2012年12月アーカイブ

冬休みに入って、課題のレポートが着々とメールで送られてきています。課題は、教科書に掲載されている14の事例の中から二つの事例選んで、1本に付き1200字程度でコメントすることが求められています。ここでは、「アルコール依存症について」と題してコメントした学生のレポートをご本人の了解を得て、紹介することにしました。

大山香奈子(文学部2回生)

 

心理療法プリマーズ―内観療法(ミネルヴァ書房)を読んで

第Ⅱ部10章「アルコール依存症」について

 

 人生のどん底にいたと言えるこの事例の男性は、集中内観で毎日次々と「していただいたこと」・「迷惑をかけたこと」を思い出し、感謝と反省の気持ちを述べ、内観終了後には、断酒の決意をもち、人の役に立つ人間として生きようという、人生への前向きな気持ちになり、見事といえる変化を遂げている。

 内観療法は、これほどの、その人の今までの生き方を180度変えさせるような効果を持つのかと感動をした。著者によると、アルコール依存症は、過度の飲酒というだけでなく、病気であると認めず治療を拒否する、再発率が高いという特徴があるという。私はアルコール依存症の患者さんには出会ったことはなく、実際どれほどの症状をあらわすのかわからない。「大和内観研修所」のHPで、アルコール依存症に関する講演会の感想を読んだ。それを読んでも、やはり私には想像もつかない苦労や苦悩があり、治療も容易ではないことが分かる。事例の男性も最初、治療の意志がなかったり入院に反発したりしていた。入院するほどの病気であると本人に認めさせ、治療しようという気持ちにならせ、内観療法にたどりつかせるまでに筆者の側は相当の忍耐と見守りの時間が必要だっただろうと推測する。また、相互の依存・支配である共依存関係が存在したり、親がアルコール依存症の場合に子どもがアダルト・チルドレン(AC)になったり、といった特徴もあるそうだ。事例の男性の家庭は、父親が大量飲酒者で、「機能不全家族」だった。自分はACでありアルコール依存症になったと考えていた。

 内観でこの男性は、母、父、恩師に対し、とても具体的に思い出し、詳細に反省をしている。アルコール依存症だったと思われる父親に対しても「父の生涯はいったい何だったのでしょう。子どものことをつねに一番に考えてくれていました。」(p224)と深く思いをはせ、感謝・反省の気持ちを述べている。父に対してのほうが最も深く内観できているのではないかと私には思えた。内観5日目からは、酒や自分を対象に内観を進め、自分が迷惑をかけたことやこれまでのアルコールとかかわった人生の直視をしている。病気の認識もなく治療に反発的であった頃と比べると、驚くほどの変化だと言えるだろう。

 アルコール依存症の誰しもがこのようにスムーズに深く内観治療が進むわけではないのかもしれない。「『アルコール依存症』に対するコメント」にも、「理想的な治療展開」であり「珍しいのではないでしょうか」とコメントがある(p230)。しかし、治療への動機づけがうまくいけば、内観は、自分の過去を見つめられるようになって人生をお酒なしで生き直す決意をもたらし"人間としての生き方を取り戻す"ことが可能である、と示しているといえるのではないか。"酒ではなく自分の力によって人生を生きること"に気づくことができる、ともいえるだろう。

 

奈良女子大学文学部は、「文学的知」を社会に向けて発信しようと「まほろば叢書」をシリーズとして企画しました。本日の1225日に「現場の心理学」(麻生武・濱田寿美男編 かもがわ出版 2012)というタイトルの本が出版されました。現場から生まれた「考究と思索」の結果の一部(子どもの育ちの現場で―発達心理学の視点から)を抜粋して、本欄に紹介したいと思います。

 

麻生武・筑田奈沙

 

