2012年5月アーカイブ

 前期は木曜の4コマに「子ども教育臨床論」を開講しています。毎週時間内にミニレポートを課しており、表題は先週のテーマでした。60数名の受講生のレポートの中から今日は9名を選出し、発表の機会を与えたところ、それに対して4人の受講生から異見が提示されました。意見の相違を本欄にて紹介することにしました。もとよりそれにあたっては、受講生の了解を得てあります。

 

坂本裕子(文学部人間科学科 2回生)

昔、お母さんに「人間の魂はね、自分を愛してくれた人の心ではなく、自分が愛した人の心の中に残り続けるんだよ」と言われました。その時は意味が分からず、逆じゃないのかなぁと思っていました。でも、よく考えてみると、 自分を好きでいてくれた人より、自分が愛した人のことをよく覚えている。それに気づいてから、私は家族、友だち、周りの人たちを心から愛して生きようと思いました。だって、いくら自分のことを好きになってもらって、愛してもらっても自分が心から愛していないと、自分が死んだらどこにも魂がなくなってしまうからです。

たくさんの人を愛することが生きるってことなのかなぁと思います。人を愛するって行動は人間に生きているという感覚を持たせると思います。うまくまとめることはできませんが、これが私の考えです。

 

「人間は死んだらどうなるか?」

          渥美麻衣(理学部数学科 2回生)

 坂本さんのお母さんの「人が死んだら魂は、自分を愛してくれた人の心ではなく、自分が愛した人の心の中に残り続ける」と言う意見に対して、私は愛してくれた人の中にも、愛した人の中にも記憶や思い出は残ると思います。一方で、魂は私が生まれなければ生れて来なかったであろう人の中に残ると思います。これは束夢(中国人留学生)さんの意見と少し重なるところがあるかもしれませんが、私の魂は将来私が結婚して子どもを産んだ時、その子どもの中に残り、さらに孫の中に残り、と続いていくと思います。だから私の中には、父や母、祖父母の魂が入っていると思っています。(束夢さんは、「人が世界の中で存在する意味と価値は、一体何ですか。私は"束"の家族の一部だと思う。 両親の家族の一員である。私は家族が続いて いくために生れてきたと思う。父と母の間に愛があって家族になった。私は両親の愛の結晶である。同時に私は、両親の愛の続きである。私は両親のために生きている。私は自分のために生きている」と考えている。)

 

内観療法を中国に導入からの22年 (19882010

---- 導入から正式な認可を受けるまで

 

中国上海交通大学医学院付属精神衛生中心

王祖承

Ⅰはじめに

1988年、内観療法の創始者吉本伊信師がなくなられた。 同年の同じ時期に、私は「内観療法」の文章を発表した。両者は偶然に発生したことか何らかのご縁による出来事かについては興味深いものがあります。以来、 22年を経た現在では、内観は中国で広く使われている心理療法のひとつになっています。

 

Ⅱ「内観療法」導入の経緯

日本の千葉県浅井病院初代理事長の浅井利勇先生は、中国側が日本の残留孤児5000名を中国が扶養したことに感謝して、身銭を切って中国の精神科医(医師、看護師など)を半年から1年間の研修として日本に招いてくれました。研修に招かれた人の合計は35人でした。これはまさに「恩返し」という行為です。これを契機に 私は《上海―浅井精神衛生賞》を創設しました。と同時に、日本で生まれた内観療法を中国に導入して、「文革」以後に人間性を失っていく中国に「謝恩」というムードを作ることに努めたのです。

 

Ⅲ「内観療法」導入の歴史

1.1988年に私(王祖承)は「内観療法」の総説を発表しました。

2.1992年に真栄城輝明教授(当時、ひがし春日井病院の臨床心理室長)と信夫医師(当時、信州大学医学部助教授)の2人を上海に招き、「内観療法」と「森田療法」について講演してもらいました。

