「絆」再考

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「絆」と書いて「きずな」と読んでいますが、本来は「ほだし」と呼ばれていたようです。「ほだし」には、馬の足を縛って動けないようにする意味があり、漢字では「馽」と記されている。というのは、自転車や車の代わりに馬が乗り物して使われていた頃は、乗ってきた馬が逃げないように前足を縛っておく必要があったわけです。それが転じて人間関係では、「ほだし」が「きずな」と呼ばれるようになり、たとえば、「親子の絆」とか「夫婦の絆」や「兄弟の絆」というふうに使われます。ところで、「ほだし(馽)」と「きずな(絆)」は全く同じ意味というわけではなさそうです。

 「私は、失業、離婚、子供、愛犬との離別この一年で他人の人生ではないかと思う程、人生が激変しました。すべての絆を失ったのです。」

 と先の男性が言うときの「きずな」は、「ほだし」と言ったほうがよいかもしれません。情にほだされて入籍し、結婚したカップルが離婚する場合、二人をつなぎとめていた婚姻関係を解消すべく、籍を抜くわけですが、その形式的で物理的な除籍という手続き、つまりつないでいた綱を切ることを「ほだし」の解除ということになります。一方、絆(きずな)というのは目には見えない「赤い糸」によって結ばれた、いわゆる内的な意味で使われるというニュアンスがあって、先の大震災によって死別した場合でも「絆(きずな)」は簡単には切れるものではないでしょう。その好例として、以前に拙著「心理療法としての内観」に紹介したことのある小学生の詩が参考になると思いますので、抜粋しておきます。

 

 母を亡くした少女の作品であるが、この詩に接した詩人の坂村真民氏は、「実感のこもった詩である。私は小学校三年生の時,父を亡くしたので,若し私に『父』という題で詩を書けと言われたら,こんな詩を書いたであろう。最後の行が実にいい」と評している。この6行に詠われた心境は、まさに内観者のものでもあり、内観の面接に従事したことのある面接者ならそれと同じ声を聞いたことがあるだろう。

 

宿 題

 

小学校六年 中村 良子

 

今日の宿題は つらかった

今までで いちばんつらい宿題だった

一行書いては なみだがあふれた

一行書いては なみだが流れた

 

「宿題は,お母さんの詩です。」

先生は そう言ってから

「良子さん。」

と 私を呼ばれた

「つらい宿題だと思うけど

がんばって書いてきてね。

お母さんの思い出と

しっかり向き合ってみて。」

 

「お母さん」

と 一行書いたら

お母さんの笑った顔が浮かんだ

「お母さん」

と もうひとつ書いたら

ピンクのブラウスのお母さんが見えた

「おかあさん」

と言ってみたら

「りょうこちゃん」

と お母さんの声がした

「おかあさん」

と もういちど言ってみたけど

もう 何も 聞こえなかった

 

がんばって がんばって 書いたけれど

お母さんの詩はできなかった

一行書いては なみだがあふれた

一行読んでは なみだが流れた

今日の宿題は つらかった

今まででいちばんつらい宿題だった

でも

「お母さん」

と いっぱい書いて お母さんに会えた

「お母さん。」

と いっぱい呼んで お母さんと話せた

宿題をしていた間

私にも お母さんがいた

 

 

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