが、相手とちゃんと向き合って、いろんなことを経験して、安心感を経験してほしいなと思う。

 松本さんの祖母の話と、先生の「子どもや孫がいるから『後悔はない』と言ったのではないか」という言葉を聞いて、母方の祖母の妹のことを思った。おばちゃん(私は彼女をおばちゃんと呼んでいる)は、結婚はしているが子どもはいない。そして、旦那さんが病気を患っているため、その看病と、子どもの代わりにと飼っている犬の世話がおばちゃんの基本的な毎日である。祖母とよく出かけたりと遊んではいるのだが、最近様子が少しおかしいらしく、「子どもも孫もいないし...私なんて生きてる価値がない...」というようなことを言っていたことがあるそうだ。私にとっては3人目のおばあちゃんのような存在で、自分はおばちゃんの孫でもあるように感じている。だから、とても心配で、もちろん祖母も母もとても心配している。このことから、子どもや孫の存在が年をとるほど重要になってくることに気がついた。そして、おばちゃんにも電話をかけたり、手紙を書いたりして、気づいたからこそ少しでも自分が支えられたらと思う。

 半期を通して、いろいろな人の考えや経験を聞き、自分にないことをたくさん知ることができ、自分なりにいろいろ考えることができました。ありがとうございました。

月曜の2コマに表題の授業を開講してきましたが、先週で終わりました。授業の内容は、「家族」と「臨床」をキーワードに学生たちの「特殊研究」を前面に打ち出し、授業中に出てきた話題を授業後にも考察を深めてもらい、参考文献だけでなく体験したことも織り交ぜてレポートを提出してもらうというスタイルにしました。次回の授業の内容は、学生たちのレポートをもとに組み立てるというやり方です。30数名のレポートは、字数制限がないので相当な枚数を書いてくる学生もありましたが、読み手にとっては苦痛どころか楽しみでした。授業の形態をイメージをすれば、シンポジウム形式に近く、教員のレクチャー(講義と解説とコメント)は必要最小限にとどめて、受講生自身が話題提供者と討論者と聴衆の役割を、交互に、しかも自発的に演じてくれました。いま受講生から最終レポートが着々と届いていますが、ある学生は"この授業は、私の中に浮かんできた疑問をすぐに取り上げてくれただけでなく、徹底した討論を許してくれたので、さまざまな違う視点があることを知り、毎回感動の連続でした。音楽でいえば、まさにライブ感覚を味わえたことです。半年間、ありがとうございました。"とレポートに記してくれました。また別の学生は、"この授業を一緒に受講した友人がツイッターで『月曜2コマの授業を永久保存にしておきたい』とつぶやいていましたよ"とレポートで教えてくれましたが、コーディネイターの役割を担ってきた私こそ、学生たちの新鮮な視点でとらえたレポートと授業中の発言には感動することが多く、学生たちにお礼を言いたい気持ちなのですが、それを伝える授業の場はもうありません。

そこで、この場を借りて受講生全員に感謝の気持ちを記しておきたいと思います。

「内観面接者になりたい」という方々の希望に応えて研修を行っていますが、受講生の一人から感想が送られてきました。ご本人の了解を得て、本欄に紹介することにしました。

 

ブラインド・アセスメント法による陪席面接

東 幸子(ヨーガ療法士)

 

「内観の目的はどんな逆境にあっても感謝報恩の気持ちで日暮しできる心境に大転換することです」この吉本伊信先生の言葉に共鳴し、内観に関心を抱き一昨年の年末に集中内観を受ける機会を得ました。父親との大きな蟠りをこの集中内観で少しずつ溶かすことが出来、父を愛おしむ気持ちを感じる事が出来たのです。この経験から私は父の行いの中に自分を見付け、共感するようになりました。今まで離れて暮らしていたにも関わらず、心が父から離れる事の出来なかった私がようやく離れる事が出来たのです。

内観による自らの気付きが心を満たしてくれたことに感謝し、その場所に導いてくださった面接者に深く感謝しています。

「内観面接者養成研修を受けたい」との私の申し出を快諾してくださり、短期間にも関わらず研修を受けることが出来ました。今回は、その第一歩として第1段階であるブラインド・アセスメント法による陪席面接を、3日間(約11回)行いました。

先ず、屏風の陰になる内観者からは全く見えない位置に私は座り、先生と共に一礼し屏風を移動させ、更に一礼し面接が始まりました。私は前方の壁を凝視し屏風の中から聞こえてくる声だけに集中しました。瞑目すればより集中できるかと思い何度か試みてみたのですが、上手くいかず一点を凝視した方が心も安定するように感じました。内観者の話す速さや接続助詞の使い方、伝わってくる空気感、声の明るさなど視覚の情報に惑わされる事なく集中して聴くことが出来ました。

感覚器官が多いほど集中を欠くと、私は思います。予想するに、もし内観者に会い目の前で面接するとすれば、内観の内容に集中出来ずにいると思うのです。私の場合ならば、相手の表情を読み取り、私に対して好意的であれば問題はないのですが、相手の不安や不信や怒りの感情が自分に向けられていると勝手に解釈することで、思考が停止してしまうことが容易に想像出来ます。このことは私がいかに善悪の二極の対立を超えることが出来ておらず自らのありのままの姿を認めていないことに起因するのではないかと思われます。一般的に良いといわれる評価を重んじ、悪い評価に過度に反応してしまう。もしこれらの自らの思いを少しでも拭う事ができるのであれば、対面面接の方がより内観者の心の機微に触れる事ができるのではないかと思われます。

しかし、今の私の心持ちであれば、内観者には何を言わずとも伝わるでしょう。

面接者は自らを隠して面接する事は出来ず、何かを隠しても伝わってしまう。存在そのもの行動の一つ一つに責任が伴うものだと思いました。内観者は面接者を瞬時に判断すると思います。面接者の所作の一つ一つに敏感に反応し、目線の方向や姿勢、表情、手の動き、目に見えない心までも。そして信頼できる人間か、信用したい人間であるかどうかを。一旦心を閉ざしてしまえば前に進む事さえ出来ない。カウンセリングとは面接者の存在そのものが問われるものだと感じました。

 そのほかに研修を受けていて気付いたことがあります。男性と女性の違いです。女性はほとんどの方が深く内観し饒舌であるのに対し、男性は過去の出来事を述べ、それに付随する感情はあまり表現されなかったように感じました。男性は女性よりも自身の真情を吐露する機会が少ないからなのか、それとも偶然私の研修期間にそのような方が重なっただけなのかは、今の私には解りませんがこの違いには驚きました。

 今回の内観面接者養成研修で沢山のことを学びました。内観者の様々な立場の方の想いを聴くことで私自身の内には存在しない予想もしないような想いや考え方があるということに何度も気付かされました。自らの固まっている思考の中にその想いを加え視野が広がったように思います。そして面接者としての在り様も僅かながら、感じることが出来ました。

今回、短期間にも関わらず、丁寧に指導してくださった大和内観研修所の所長、スタッフの皆様、内観者の皆様に深く感謝致します。今後は第二段階を目指しての研修を継続したいと思っております。有難うございました。