2012年6月アーカイブ

韓国内観協会会長  大云

 

韓国内観協会は2002年6月1日に発足されました。 浩教授(前 Catholic大学副総長)洪裕石教授(前 大真大学碩学教授)、Catholicアルコール中毒使牧センタ長 許根神父、韓国内観協会長 大云 博士を含む心理学者らが中心になって発足されました。

学問的かつ臨床的に内観を研究し、韓国に広く普及することを目的にして設立された韓国内観協会も今年は創立10周年を迎えます。2003年5月23日、President Hotelで'組織内の人間の内的葛藤を解決するための心理療法としての内観'という題目で心理学会、精神医学会、相談学会の学者を対象にミナーを開催しました。2006年10月20日には、Catholic出版社を会場にして'心理療法としての内観'という総合テーマで国際内観シンポジウムを開催しました。その後、2010年11月5日には、Catholic大学にて'内観による自殺予防と鬱病治療'のテーマで韓国内観 国際シンポジウムが開催されました。また、日本と中国で開催された国際学術大会に韓国内観学会の役員が参加したこともあります。

その間、内観修行の進行状況を見ると、現在〔14次〕まで集中内観を受けた内観者は49名である。また、内観を普及するための事前準備プログラム〔心的トラウマの治癒、5週間15時間〕を終了した人は400名程度である。彼らは3時間の内観教育と実習を体験している。10年間とは言え、実際的には内観の進行がとても遅いことが分かるでしょう。言い換えれば、内観が韓国に根を付くには色々な難題が存在することを端的に示していると言えます。

ここに韓国内で内観修行の発展するために越えなければならない幾つかの問題点を提示しておきます。

①まず、指導者の養成が急務である。内観指導者としての資質は、心理・精神治療の学問的知識の習得はもちろんであるが、それ以上に大切なことは、人格を備えることである。何よりも悩める人のために献身的に尽くそうとする情熱が必要に思われます。しかし、現在の韓国においては、内観面接者の仕事が経済性を保証するような専門職には、まだないと言えよう。

②内観したくても内観をする場所を探すことが難しい。韓国人は自身の内に秘めているものを外部に漏らすことに強い抵抗をもっている。そのことで、内観修行の時、大部屋で一緒に内観をするよりは、個室となった空間を好む。

③今現在、韓国で紹介され進行されている心理治療法は欧米で学術的且つ臨床的に検証されたものとして信じられている。これは西洋文化嗜好思想に根拠するものであり、特に西洋文化と合理的な思考をもっていると見なされる心理学者並びに精神医学者らの内観に対する抵抗が感じられる。内観のような東洋的な方法は劣等で、中にはなにかごまかしものがあるのではないかと考える傾向がある。従って、内観の臨床的な結果を学術的かつ計量的〔科学的〕に検証する研究が活発に行われるべきだと考える。

④内観が日本文化から出来たという認識があるため、まず拒否しようとする傾向も見られる。目に見えないもう一つの障壁だと言ってよいだろう。

⑤韓国人は特に自身の心の中にため込んだ個人的な問題を外に現すことを極端に嫌う傾向がある。そのまま常に胸の深いところに収めて我慢して生きることが習慣になっている。それがあらわになった時には、自分自身がそのまま死んでしまうと考える傾向がある。内観が真に良い事であるようにみられるし、治療にも効果があると思うが、内観を受けようと決意し、それを実行に移すことが大変難しいものがある。

 

 

 「あなたの命があと一カ月しかないと宣告されたとき、あなたはどういう生活を送りたいですか?」

 「臨床」を冠する授業のなかで上記のテーマのレポートを受講生に課してみた。すると、なんと人間関係、とりわけ家族との絆を大切にしたいという答えが多く、驚きであった。確かに中には、「世界中のおいしいスイーツを食べつくしたい」とレポートに書いた文学部1回生の学生もいたが、しかし彼女もまた、「1ヶ月の命と分かっているなら、これ以上出会いを求めたり、広げようとせず(自分を愛する人たちの中で)、今まで通りの生活をしていたい。」というのである。

 今回の本欄には、既に見送った母親の姿を思い浮かべて、自分自身の死に方について考えてくれた学生のレポートから一部を抜粋してを紹介しよう。

 

玉置法子(4回生)

 

(このテーマは)(47歳)がホスピスで一カ月過ごして亡くなったことをどうしても思い出してしまう。

 もし私の余命があと一カ月だと宣告されたら、母のような最後の一カ月を過ごしたいと思う。

 病気による行動の制限がなければ、母はどうしたであろう。きっと家族とのいつもの生活をしながら、ほんの少しの夢を叶えたくらいで、どこか旅行へ行ったりすることもなく、ぜいたくはしなかっただろう。

だから私もまた母のように家族や親しい人との生活を大切にして、ばらばらに住んでいる兄弟を訪ね、集まって写真をとって大切な人のためにビデオレターをとって、あとは仲の良い友人とちょいちょい会う、というような1カ月を過ごしたい。普段の生活+αくらいがちょうどよい。

  ちなみに母とは、さいごの1カ月間だけは、交換日記をしていました。反抗期のまっただ中だった私が「余命は1カ月だって」と言われた夜に必死で考えたことでした。あれは私からの最後の母への形ある愛だったと思います。

 

内観国際シンポジウムにシンポジストとしてご出席される日本ヨーガ療法学会理事長の木村慧心先生の原稿を本欄にて紹介したいと思います。

 

木村慧心 (米子内観研修所所長・日本ヨーガ療法学会理事長)

 

インドの精神文化の代表であるヨーガの立場から内観の本質と行方を考察したい。

内観の本質:内観は読んで字のごとく内を観る技法である。古来インドではこの

内を観る精神が貴ばれていた。仏教の開祖ゴータマ・ブッダ誕生より遙かに昔か

ら伝承されてきているヨーガ聖典カタ・ウパニシャッドには「万生の内に秘れる

真我は自らを顕さず、ただ、鋭く精妙なる理智を有する観想者のみによって、見

い出されるのだ(Ⅲ-12)」「愚者は外界の事物を追い求め、広大なる死の落と

し穴の中に落ち込む。しかし賢者は、不死なることを悟っている故に、この世の

無常なるものの中に常なるものを求めない(Ⅳー2)」「真我について、多くの

者は聞くこともなく、又、たとえ聞いても理解することもない。真我を悟り、真

我について教え得る者はすばらしく、又、智慧ある導師の教説に触れて、真我を

悟る者もすばらしい(Ⅱ-7)」等々と記され、私たちの存在内に宿る「真の我

/アートマン」を悟る大切さを述べ、この精神は仏教の中にも伝承されて吉本伊

信の内観法に至っていると考えられる。

内観の行方:現代のストレス社会において種々の次元の自己を見失う者は多く、

そうした者を心身医学の専門用語では、失体感、失感情、失社会、失自然の者と

称している。未来社会においても更に激しい変化が予想されるストレス社会にあ

って、各種次元における自己回復/自己認知の必要性は高まりこそすれ、不要と

なることはないと考察する。以上の論点から内観の本質と行方を論じたいと思う。

 

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