2012年11月アーカイブ

発足の経緯】

本会は、集中内観体験者からの要望を受けて201142日に発足された集団心理療法(グループサイコセラピー)の場です。要請理由の第一に挙げられたことは「日常内観を継続したいが、一人ではなかなか継続がむつかしいので、内観体験者が集うグループを作って欲しい」ということでした。第二番目の理由は「内観後にもいろんな問題に直面することが多く、それを乗り越えるために内観を体験した者同士で語り合うと同時に、内観面接者からの助言が欲しい」という声に応えるために本会が発足されました。

 

【参加者の心得】

1、本会は会員制になっていますので、会員手続きを行ってからご参加ください。会員になった方には参加資格が与えられますが、定員(12名)を越えた場合は参加できない場合がありますので、できるだけ早目に出席の連絡をしてください。

2、参加費の千円は、そのつど受付担当者にお支払い下さい。

3、セッションは午後1時半~3時半の2時間となっています。終了後、約1時間程度、参加者の自由懇談の時間をとってあります。ご希望の方はご参加いただいて構いません。ただし、それ以後に参加者同士が帰りに喫茶店に入ったり、食事をすることは控えてください。

4、セッションでは質疑応答が許されています。ただし、相手を攻撃するような発言や行為は許されていません。相手を尊重したうえで、自分の意見や考えを述べるようにご留意ください。つまり、自分を押し殺した妥協人間になるのではなく、相手を尊重しつつ、自分を主張できる協調人間になるよう心がけるということです。

5、発言は自由ですが、お互いの意見にも耳を傾けるようご配慮ください。

6、本会は月例会になっています。原則として第4土曜日に開催予定となっていますが、変更されることがあります。その際には、予めお知らせしますが、大和内観研修所のホームページでご確認するか、あるいは直接電話にてお問い合わせください。

7、欠席の場合はできるだけ早目に必ずご連絡ください。無断欠席が2回以上続いた方は、退会者としてみなされますので、ご留意ください。

                 

                     大和内観研修所(☎0743-52-2579)

  表題は、奈良県の生駒断酒会が本日の1123日に生駒山ろく公園内にある「ふれあいセンター」を会場にして研修会を開催した際の講演のテーマです。

今年で6回目を迎えるという研修会は、6年前の第一回のとき以来、毎年きまって「家族」をテーマにした研修会を行っているとのことでした。

 研修会は開会式のあと、およそ60分間で5名の方の体験発表が行われました。10分の休憩をはさんで、90分の講演が行われましたが、その後、お二人の方が体験発表を行いました。結局、全部で7名の方の体験発表を聞かせてもらったのですが、やはり体験発表はいつ聴いても、そしてなんど聞いても、胸に迫るものがあります。今回も例外ではありませんでした。さて、講演では依頼に訪れた役員の方から「前もって参加者からの質問をアンケートで集めたいと思いますので、講演の中でそれに対する回答も述べていただきたいのですが・・・」という注文をいただいていましたので、それらに答えるという形で話を進めました。講演の内容をここに紹介するのは控えますが、前もって寄せられた質問を抜粋して本欄にて紹介したいと思います。

 

本人(男性)から妻へ

酒害/妻には毎日、暴言を吐いて苦しめる。酔うと我を忘れる。暴力は無かったが、(妻には)かなり辛い思いをさせた。

問題/妻に、どう謝罪すればよいのか、わからない。

妻は「根に持っていない」と言うが、どのようにすれば安心してくれるのか、具体的に知りたい。

子(双子)は断酒後に生まれたので父の酒害を知らない。

 

本人(女性)から家族へ

私本人としては頑張って断酒しているつもりだが、とても家族が(私に)協力的に思えない。

飲酒していた頃は大変迷惑をかけたので、反省し、懸命に断酒しているつもりだが、(その私を)家族はどのように思っているのか?

(家族は)当たり前の生活を送れているので、それで満足しているのか?

その反面、家族や周囲の人が、(私へ)素直に言い出せない・聞けない等、遠慮している様だ。

(例えば、「飲んでいた事への罪悪感」とかを素直に質問できない)

 

家族の気持ちとして本人が頑張って断酒していても、あまり協力的には感じない事

○飲酒していた時はすごく迷惑をかけて反省して今は一生懸命に断酒している自分がいます

が、家族はどう思っているのでしょうか?

お酒を止めて日々の当たり前の生活を送って行くので満足しているのでしょうか?

