2013年2月アーカイブ

「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」

 これは「風林火山」で知られる武田信玄のことばだと言われています。

 戦国の世にあって、勝敗を決する決め手は、堅固な城ではなく、人の力であることを見抜いた武将のことばは、現代の企業経営者にも影響を与えているらしく、人材を育てるために様々な研修会に社員を参加させている企業が少なくありません。

  今回、社員研修の一環として集中内観に来られた方が内観後に会社に提出したという「内観研修レポート」送ってこられましたので、ご本人の了解を得て、本欄に転載させてもらいました。ただし、実際のレポートは写真を織り交ぜて、相当な長文です。紙面の都合で、ここには一部を抜粋して紹介しました。

 

 

藤本智史

G-Dream

 

中国の春節休みを利用し25日に帰国、G-Try 社長の勧めにより集中内観に参加しました。帰国申請時に内観への参加を薦められ、年末年始の社長と牡丹の内観レポートを読んで、1週間もの内観はしんどそうで貴重な帰国中という事も有り、大阪の内観施設の23日の内観体験コースへの参加を進言しました。しかし内観は3日目あたりからが肝要という事で却下。観念して1週間の集中内観に参加しました。

この施設に決めた理由は単純で、サイトで見た建物の雰囲気がいかにも内観を想像させる和風なつくりなのと、家内の祖父母が大和郡山に住んでいましたので若干の土地勘が有るためでした。しかし、なんとここが昭和28年(1953年)設立の内観発祥の施設と研修直前に読んだ本で知り驚きました。つまり内観創始者が設立した内観の本家本元、総本山で研修することが出来たわけです。

具体的には屏風で区切られた畳半畳+α程度の空間(法座と呼びます)の中で、父母、祖父、兄弟、配偶者からしてもらったこと(受けた恩恵)、して返したこと、迷惑を掛けたことを幼年期から現在までの年代順に振り返り面接者に伝え、自分自身を見直し(内観)します。この間、外部とは接触は不可で携帯、ラジオなどは一切禁止です。そしてもちろん禁酒です。今回の内観研修で感じた事、体験した事、疑問に感じた事、知り得た事などを思いつくまま順不同に書きます。

法座内での姿勢は自由ですので、足腰は疲れましたが思ったほどでは有りませんでした。

また時間の経過は驚くほど速いです。毎日気が付いたらもう夕食という感じです。9時就寝ですが、意外と寝付きは良かったです。やはり内観は精神的に疲れるというか、脳が疲れるんでしょうか、私はいつの間にか考え事をしながら10時前には寝付いていました。

外は冬の寒さが最も厳しい時期でしたが、研修の部屋は床暖房で畳がほんのり暖かく快適でした。

内観は3日目以降、後半が勝負、3日で終わるのは手術を途中で投げ出すのと同じとのことでした。食事中、過去の古い内観者の面接者との会話や、座談会での対談の録音テープが流れます。何日もこれらを聴いて感じたのは、皆さん重いというかシリアスな状態を告白されています。内観は「療法」ですから自ら身銭を削って大和内観研修所に訪れる人はうつ病、自閉症や家庭不和、アル中、対人恐怖症、ギャンブル中毒、登校拒否、肉親の自殺などの問題を抱えていますので、それらの告白、内観の内容は聴いていてこちらがしんどくなります。そしてみなさんボロボロに号泣されています。逆に私は比較的幸せな人生を送ってきたせいか、内観の深さが足りないのか、泣くことは有りませんでした。

水、お茶は自由に飲めますが、アルコールは禁止、なぜかタバコは指定の喫煙場所では喫煙可能です。これはコーヒー好きの私としては不公平かなと。時計、電卓までは持込み可能です。私は年号で昔のことを憶えているので電卓が必要な場面が良くありました。酒を一週間も抜いたのは初めてです。もっと禁断症状が出るかなと思いましたが、それは有りませんでした。しかし、内観3日目あたりにビールを飲んでいる夢を見ました。たった1週間ですが、俗世間から離れるというのは得難い体験です。不謹慎ですがちょっとした一人旅のような期待もあり、全く軽い気持ちでの参加でした。内観は人生のリセットという人が居ますが、私はそこまでの感覚は得られませんでしたが、一週間仕事、家族から離れること、自分の半生を振り返ることが出来、それだけでも貴重です。

ただ、のど元過ぎれば・・・、の言葉の通り内観終了直後のマインドがいつまでキープできるかは疑問で、定期的に自宅で内観をする人も多いようです。

はたして内観で人生、性格は変わるか?