みなさんは他人には見えない不思議な友だちをもっていますか。あなた自身には見ることができるのですが、透明人間のように他人の目には何も映らないのです。その友だちには、固有の名前がついていて、少なくとも数ヶ月は存在して・あなたはその存在をはっきり感知できるのです。その存在には確かなリアリティがあります。もし、これを読まれているあなたが、そのような友をもっていたとして、心配する必要はまったくありません。あなたは異常でも病気でもありません。あなたは健康です。ただ、あなたには、少し不思議な力が備わっているのかもしれません。反対に、もし、あなたがそのような友だちをもっていないとしても、それほど心配したり嘆く必要もありません。あなたも異常でも病気でもなく健康です。ただ、少し平凡なだけです。このような不思議な友だちをもっている子どもは、世の中にはけっこうたくさん存在しています。いろいろ研究がありますが、約1~3割ほどと考えていただいてよいと思います。そのような友だちは、一般に「空想の遊び友だち imaginary play-mate」(略してIP)や「空想の友だち」や「空想の仲間」などと呼ばれています。伝統的に欧米では、それほど奇異な存在として捉えられてはいません。ごく普通の子ども、とりわけ少し孤独な子どもがもつものと一般に広く受け入れられています。その証拠にIPをもつ子どもを主人公にしたすぐれた児童文学が数多く存在します。たとえば、カニグズバーグ作『ぼくと〈ジョージ〉』(岩波書店)、フィリッパ・ピアス作『まぼろしの小さい犬』(岩波書店)、ジョンバーニンガム作『アルド・わたしだけのひみつのともだち』(ほるぷ出版)、ベン・ライス作『ポピーとディンガン』(アーティストハゥス)などがあります。IPに関して知りたいと思われた方は、まずそれらの書物を読んでもらうのが一番近道かと思います。「空想の遊び友だち」に関する研究も同様に古くから存在します。ここでは細かく研究のレビューはおこないませんが、それに関しては書物『ファンタジーと現実』(麻生、1996)や論文一子どもの空想の友だちに関する文献展望」(富田、2002)などを参照していただければと思います。これまでの「空想の遊び友だち」に関する研究が焦点を当ててきたのは、IPをもっている人の特徴は何かということ、なぜその人がIPをもったのか、つまりIPの果たしている心理的な機能は何かということです。研究方法は、大きく分けて質問紙調査による研究と症例や事例による研究とに二分されます。私たちはそれらの研究がとても物足りなく感じていました。その理由は、一番肝心なことが問われていないように感じられたからです。IPに関する研究は、すべてIPの存在を前提にして研究がなされています。そこにはIPが成立していること自体への驚きが表現されていないのです。IPをもたない者にとっては、IPをもつことそれ自体が驚きであり不思議です。同様にIPをもつ者にとっては、IPをもたないことそれ自体が驚きであり不思議です。「他人には目には見えないが、私の目には見えるし、声も聞こえるし、確かにリアルに存在している」そのような存在を感じ取れる人がいることが驚きであれば、そのような存在を感じ取れない人がいることも驚きなのです。

 

 

 後期に開講している「子育て臨床特殊研究」という授業も第15講のうち、第9講を終えて来週からはテキストを用いて(「内観療法(三木善彦他編著・ミネルヴァ書房」)の授業に入ります。まずは、第一部の10章の中から学生自身が興味のある章を選んで要約を書いたうえで、コメントをレポートしてもらうことにしました。今回はその中から学生に了解を得たうえで、本欄に紹介することにしました。

 

「企業のメンタルマネジメントと内観療法」要約とコメント

 

文学部人間科学科3回生 匿名希望

『内観療法』の第Ⅰ部 8章より

 以前、朝日新聞の夕刊の「ニッポン人脈記」で『百万人のうつ』という名の連載があった。「百万人」という形容に関して誇張ではなく、それほどうつ病が日常レベルのものに化していることを我々に突き付けていると捉えられるだろう。過重労働が背景の因子として存在する心の病を直視するための手掛かりを得るため、『内観療法』の第Ⅰ部8章を参照してみた。以下が要約とそれに対するコメントである。

 本章ではうつ病をフォーカスし、企業のメンタルケアの体制と職業人の心理的葛藤について系統立てて論じたのちに内観療法の活用というカテゴリーを重ね合わせて内観のエッセンスに迫るという構図をとっている。始めに個々の項目について見ていくことで最終的にオーバーラップしていきたいと思う。