○なかなか家族や回りに自分自身の事を素直に聞けない事がいっぱいある様ですが?

 (過去の飲んでいた事への罪悪感)

 

親(家族)から子へ

① 親として「子供に申し訳なかった」と思っているので、子に対して思ったことがなかなか言

えない。言った後の反応が怖い。本当は、どの様にしたら良いのか?

② 子供の成長に関して、思い煩う事は余計なお世話なのだろうが、「結婚しない」、「就職が

上手く行かない」等、人と比べてしまい悲観的な考え方をしてしまう。

  心の中では主人を責めている。

  救いの手はあるのか?

③ 家族として、心穏やかに生きる道とは?

 

 

 

 以上の質問に答えつつ、表題のテーマについての講演を行ってきました。

 

今週の水曜日に学生(5名)と一緒に京都府木津川市にあるNPO法人フリースクール「夢街道・国際交流こども館」(比嘉昇理事長・比嘉冶代館長)を見学してきました。館長の冶代先生の講話を聞いたあと、子どもたちの活動の様子を見学させていただき、最後は理事長の昇先生が講話だけでなく、学生たちに質問を促し、それに対して具体的な事例を交えて丁寧に答えてくれました。

 以下に掲載したのは、最初に届いた学生のレポートです。掲載は了承してくれましたが、本人の希望で匿名にしました。

 

今回、「夢街道 国際交流子ども館」を見学させて頂いたことで、子どもの身体の発達、そしてこころの発達にとって、親や養育者、保育者による愛情がいかに重要であり、欠かすことのできないものであるのかということについて改めて強く感じたとともに、子どもが発達するということ、成長するということの意味について深く考えさせられました。

「学歴社会」、「受験戦争」といった言葉が多々、叫ばれている現代社会において、伊藤(1985)が指摘しているように、多くの親が子どもたちに対して「いい高校」、「いい大学」に進学し、「いい会社」に就職することを望んでいると考えられます。そしてそのために、親は子どもに対してあらゆる面において、「満点を取ること」を過剰に求め過ぎているのではないかと考えられます。しかし私たちは、「これが本当に子どもたちにとっての幸せなのか」ということについて、改めて考える必要があるのではないでしょうか。

子どもたちにとっての、「本当の意味での幸せとは何か」ということを考えた時、それは親からたくさんの愛情が注がれることであり、そしてそれを十分に受け取ることができることであり、ありのままの姿を受け入れてもらうことであり、また他者と共に生きていくことに対して喜びを感じられることではないかと思います。さらにそうした状況の中で生きられるからこそ、「自分の居場所というものが自分にはあるのだ」ということを認められるのだと思います。

私は理事長の比嘉昇先生がして下さったお話の中で、コンビニでおにぎりを盗んでしまった男の子についてのお話がとくに印象的でした。もちろん、彼が取ってしまった行動は許されることではないですが、しかしその行動を取ってしまった背景には、「ただお腹が減っていた」ということだけではなく、これまで感じていたけれども誰にも伝えられなかった何らかの辛さや悲しさ、自分という存在を認めてほしいという思いがあったのではないかと感じます。そうした思いを受け止めてあげること、認めてあげることが彼にとっていかに大切なことであるかということ、そして「夢街道 国際交流子ども館」という場において、比嘉先生にその思いを受け止めてもらえたことが、彼にとって、とても大きなこころの支えになったことだろうと思います。

子どもたちは一人ひとり、さまざまな環境のもとで育っています。中にはとても複雑な環境のもとで育っている子どもたちもいます。しかし、どのような状況に生きる子どもたちにも共通して言えることは、やはり、子どもは自分を愛してくれる人を必ず求め、必要としているということだと思います。親が自分の子どもと他児とをさまざまな面において比較し、そしてその結果で一喜一憂するということは、多々あると思います。しかし、大事なことは他児と比較することではなく、自分の子どものことを一番に考え、たとえゆっくりであったとしても子どもが発達、成長しているということに気付き、認め、またそうしたことを子どもたち自身と一緒になって喜べることではないでしょうか。そして、親、あるいは養育者と子どもとの間においてそのような関係が築けた時、子どもは他者を信頼できるものとして認識することができ、結果として自分は愛情を注がれているのだ、愛されているのだということに気が付けるのではないでしょうか。