皆さんに興味あるのが、私が内観をしてどう変わったかだと思いますが、一週間の内観で人生、性格が変わる訳が有りません。ただ、人に対して優しくなるというか、多少の理不尽、無理難題も受け入れてしまうような気分になります、不思議ですが・・・。

そういう意味ではそれらの微妙な変化が今後の人生を多少なりとも良い方向に導くかもしれません。

 

今回は前号からの続きです。表題は前号のサブタイトルです。

千石先生は30分の話題提供をハープの演奏で締めくくりました。「千の風になって」という曲の演奏もさることながら、ハープの音色と見事に調和した歌声が広い会場を包んだとき、会場のそこかしこで目頭を押さえる聴衆が目に入りました。「話して」「弾いて」「歌える」僧侶は、世界広しといえど、それほど多くはないでしょう。

すっかり聴衆の心をつかんでしまった千石先生の発言で強く印象に残った言葉があります。

「わたしは自分自身が内観を体験したとき、これをひとりでも多くの方に知ってもらいたいと考えました。そのためには、研究することも必要だと考えて、僧侶の身ではありますが、医学博士号を取得しました。」

千石先生が博士論文で明らかにしたことは、集中内観の効果を持続するために日常内観が必要不可欠である、ということのようです。以下は、前号で紹介した発言の抄録の後半です。

 

 では、どうすれば今を生き抜き、後悔なく死ぬことができるのか。一例として、浄土真宗の僧侶、吉本伊信師が開発した内観療法を紹介いたします。精神療法が難しいアルコール依存症の患者さんにも有効です。症例として、私がハワイで面接した陶芸家の男性の例を挙げます。彼はアルコールに依存する原因が寂しさであったと気づき、人生をリセットすることができました。彼はそれまで、アルコールの身体的治療は受けてきたが、心の中に眼を向けた治療は初めて受けたと、語ってくれました。

私達は決して一人で生きることはできません。誰もが幸せになりたいと願いますが、自分だけが幸せになることはできません。なぜなら皆が繋がりあって生きているから。人も、動物も、自然も、宇宙も、それぞれ切り離すことはできない。その中に生かされている自分に気づかされると、「皆のために、自分は何ができるか」を考えるようになる。これが内観で、仏教の教えの具現です。人間は自己中心の欲望を追求する生き方では、心が満たされることはありません。私が先日訪れた仏教国ブータンでは、内観で行き着く境地、この思いでみんなが暮らしている。だから、貧しくてもみんな仲良く、幸せなのです。そして、輪廻転生や浄土を心から信じている彼らにとって、死は恐怖の対象ではなく、生命のサイクルの一部なのです。

 内観をすることによって、魂の根源に繋がることができます。内観が深まると「同じ道や花が輝いて見えるようになった」という話を、よく聞きます。この現象は、環境は変わらなくても、自分の心が変わることによって幸せを感じることができる、ということの表れです。ホスピスやビハーラで内観を指導させていただくと、「死ぬ前に走馬灯のように人生を振り返るというが、その見方が内観と同じだった」「身体から魂が抜け出して、千の風のような旅をしてきた。自然や宇宙、仏様と一体になった。これが死であれば、もう怖くない。」というような体験談も聴かせていただきます。

 『死ぬ瞬間』の著書、エリザベス・キューブラロス博士は、「人は、死をみつめてこそ、本当に生きることができる」と述べていますが、内観の創始者、吉本先生は「あなたは今死んでも後悔はないですか?いつ死んでも後悔のないように。」と内観者に問われ続け、ご自分の最後も感謝と幸福感に満ちたものでした。

吉本師は、常に浄土に還ることを念頭において内観を広められ、阿弥陀仏への報恩感謝として衆生済度に命を捧げたと、同じ僧侶として私は感じています。娑婆世界は火宅無常です。その中で、例えいつ、どんな死に方をしても「ありがとう」の思いで人生を閉じる。そんな生き方をしたいものです。