 まず、企業におけるうつ病を論じている。企業人は心身に疲労が生じても休養することが中々選択肢に挙がることがなく、精神的に益々追い詰められてしまうという悪循環が存在する。筆者は企業のメンタルケア体制に着眼し、制度の充実が結果的には生産性の向上や利潤の増加をもたらすと述べている。企業の在り方を問い直すだけでなく、その次に企業人の立ち位置と心理的葛藤の両面性にスポットを当てている。青年期の自我同一性の確立についての言及に始まり、他者への配慮と共に社会人として自分の意見の主張も必要になってくるという二面性を一つの心理状態としてあぶり出している。自己の帰属が企業・家庭と複数になってくると、複数の「顔」を持つことになりその維持、ライフイベントでの新たなストレスなど、うつの引き金になりうるものは存在すると指摘している。

次に筆者は"メンタルマネジメント教育"という見地に立ち、内観の効用について記述しているが、うつになることをネガティブに捉えるのではなく、その経験を活用するというポジティブな思考への方向転換を示している。内観療法は自分自身の為の療法で、自己を再吟味してよりよい自立を経験することが、結果的に他者の自立をサポートする効果につながることに意義が見出される。内観を活用することで自分の本質を捉えて直視し、他者をそのまま受容して心の健康と成長を育む信頼関係を築く事が究極の目的だというのが筆者の主張である。

以上が要約であるが、私は個々人が自己を軸において見つめなおすことが社内でのメンタルマネジメントにつながるというのは非常に先進的だと思う。「うつ病」をトリートメントするという発想ではなく、うつ状態の未然防止も併せて行うことが出来るのが結果的に大いなるメリットが企業にもたらされる事がわかった。だが、実際に全ての人に本当に効くのかが疑問である。

サイコセラピー(心理療法・精神療法)の達人のエッセイには、しばしば面接者として参考になる至言がちりばめられています。昨夜は、内観面接者養成の在り方を考えながら、名古屋時代にご指導いただいた中井久夫先生のエッセイ(清陰星雨 みすず書房)を読み返していました。内観面接はカウンセリングと違って、内観者(クライエント)は多くを語りません。面接時間も数分以内で済ませるので、言葉以外の情報をキャッチする能力が必要になりますが、中井先生は犬ともうまくコミュニケーションをとっているというのです。内観面接者やこれからそれを目指そうと考えている人の参考になるかと思い、本欄に抜粋して紹介しておきます。

 

<往診にゆくとまず飼い犬に会うことが多い。私の両脚の問に背をもたせて私の身体を後ろ楯にした犬もあった。私のそばに座って私が動く度に私の身体の恰好をまねした犬もいた。患家の犬は黙々と一家を支えている孤独なわが身を意識しているようだ。

私が犬とお話をするのは言葉を使ってではない。私は無念無想になる。無念無想といっても大げさなものではない。石の地蔵さんのようになるのではなく、開け放した座敷をさっさっと風が吹き通るのに任せる感じである。するとムワーッという感じで犬の気持ちが私の中に入ってくる。その時の犬との話をふつうの言葉に直せば「私はきみのご主人たちと仲良しだよ。きみにあいたいと思っていた」とか往診先だと「ああ、きみはこのおうちで起こっていることにとても心配しているのだね。それをどうしようもできなくて気を揉んでいるんだね」というふうである。これは日本語でも英語でもむろんギリシャ語でもないたぶん、こうである。私は「きみ」とか「おうち」とか「心配」とか「きみの家族」とかいうものを思い浮かべる時に起こる感情の塊を、雲のようにふわりと心の中でつなぎ合わせているようである。犬から伝わってくる「言葉」もそういう雲である。

ドリトル先生が愛犬と話す時にはきっとこうしているに違いない。

「テレパシー」であると私は思わない。表情だろうか、体の匂いか、身体からの炭酸ガスか湿り気か、そんなものが犬に伝わるのであろう。犬の何かも私に来る。>

 

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