3.1993年、私と方儒医師は吉本伊信師が開設した内観研修所(現・大和内観研修所)を真栄城輝明氏と大阪内観研修所の榛木美恵子氏の案内で参観しました。

4.1993年上海市政府は市衛生局「上海市中日医療友好交流協会」の下に「中日連合内観療法研究会」を設けることを認可しました。

51994年、上海で小型紹介会議を開催。

61994年にはアンケトを取って「内観療法が中国での発展可能ですか」について調べた結果、実行可能という結論が出た。

7.1994年日本から3人の専門家(真栄城、榛木、堀井)が湖南省張家界での「中華医学会行為医学大会」に参加して、「内観療法」の講演をしてくれました。

8.1995年-2002年は、上海で何回かの講習会を開催しました。同時期に、天津市と甘肅天水市で内観療法の導入が試みられました。

9.19952008の年は、幾つの「内観療法」論文を発表しました。

102005年には上海で第2回国際内観療法大会を開催しました。

112007年中国甘粛省天水市で第1回内観療法大会が開催されました。

122009年に中国山東省淄博市で第2回内観療法大会が開催されました。

132011年に中国天津市で第3回内観療法大会が開催されました。

 

Ⅳ 内観療法の中国導入の経過:

1. 資料の紹介

2. 実行可能性の討論

3. 病例の報告

4. 協力研究

5. 学習班、講習班の開き

6. 全国学術大会

7. 中国心理衛生協会の認可

8. 全国精神科医師研修班の教育科目に組み入れ

9. 面接者の育成(証書を配る)

10. カウンセリングの正式な教程に組み入れ

11. 治療のシステム化

12. 治療費の保険払い

 

 

 20121020日(土)に東邦大学医学部で開催の第15回大会において、国際内観シンポジウムが予定されていますが、シンポジストのお一人である小澤寛樹教授(長崎大学医学部)から連名による抄録原稿が送られてきましたので、本欄にて紹介しておきます。小澤教授は毎月のように上海に赴いて、そこで在留邦人のメンタルヘルスケアに取り組んでおられる精神科医です。

 

長崎大学 精神神経科、①不知火病院

小澤寛樹 平谷愼一 楠本優子 南達元①

 

中国、特に経済的な中心都市・上海は多くの邦人が居住する街である。だが価値観や習慣等が異なる中国という異文化の下での業績向上という至上命題は、高いストレスや葛藤を当事者に生み出し、その結果上海の在留邦人におけるメンタルヘルスの状況は決して良好とはいい難い。多くの場合うつや自死念慮、アルコール依存、家族機能の不全、突然死などが事象として表れている。このような状況に対する、効果的な治療手段としての西洋的な観点よりむしろ、内観療法を含む東洋的視点からの精神療法に本発表者は期待を持ちたい。中国での邦人に見られる多くのケースにおいて、罹患者を取り巻く家族・家庭機能の恒常性維持、あるいは職場等での人間関係の問題は、症状の寛解にとって重要であり、内観療法はこの側面から大きな役割を果たすであろうと考えられる。また内観療法の手法が日本的な文化を背景に持つ事を重ね合わせるならば、同じアジア圏内での生活で起きる邦人のメンタルヘルス・トラブルへの有効性を検討する事は重要だと思われる。以上の点を含め議論したい。

 

「絆」と書いて「きずな」と読んでいますが、本来は「ほだし」と呼ばれていたようです。「ほだし」には、馬の足を縛って動けないようにする意味があり、漢字では「馽」と記されている。というのは、自転車や車の代わりに馬が乗り物して使われていた頃は、乗ってきた馬が逃げないように前足を縛っておく必要があったわけです。それが転じて人間関係では、「ほだし」が「きずな」と呼ばれるようになり、たとえば、「親子の絆」とか「夫婦の絆」や「兄弟の絆」というふうに使われます。ところで、「ほだし(馽)」と「きずな(絆)」は全く同じ意味というわけではなさそうです。