2013215日(金)

 

 

 前回の本欄にはシンポジウムのトップバッターを務めた秋田教授の抄録を紹介しました。

今回の本欄には、二人目のシンポジストとしてご発言いただいた千石先生の抄録を掲載したいと思いますが、いただいた抄録が長文のため2回に分けて紹介することにします。

 

 

人は生きたように死んでいく―仏教に学ぶ後悔のない生き方―(1)

 

千石 真理(京都大学こころの未来研究センター)

                                 

 

 私はアメリカ合衆国ハワイ州で、僧侶として、カウンセラーとして13年活動し、帰国後も心身医学やカウンセリングに携わっています。日本では、法衣を着用した僧侶が病室を訪れると、良い印象はもたれませんが、宗教が日常生活に根付いている欧米やアジア諸国では、僧侶や牧師、神父が病院や養老院などに駐在し、患者やそのご家族の心のケアをしています。

 日本では、仏教は、死んだ人に対する儀式をすることだと思っている人が多いですが、仏教は生きている私達のための教えです。例えば、私達は生老病死の苦しみから逃れることはできませんし、どんなに愛する人とも別れなければならない苦しみ―愛別離苦、どんなに憎い人とも縁がある限り会い続けなければならない苦しみ―怨憎会苦、欲しいものが手に入らない苦しみ―求不得苦、そして、心身で執着することによって身もだえする苦しみ―五陰盛苦、の四苦八苦を避けて生きることはできません。これらの苦しみを受け入れて、今を心穏やかに生き抜くための教えが仏教です。蓮の花が汚い泥の中から美しい花を咲かせるように、悩み苦しみに満ち溢れた娑婆世界から悟りを開くことができる。だから、蓮の花は仏教のシンボルなのです。

 「人は生きたように死んでいく。」これは、私が日米のホスピスで感じたことです。ホスピス(仏教ではビハーラ)では、ガンを治すことはできませんが、痛みを取ることが治療になります。しかし、あるお医者様は、どうしても痛みのコントロールのつきにくい患者さんがいるという。その特徴として1.人や物事に感謝することができない人、2.気がかりなことがある人3.人に恨まれながら死んでいく人、を挙げています。私達の心と身体は密接な関わりがあります。身体の痛みはとれても、心の痛みを取る薬はないのです。「死にたくない」「息子を奪った嫁が憎い」そう言って亡くなる人もいるし、その反対に手を合わせ「有難うございました。お浄土(天国)で会いましょう。」と言って亡くなる人もいます。ホスピスやビハーラに入ったからと言って、心穏やかに死ねるわけではなく、それまでの考え方や生き方が死に様を作っているのです。

 養老院では、認知症・アルツハイマーを抱えている方が多いのですが、それまで隠してきた、その方の本質がはっきりと表われます。「助けて!」と常に不安で叫び続ける人、暴力的になる人もいれば、子供の名前や顔を忘れてしまうほど重度の認知症でも、毎日手を合わせることは決して忘れないお年寄りがいます。これはパーソンセンタードセラピーを確立されたトム・キッドウッド博士が提唱された認知症の人の姿=性格×生活史×身体条件×脳の損傷×社会意識という図式に裏付けられます。

 私達はだれもが安らかに死にたいと願う。しかし、ぼけてしまったり、死が直前に迫ってからでは遅い。今の一日、一日が私達の老いた時の姿、そして死に様を作っているのです。

2013211(月)

 

 去る23日のことですが、名古屋国際会議場にて愛知県断酒連合会主催の市民公開セミナーが開催され、講演とシンポジウムが行われました。主催者は私がかつて顧問を務めたという縁で、シンポジウムのコーデイネイターを依頼してきました。テーマの選定は、猪野亜朗先生の基調講演(アルコール関連問題と自殺)との関連で、私自身が強い関心を抱いてきた「生と死を考える」を掲げさせてもらいました。参加者は断酒会会員のほかに行政や医療並びに一般市民など多彩な顔ぶれで、300名近い人(主催者発表)が熱心に耳を傾けてくれました。

以下には、最初に話題を提供してくれた秋田教授のレジメを紹介したいと思います。

 

 

秋田巌

(京都文教大学教授・ユング派分析家)

 

