人は何のために生きているのか? 何のために生まれてきたのか?

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 前期は木曜の4コマに「子ども教育臨床論」を開講しています。毎週時間内にミニレポートを課しており、表題は先週のテーマでした。60数名の受講生のレポートの中から今日は9名を選出し、発表の機会を与えたところ、それに対して4人の受講生から異見が提示されました。意見の相違を本欄にて紹介することにしました。もとよりそれにあたっては、受講生の了解を得てあります。

 

坂本裕子(文学部人間科学科 2回生)

昔、お母さんに「人間の魂はね、自分を愛してくれた人の心ではなく、自分が愛した人の心の中に残り続けるんだよ」と言われました。その時は意味が分からず、逆じゃないのかなぁと思っていました。でも、よく考えてみると、 自分を好きでいてくれた人より、自分が愛した人のことをよく覚えている。それに気づいてから、私は家族、友だち、周りの人たちを心から愛して生きようと思いました。だって、いくら自分のことを好きになってもらって、愛してもらっても自分が心から愛していないと、自分が死んだらどこにも魂がなくなってしまうからです。

たくさんの人を愛することが生きるってことなのかなぁと思います。人を愛するって行動は人間に生きているという感覚を持たせると思います。うまくまとめることはできませんが、これが私の考えです。

 

「人間は死んだらどうなるか?」

          渥美麻衣(理学部数学科 2回生)

 坂本さんのお母さんの「人が死んだら魂は、自分を愛してくれた人の心ではなく、自分が愛した人の心の中に残り続ける」と言う意見に対して、私は愛してくれた人の中にも、愛した人の中にも記憶や思い出は残ると思います。一方で、魂は私が生まれなければ生れて来なかったであろう人の中に残ると思います。これは束夢(中国人留学生)さんの意見と少し重なるところがあるかもしれませんが、私の魂は将来私が結婚して子どもを産んだ時、その子どもの中に残り、さらに孫の中に残り、と続いていくと思います。だから私の中には、父や母、祖父母の魂が入っていると思っています。(束夢さんは、「人が世界の中で存在する意味と価値は、一体何ですか。私は"束"の家族の一部だと思う。 両親の家族の一員である。私は家族が続いて いくために生れてきたと思う。父と母の間に愛があって家族になった。私は両親の愛の結晶である。同時に私は、両親の愛の続きである。私は両親のために生きている。私は自分のために生きている」と考えている。)

 

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