2012年9月アーカイブ

シーサーとは「獅子」のことであり、沖縄では「石敢當(いしがんとう)」と共に魔除けとして屋根や門柱に鎮座している姿を目にする。今回は親しくしている友人の話である。家を新築したので故郷の沖縄からシーサーを求めようということで、シーサーに詳しい同級生(美術家・陶芸家)に相談。何しろ一口にシーサーと言っても製法がいろいろあって、姿かたちも様々なのだ。友人から相談された同級生は、いくつかのシーサーヤー(シーサーを作って販売している店)を回って写真を撮って送ってくれた。ちょうどその頃は、旧盆で亡くなったご先祖がこの世に戻ってくる「ウンケー(お迎え)」の日と重なっていた。つまり、沖縄中があの世から戻ってきたご先祖たちでにぎわっていた頃なのである。友人は同級生が送ってくれたシーサーの写真(19枚)の中から気に入ったシーサーを見つけて、それを置いてあるという店に電話を入れて、注文直前までいくが、どういうわけか先方からのメールが届かない。そこで、再度電話を入れて送り直してもらうことにしたが、なかなか連絡がつかず、とうとう他のシーサーヤーのHPにアクセスしたという。

その中で、あるひとつのシーサーが目に留まった。その姿形に惹かれてのことだ。たちまち気に入ってしまい、それを妻にも見せたところ、気持ちは一緒であった。それにひきつけられるままに店主に電話を入れたところ、これまでのシーサーヤーとは打って変わって応対が大変よく、話もとんとん拍子にすすんで、何のためらいもなく注文したという。「しまんちゅ工房」という店の名にも郷愁を喚起させられたようであるが、何と言っても電話口の店主とのやり取りに意気が合ってしまったというのである。

 さて、注文を受けた店主は、指定された日に間に合わせるために、早速作品の窯入れの手配に取り掛かったようであるが、指定された日というのが友人宅の上棟式の日だった。そこは、夫婦で営んでいる工房らしく、焼きあがったシーサーを梱包する役目は妻のようだ。その妻は宛名書きをしていて、見おぼえがある名前に驚いた。そこで、その手を止めて、注文をくれた客に電話を入れたのである。

以下の文章は、店主の奥様のブログからの引用である。

なんだか、とっても嬉しかった話(^^)
新築したのでと、ご注文頂いたシーサーの発送準備途中。お届け先様の欄を見たら、懐かしい従兄弟のにぃにぃ(おにぃちゃん)の名前と住所(^^)、もうずっーと、沖縄を離れて活躍されていて、ここ何年も顔を見れてないけど、小さい頃はよく遊んでくれて、いつもにこにこ、やさしい話し方が大好きなにぃにぃだったので、うれしいな~♪ きっと誰かからお店の事を聞いてこっそり、注文してくれたんだ~♪と、一言お礼を言おうと思って電話したら、びっくり!!
にぃにぃは、私の店だとは全く知らなかったらしく、シーサーが欲しくて、いろいろなネットショップを見て回ってたら、しまんちゅ工房が一番よかったから決めたのよ~
なっちゃんのお店だったなんて~!って、もう、お互いビックリ!!w(*o*)w
久しぶりに懐かしい声を聞けた事も、数あるネットショップの中から
しまんちゅ工房に目を留めてくれた事も、とーーーーっても嬉しくって、
荷造り前のシーサーにいつも以上に、うーとーとぅー
たくさん幸せ運んでねと、願掛けして送り出しました(^^)

  シーサー

Tにぃにぃ~  やさしい顔したこのシーサー
ちょっぴり、にぃにぃに似ているような?()
きっと、にぃにぃのように、

やさしく暖かく家族を見守る守り神になってくれると思います!!
今度、会える日を楽しみにしてます(^^)

 

どうやら、シーサーには「魔除け」だけでなく、人と人をつなぐ働きもあるらしい。

その証拠に、そのブログを見た店主の妻の姉(えりこ)がコメントをくれたからである。紹介するとこうである。(文中の用語解説をすると、「でーじ」は、「非常に」とか「すごく」という意味で使われているが、漢字で書くと「大事」と記され、形容詞の前につけて強調する際に用いる沖縄の方言である)

 

【すごい!!Tにーにーって、名古屋の??今は、違ったっけ??
すごい、偶然だね!なつみって知らないで注文ってのも、でーじうれしいね!!なんかえりこまで嬉しくなったさぁー!!よかったね!】

 

 もとより、今回シーサーがつないだのは、この世の人だけでなく、あの世の人をもつないだと言ってよいだろう。友人と従妹は、電話口で「この縁は、きっとあの世のおじいとおばぁつないでくれたんだね」と言い合ったそうだ。また、件の同級生(美術家・陶芸家)からも

「シーサーはどうなったのかと、気になっているところでした。さすが、シーサーの力はすごいですね。久しく会っていなかった従妹と巡り合せてくれたとは、びっくりです」というコメントが寄せられたとのこと。     2012926

人間関係ほど難しいものはないだろう。内観やカウンセリングを求めてやってくる人の話を聞いていると悩みのほとんどは、人間関係についてである。他者とうまくやっていけないからと言って、ひとり無人島で生活するわけにもいかず、人は苦悩するのである。

最近、この国の学校で問題となっている"いじめ問題"についてもつまるところ人間関係の障害と言ってよいだろう。もとよりそれは個人と個人の関係にとどまらない。広く国と国との関係についても言えることである。不仲の人や国とどうすればうまくやっていけるのか、それを考えるうえで貴重なヒントを与えてくれそうな詩を紹介しよう。この詩は、2年前に韓国のソウルで開催された国際内観シンポジウムの場で紹介したことがあり、シンポジウム終了後に中国と韓国を代表して登壇していたシンポジストは、「あの詩の通りですね。感動しました。」と口々に賞賛しつつ、握手まで求めてきたのである。世界の政治家諸氏にこそ味わってほしい詩である。

 

「うばい合う」から「わけ合う」へ

 

(相田みつを)

 

うばい合えばたらぬ    わけ合えばあまる

うばい合えばあらそい   わけ合えばやすらぎ

うばい合えばにくしみ   わけ合えばよろこび

うばい合えば不満     わけ合えば感謝

うばい合えば戦争     わけ合えば平和

うばい合えば地獄     わけ合えば極楽

 

「主に精神科医が集まる精神療法に関するある学会に出席していて驚いたことがある。発表される演題のほとんどが認知療法に関するものばかりである。平氏にあらずんば、人にあらずという迷言があるが、まさに認知療法にあらずんば、精神療法にあらずの観である。出てくる一般演題のみならず、特別講演も、シンポジウムもすべて認知療法の影が落ちているかの感である。そして、最後になされた「内観療法」の実践と体験談を中心にした教育講演が醸し出す人間的触れ合いの安らぎに心救われる思いがしたのもまた事実であった。

前文は―下線は筆者であるが―日本サイコセラピー学会の牛島定信前理事長が精神療法第38巻4号(金剛出版 2012)に寄せた巻頭言からの抜粋である。

ある学会というのは、第13回日本サイコセラピー学会大会のことであり、関西医科大学の木下利彦教授が大会長となって開催された学会のことである。その大会で<サイコセラピーとしての「内観」>というテーマの教育講演が行われているが、そのときの印象を述べたものと思われる。広く内観関係者にお伝えしたくて、本欄に紹介させてもらった。