2012年10月アーカイブ

今年の1215日に奈良女子大学が地域貢献事業として企画した講演会は、これまでとは違って、きわめて異色のものになりそうです。講演のテーマは表題に示したとおりですが、その内容は以下の如くです。会場は本学の記念館にて行われます。開演は午後1時半、終了は4時となっています。参加は無料、事前の予約は不要です。

 

対人援助職は援助職自身を救う為にある

-援助職自身が当事者であることを自覚するとき

 

河本泰信(精神科医)

 

私はアルコール依存症医療に従事する精神科医ですが、自身も回復途上のアルコール依存症当事者です。自身の当事者性を否認したままで援助行動を続けていた頃には、無条件の援助熱意がありました。その熱意は自身の回復願望の投影および罪悪感の防衛から生じたものでした。その後、断酒回復のチャンスを与えていただき、その流れに委ねることでようやく回復途上に立つことができました。ただ援助姿勢が「熱意」から冷静な観察的態度と知的興味に変化しました。しかし私の援助姿勢に関係なく回復する人は勝手に回復しています。この事実を受け入れることで援助行動が楽になりました。援助者自身の当事者性(病理)を受容することは、援助行動の継続性、即ち責任ある援助に繋がると実感しています。講演では以上のことを具体的にお伝えできればと思います。

15回日本内観医学大会の期間に同時開催される国際内観シンポジウムに手続き書類の不備でご参加できなくなった中国内観療法学会の顧問を務める王祖承教授から大会へのメッセージが届きました。時期が時期だけに誤解があれば、それを払拭したいとの思いから送ってこられたメッセージを本欄にも紹介しておきます。

 

王祖承

(上海精神衛生中心・中国内観療法学会顧問)

 

 この度、大会に参加できなかったのは渡航申請のための書類が揃わず(身元保証書、スケジュール表、経費提供証明書)、この状態では日本の入国管理局がビザを許可できず、再度申請しても、手続き上もう間に合えません。(実際中国人が日本に行く場合、手続きは非常に複雑で、日本側は厳しく審査している。逆に日本人は中国にきたければ、簡単に中国側の審査を通れる。)

したがって、今回の大会に参加できないのは最近の中日間の問題とはまったく関係ありません。そして内観療法学会は学術交流の場であり、政治問題を語る場所ではありません。

内観療法は人間関係の改善を促進する心理療法であり、一種の恩返しの心理療法です。もしこのような内観療法を使って、中日両国間に適用すれば、今までの緊張の関係も調整できるではないかな、と私は考えています。きっといい方法になるでしょう。(これは実に面白いアイデアですね)そうなれば、国家間の関係が緊張になろうとも、民間は友好に交流し続けられるのです。(実際、第二次世界大戦の時でも、日本が中国を攻め、敵対の立場であるにもかかわらず、中国人と友好に接する日本人も一部いたのです。)

「島」の問題について両国の政府はきっとうまく解決できると思います。それに、彼らは我々よりも未来を考え、我々より多くの情報を手には入れ、我々より深く解決策を思い、我々より賢いはずです。両国の政治家たちは必ず道を見つけ、友好に解決できると信じています。

中日両国の外交をさかのぼれば、すでに千年余りの歴史がありました。そのうち、関係が悪くなるのはほんの百年あまりだけです。いわゆる「和两利,战则两害(平和であればともに繁栄するが、紛争になればどっちにとっても害しかならない)」です。

11月中旬に真栄城教授が上海で開催されるワークショップに来られますが、もし興味がありましたら、私は半日間を使って、「中国人が島紛争に対する認識」について交流し、心理学の角度から両国間の問題を議論できますが。いかがでしょうか?(もしその気になりましたら、ぜひ私にお知らせください。こちらも相応の準備をしておきます)

現在の中日両国間の問題について、過度に緊張しなくてもいいと思います。今後は必ず改善できますし、森田療法の言葉でいうなら「あるがまま」です。中日両国の論争は両国国民の紛争ではありません。民間の友好交流は相変わらずですので、心配する必要はありません。我々としても、日本の内観学会の友人と長く付き合ってきて、その友好関係はいつまでも続くと信じています。どうか今後とも宜しくお願いいたします。

さいごに、今大会が盛会のうちに終わることをこころよりお祈り申し上げます。

 

このところ、今週の土曜日(1020日)に東邦大学医学部にて開催される国際内観シンポジウムの準備に追われています。コーデイネイターとしては、その準備のために国内はもとより、海外の内観関連の論文にも目を通していたところ、趙朋医師(中国の天津医科大学精神医学教研室)による表題の論文のなかに大変興味深い一節を見つけました。今回の本欄には氏の論文の要約を示したうえで、印象に残ったその一節(No Contact, No Combat ― 接触を減らし、衝突を回避する)を紹介しておきます。

 

【要約】

目的:本稿では内観療法と日本伝統文化との関係を解明することで、中国における内観療法の展開を検討したい。

方法:本研究では文化人類学的な研究方法を用いて、日本における「和」の思想の誕生及び発展を述べつつ、その思想が日本社会並びに日本人の人格に対する影響を分析し、内観療法と「和」の思想との関係を解明する。そして比較文化心理学Cross-Cultural Psychology)の手法で、中日両国間の文化の差を明らかにする。

結果:内観療法はまさに日本伝統文化の一つである「和」の思想を土台に発展されたものである。そして、内観療法はその日本伝統文化の中核でもある「和」の思想の体現であり、日常生活における日本人の「和」の考え及び行動モードに対する集中・強化である。