 「私は、失業、離婚、子供、愛犬との離別この一年で他人の人生ではないかと思う程、人生が激変しました。すべての絆を失ったのです。」

 と先の男性が言うときの「きずな」は、「ほだし」と言ったほうがよいかもしれません。情にほだされて入籍し、結婚したカップルが離婚する場合、二人をつなぎとめていた婚姻関係を解消すべく、籍を抜くわけですが、その形式的で物理的な除籍という手続き、つまりつないでいた綱を切ることを「ほだし」の解除ということになります。一方、絆(きずな)というのは目には見えない「赤い糸」によって結ばれた、いわゆる内的な意味で使われるというニュアンスがあって、先の大震災によって死別した場合でも「絆(きずな)」は簡単には切れるものではないでしょう。その好例として、以前に拙著「心理療法としての内観」に紹介したことのある小学生の詩が参考になると思いますので、抜粋しておきます。

 

 母を亡くした少女の作品であるが、この詩に接した詩人の坂村真民氏は、「実感のこもった詩である。私は小学校三年生の時,父を亡くしたので,若し私に『父』という題で詩を書けと言われたら,こんな詩を書いたであろう。最後の行が実にいい」と評している。この6行に詠われた心境は、まさに内観者のものでもあり、内観の面接に従事したことのある面接者ならそれと同じ声を聞いたことがあるだろう。

 

宿 題

 

小学校六年 中村 良子

 

今日の宿題は つらかった

今までで いちばんつらい宿題だった

一行書いては なみだがあふれた

一行書いては なみだが流れた

 

「宿題は,お母さんの詩です。」

先生は そう言ってから

「良子さん。」

と 私を呼ばれた

「つらい宿題だと思うけど

がんばって書いてきてね。

お母さんの思い出と

しっかり向き合ってみて。」

 

「お母さん」

と 一行書いたら

お母さんの笑った顔が浮かんだ

「お母さん」

と もうひとつ書いたら

ピンクのブラウスのお母さんが見えた

「おかあさん」

と言ってみたら

「りょうこちゃん」

と お母さんの声がした

「おかあさん」

と もういちど言ってみたけど

もう 何も 聞こえなかった

 

がんばって がんばって 書いたけれど

お母さんの詩はできなかった

一行書いては なみだがあふれた

一行読んでは なみだが流れた

今日の宿題は つらかった

今まででいちばんつらい宿題だった

でも

「お母さん」

と いっぱい書いて お母さんに会えた

「お母さん。」

と いっぱい呼んで お母さんと話せた

宿題をしていた間

私にも お母さんがいた

 

 

毎年恒例になっている「今年の漢字」と称する日本漢字検定協会のイベントがありますが、2011年のそれには「絆」という字が東日本大震災や台風被害の影響を受けて、全国から過去最多の496997通の応募総数の中から最多の61453通(124%)を集めて選ばれたことは、周知のことと思います。

5月の連休に入ってまもなく、ある男性の方からこの「絆」をめぐって、以下のようなメールが寄せられました。

 

「真栄城先生、ご無沙汰いたしております。

少しだけお付き合いしていただければとおもいます。

人間の絆とは、と言うことを毎日自分に問いただしております。私は、失業、離婚、子供、愛犬との離別この一年で他人の人生ではないかと思う程、人生が激変しました。すべての絆を失ったのです。兄弟、夫婦、親子それぞれの絆に支えられながら、生きてきた人生を振り返るとこんなに簡単に絆を失う事を受け入れる自分がいません。絆、一文字で終わってしまう、がしかし、人間にとってなくてはならない大切なもの、私は、それを失い、そして見失いました。絆とは、一体どういうものなのか、答えがあるなら、そして、先生がご存知なら、教えていただければと思います。ご多忙の折、突然のメールお許し下さい。」

 

 このようなメールをいただくと「絆」という字が改めてこの時代の世相を反映していることが痛感されます。先の文章には「絆」をめぐる苦悩が綴られており、まるで人生相談の回答者の役割が求められているようです。それについての私の回答(感想)は、次号に掲載したいと思います。

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