 映画『タイヨウのうた』(監督:小泉徳宏2006)をご存知だろうか。主人公・雨音(あまね)(かおる)XP(色素性幹皮症)という病におかされている。世の中には小児がん、筋委縮性側索硬化症などをはじめ、どうして神は人間を生み出しておきながら、このような病もまた生み出すのであろうかと思う。全く理解不可能。わけがわからない。XPもその一つだ。紫外線を浴びたら死ぬ。浴びなくとも、徐々に神経等がおかされ、二十歳を待たずして死んでしまう。XPと言ってもいろいろなタイプがあるが、この映画の設定ではそうなっている。

 雨音薫は、音楽が好き。太陽の沈んだ後、夜の公園に出向き、路上ライブを行う。観客は親友の一人だけ。それでもろうそくを灯し、毎日歌い続ける。残酷なことに、決められた通り病は進行し、ギターを弾けなくなる。それでも、歌はまだ歌える。最期にと思い、自費でCD製作をする。生涯一度のレコーディング。文字通り、魂と全存在をかけて歌う。

 いよいよ死期が近づいたある日、両親と海を見に行く。宇宙服のような紫外線防御服を着て、車椅子に乗って。海辺では、他の家族が楽しそうにはしゃいでいる。それを見てつい、父が薫に言う。「もうそんなもの脱いで、はしゃいじゃえ」。すると薫は答える。「そんなことしたら死んじゃうじゃん。私、死ぬまで生きる。生きて生きて生きまくってやる!」それを聞いた両親は「いつの間にこんなに成長したんだろう」と見つめ合う。そして薫は死んでいく。

 ここまでのレベルになると、病死とか自殺とか事故死とか、そのような区別が意味をなくするように感じる。概念の壁が打ち砕かれる。「死は一つである」と感じる。『死を育てる』という本を昨年出版したが、そこで編集者が「生き抜き育つ死」というキャッチ・コピーをつけてくれた。生き抜くところにしか、「死」はない。ただ単に生物学的に寿命を終えることをもはや「死」とは呼びたくなくなるレベルを『タイヨウのうた』は表現し得ている。

淀川長治は、「神様のくれた答案用紙」という言い方をしているが、神の与える「問い」は常に難しい。時として、一生涯をかけて取り組まねばならぬ問いを神は人間に投げかける。その問いに答えようとするところにのみ、「本当の死」があるのであろう。

1歳余のとき親と別れざるを得なくなって、施設で育てられた少年が施設の職員に付き添われて内観にやってきた。対象喪失という言葉があるが、それは愛するものを失ったり、何らかの理由で別れたときのことを言うときに使うのはよいが、はじめから関わりがないので、喪失ではない。あえて言えば、その子にとって親(とりわけ母親)との思い出は「空白」であり、「無」なのである。大人であれば喪の営みを通して心の整理をつけることもできるが、乳児の時に親に捨てられたり、病気や事故などで死別した子どもの場合は、親と過ごしたことがないので、思い出がないのである。そんな子に果たして内観は可能だろうか?まずは、親がいないので親との思い出がない。ただし、親代わりになって世話をしてくれた施設の職員がいたので、本人が愛着を抱いている職員を対象人物にして丁寧に内観に取り組んでもらった。

 本人がまず選んだ人は「抱っこの上手だった女子職員」であった。一口に抱っこというけれど、人によって抱っこの仕方はさまざまだという。ただ抱えればよいというものではないようだ。

たとえば、男の職員の抱っこは、機械的で無機質のようであったという。子どもの心を受容するためのものではなく、移動、着替え、お風呂、買い物など、施設の中の日常生活で行われる動作をスムーズに進めるためのせわしないものであったらしい。

一方、女性の職員の抱っこは母親がいたらきっとそうしてくれたであろうと思われる抱っこであった。子どもが望めばいつまでも、何時間でも傍らにいて、何をすることなしにただひたすらぽわっとして存在してくれて、子どもに安心感を与えてくれる抱っこであった。

 取り立てて何かをしてくれたわけではないというが、自分を包んでくれた女性の職員に対する内観を繰り返し、繰り返し調べているうちに涙が少年の頬を伝わってきたというのだ。

 改めて、母性が醸し出す愛の不思議な力というものを痛感させられた。