人間は、決して一人では生きていけません。どのような時にも誰かの助け、支えを必ず必要としています。このことを考えた時、比嘉先生がおっしゃっていた、「人間になるためには愛情が不可欠」という言葉が、いかに大きな意味を持つかということを考えさせられるとともに、このことは、子どもの発達、成長を見守る大人たちが常にこころの中に留めておかなければいけないことだと今回、強く感じました。

先にも述べたように、「学歴社会」「能力主義」といったことが叫ばれ、そのことに対して大きな価値を見出そうとする現代の社会は、子どもたちに窮屈さを与えてしまっています。そして、子どもたちはあらゆることに対して、「得点」で評価されたり、あるいは他者と比較され、一番であることを求められて育ちます。そうした子どもたちは、失敗を恐れ、自信が持てない状況へと陥ってしまいます。また、何とか周囲の期待に応えたいと頑張る一方で、それが達成されない。その結果として、自分自身を肯定することさえできなくなってしまうような状況に陥っているようにも思われます。

ここで大事なことは、子どもを能力で判断する、つまり「早くできること」、「多くのことができること」を認めることではなく、「その子らしさ」を十分に認めてあげることであり、その子がその子らしく活き活きと生きていける環境、居場所を整えてあげることではないかと思います。そして、そのようにたくさんの愛情を注がれて育った子どもたちは、おそらく将来に対して自信や希望を大いに持つことができるとともに、その子自身も他者に対してたくさんの愛情を注ぐことのできる、思いやりのこころを持った人間へと成長していけるのではないでしょうか。

何らかの事情をきっかけに、親や養育者、他者からの愛情を感じられずに育った子どもや、自分の居場所を見出せないでいる子どもに対して、そうした愛情を感じてもらえるまで、あるいは自分には居場所があるのだと感じてもらえるまでには多くの時間を要するかもしれません。他者からの愛情を感じられずに育った時間が長ければ長いほど、辛い思いをたくさん経験すればするほど、そこに辿り着くためには大きな壁を越えなければいけないかもしれません。しかし、それでもその子と関わり、その子を支える立場となった時、その大人がゆっくりと時間をかけ、真剣にその子に寄り添い、向き合っていくことで、その子が安心感を得られる時、そして自分は愛されているのだと感じられる時は必ず訪れるのだということを、今回の比嘉先生のお話を通して強く感じました。

最後になりましたが、私自身も将来、子どもの発達、成長を支える仕事に就きたいと考えています。そのような中で、今回、比嘉先生に聞かせて頂いたお話は、子どもの発達、成長について考えるうえで、また子どもたちとの接し方について考えるうえで大変、勉強になりました。

貴重なお話を聞かせて頂き、ありがとうございました。

 

 

参考・引用文献

伊藤隆二(1985).子どもが育つ親の役割 朱鷺書房

 

「内観療法によって症状が消え,病気から回復することは,きょうの話で分かりましたが,治療法として認められるためにはEBMEvidence Based Medicine)を示してもらわねばなりません。治療効果についてのエビデンス(科学的根拠)はどうなっていますか?」

 201011月に韓国のソウルで開催された国際内観シンポジウムの席で,指定発言者として登壇した韓国の精神科医(精神分析医)から日本内観学会を代表して出席したシンポジストに向けられたコメント(質問)である。きわめて適切な問い掛けであると思われた。その日,シンポジストの一人として参加していた筆者は,休憩をはさんだ後のディスカッションの場で,これまで日本内観学会や日本内観医学会が積み上げてきたエビデンスを紹介しつつ,主としてナラティヴの観点からそれに答える用意をしていた。

ところが,後半の討論の場に臨んだところ,件の指定発言者の姿が消えていた。所用(診療?会議?)のためシンポジウムの後半には,はじめから出るつもりはなかった,と閉会後に聞かされて面喰った。いわゆる言い放しで退席したわけである。文化の違いと考えてよいのかどうか,中国から参加した精神科医の一人は,その態度をきっぱりと批判して見せたが,日本からの参加者は愚痴とため息を口にするだけであった。

ところで,シンポジストとして参加した身にすれば,質問を発した人が不在となっては,その後の討論において,発言意欲をそがれ,気乗りがしないまま,中途半端な発言になってしまった。そのとき味わった衝撃を忘れずに、比較文化の体験的エピソードとして今でも思い出すよう努めているが、本欄にも忘備録代わりに記しておこう。なぜなら、その衝撃こそ他者理解(異文化理解)のエネルギーになると思うからである。2012,11,3(土)

 

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