結論:内観療法は一種の生活態度であり、健康哲学であり、決して単なる心理療法ではない。内観療法は日本伝統文化に色染められた、ヒューマニスティック心理療法(Humanistic Psychotherapy)の一つである。一方、中国では、個人の自己中心的な傾向が強く、抵抗も大きいため、治療も難しくなる。したがって、内観療法を中国の社会文化に合うようにアレンジすることは内観研究者としての最も重要な課題である。

 

No Contact, No Combat ― 接触を減らし、衝突を回避する

国土面積が狭く、人口が多い島国では、「和」を有効に維持するために、衝突を避けるのが一番の方法である。そして「一個巴掌拍不响(片手だけでは鳴らすことはできない)」というように、接触は衝突の前提である。つまり、必要のない接触を防げば予期せぬ衝突も避けられる。したがって、できるだけ接触を避けることも島国の住民が持つ共通の礼儀特徴である。

日本文化では人と人の間の限界が強調され、個人の領域を重視している。関係がどんなに親しくても、決して他人の領域を侵さない。生活において、彼らは感情からも、行為からもお互いの接触を慎んでいる。

世界中の他の「熱情」が溢れる礼儀と異なり、日本人は比較的に身体的接触を忌んでいる。伝統的な日本の礼儀の一つはおじぎであり、他の国のような握手や抱擁、キスなどの礼儀とまったく違うのである。公的場所で、人と人の間に一定の距離を保たなければならず、とりわけ異性の間の身体接触がタブーである。

我々の知っている通り、日本にある多くの店では、レジに必ずお金を取るための四角形の皿があり、現金のやり取りは全部その皿で行われる。こうした行為に一つ重要な役目があり、それはスタッフと顧客との身体接触(主に手の接触)を避けることである。これは日本以外の国では非常にまれである。

さて、ヨーロッパの島国であるイギリスはどうだろう。イギリスの伝統的な礼儀も東欧みたいにお互いに抱きしめることではなく、握手という限られた身体接触に止まる。イギリスでは、お客さんをむやみに叩くことは失礼だと思われる。イギリス人は他人と会話するときも相手に近すぎず、50センチ以上の距離を保つ。したがって、礼儀の特徴からみれば、日本もイギリスも「No Contact, No Combat」のルールを守り、「和」の思想で行動している。

他人との接触を拒む慣習はゲームにも反映されている。日本、韓国と中国は世界でも有名なゲーム大国だが、それらのゲームの発展トレンドは明らかに異なっている。韓国、中国においては、主にネットゲームがメインで、「みんなと一緒に遊ぶ」ことが特徴である。一つのネットゲームの中に数千人のプレーヤーが参入することは一般的である。

日本のネットゲームは韓国、中国のように発達していない。そして日本のプレーヤーたちにとって、一番夢中になるのはSEGAPSPのような家庭用ゲーム機、つまり「一人で遊べる」ゲームであり、「他人と遊ぶゲーム」ではない。したがって、韓国や中国のネットゲームより、日本のネットゲームは劣っている。逆に、一人ゲームの領域においては、日本が世界中のNO.1ともいえる。

このような差が出たのも、日本人の「和」の考え方に関わる。プレーヤーたちはばらばらで、身体接触もないが、一緒に一つのゲームで遊ぶ限り、精神的な接触が必ず出てくる。すると、何らかの衝突が起きる可能性も生じる。したがって、それらの起きるかもしれない衝突を回避するための最も有効な方法は、接触、つまり精神的な接触を回避することである。



 

本稿は、奈良女子大学文学部が発行している「研究教育年報」に寄稿した一文ですが、本欄には【はじめに】の部分だけを抜き出して紹介したいと思います。

 

【はじめに】

わたしは大和郡山市の住人になって10 年余になる。今なお古い城下町時代の雰囲気を残すその土地で,最近ちょっとした事件が発生した。内観研修所の目の前には,郡山城の外堀跡を取り込んで公園にした"外堀公園"がある。そこでは,昼間は小学生の通学路になっているが,夜になると中高生の居場所になっているふしがあり,夏の夜は若いアベック(高校生含む)がベンチで語り合っているのもいれば,その近くで,中学生のグループが花火に興じていたりして,まぁ,どこの街でもみかけるような光景に遭遇する。

「夏休みに入ったころから白壁に落書きする輩がいて困ったものです。犯人は小学生か中学生,あるいは高校生,ともかく"思春期の若者"に違いありません。その現場を見たとか,なにか怪しい人影を見かけたことはありませんか?」

白壁の落書を消しにきたという市役所の担当者は,内観研修所の門前で道路の掃き掃除をしているわたしにそう訊いてきた。

「前回消してからまだ1週間も経ってないし,これで3度目です。」と言って帰った数日後,早朝の散歩に行こうとしたら,せっかくきれいになった白壁に赤いマジックで大きな波のような落書があった。これではまるでイタチごっこを見ているようだ。数週間前から警察官が夜のパトロールまで始めたというのに白壁の落書はやむ気配がない。犯人が市役所の担当者がいうように"若者"だとするならば,現代社会における若者の居場所は,いまや夜中から早朝にかけてみんなが寝静まったあとの公園しかないのだろうか。

以前は,この近辺には蛇やイタチも住んでいて,内観研修所の庭を横切る姿をしばしば目撃したものであるが,この頃はその姿をとんと見かけなくなった。道路が拡張されて往来に車が増えただけでなく,田畑だったところにマンションが建設されて自然がめっきり減ったからである。住み慣れたこれまでの住処を追われた彼らの居場所は,一体どうなってしまったのだろうか。

白壁の落書を見ていると,イタチが"若者"に姿を変えて自らの存在をアッピールしているように思えてしまうが,「現代社会における若者の居場所」を考えさせられる出来事は各方面で起こっている。たとえば,心理臨床の現場で問題になっている「ひきこもり・たてこもり」という事態もその一つであろう。