2013年5月アーカイブ

「喜怒哀楽」という感情の中でも「怒り」との付き合いはむつかしいものがある。先日の512日に、臨床心理相談センターの開所式があり、そのあと山折哲雄先生をお招きして記念講演会を開催した。会場となった記念館の講堂は、150名余の参加者が「体罰問題」を取り上げた山折先生の話を熱心に聞き入っていたが、講演後の質疑応答に入ったところ、先陣を切って「怒り」を表出した参加者がいた。「激高」と言ってもよいくらいの質問者の発言に聴衆の間から「笑い声」が起った。何とも不思議な光景であった。そこで、前期に講じている「子ども臨床心理学概論」の授業では、早速、「怒り」について取り上げることにした。心理臨床の場においても「怒り」の問題は、カウンセラーやセラピストにとって対処の仕方に苦慮することが少なくない。今回の講演会で、「怒り」が沸点に達した時、「笑い」が起った場面に遭遇して、「笑い」には「怒り」を解消するための「解毒剤」の作用があるように思われた。そういえば、中国人は街中でもよく喧嘩をする。中国へ行くたびに喧嘩の場面に遭遇するが、何度もそういう場面に遭遇していると、これは彼の国の文化だと思うようになった。「怒り」をあらわに口論している人を聴衆が寄ってきて観戦している場面を見ていると、これはディベートだと思うようになった。中国人は多弁である。宴席でも中国人はよくしゃべる。そして、たいていジョークが飛び出し、その場が笑いに包まれる。中国人はよく喧嘩もするが、よく笑うのである。「怒り」を「笑い」で解消する方法として中国人はジョークを磨いているように思われる。今回は、本欄に、「笑う中国人-毒入り中国ジョーク集」(相原茂著 文芸春秋)の中から、中国らしいジョークの例を二つだけ紹介しよう。

 

【きまり】

 ある日のお昼に、二人の作業員がある一杯飲み屋に入った。そこで自分が持ってきた弁当を広げて食べ始めた。店員がやってきて言った。「申し訳ありませんが、私どもでは自分で持ってきた弁当を食べるのはご遠慮願っておりますが」

 二人の作業員は驚いたが、「あ、そう。それじゃ自分が持ってきた弁当を食べるのはやめます。」

 そういって、二人は弁当を交換して食べ始めた。

 

【ああ言えば、こう言う】

編集者:「原稿を拝見しましたけど、全体的にまだ未熟と言うか、幼稚な印象ですね。」

作 者:「ならば、児童文学ということで発表できませんか。」

編集者:「書き方が散漫なんですよ。」

作 者:「では、散文ということで。」

編集者:「しかしねえ、雑然としすぎていますから」

作 者:「では、雑文ということで」

編集者:「本音を言うとねぇ、新鮮味が全くないんですよ。」

作 者:「そうですか。じゃ古文ということで何とかお願いします。」

 

松本愛弓

(子ども臨床学コース 4回生)

 

私が初めて夢街道 国際交流子ども館と出会ったのは、昨年の秋である。真栄城先生と、同じコースの学生数名で訪れ、館内を見学させて頂いたり、比嘉先生ご夫妻のお話を聴かせて頂いたりした。その際、野菜や植物で賑わっている庭や、日の光がよく入り、あたたかさで満ち溢れている館内、そして、比嘉先生の子どもたちに対する想いについて触れ、こんなにすてきな場所に通っている子どもたちは、何を思い、感じ、考えながら日々を過ごしているのだろうと、その子たちと関わってみたくなった。だが、その時の私は授業や他の活動で時間に余裕がなく、すぐにその申し出を伝えることはできなかった。そして、4回生になった春、将来の進路や卒業論文の作成等々、昨年とは違った点で余裕のなさを感じるようにはなっていたが、私の属するコースのモットーである「走りながら考える」を胸に、たくさんの人と関わるなかで感じることや想いを大切にしていきたいという気持ちから、ボランティアスタッフとして活動に関わらせてもらえるよう、お電話でお願いをさせて頂いた次第である。

今回参加させて頂いた田植えの活動は、子ども館に関わらせて頂けるようになった記念すべき初日に、スタッフの方に声をかけて頂いて参加を決めたものである。突然現れた私の存在は受け入れられてもらえるのか、みんなと仲良くなれるのか、不安はたくさんあったが、やはり「走りながら考える」で、とにかく飛び込んでみようという思いの方が勝り、ご一緒させて頂くことにした。

青空の下、澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んで、子ども館へと向かった。絶好の田植え日和である。だが、前日の夜は緊張してなかなか眠ることができなかった。本年度からボランティアとして活動に参加させて頂くことになり、たくさんの人と繋がりができるという嬉しさ半分、みんなと仲良くなれるのかという不安が半分、一人複雑な気持ちを抱えながら迎えた朝だったのだ。

子ども館に到着し、まず驚いたのが子どもの数よりも大人の数の方が多かったこと。ここに通っている子どもたちはこんなにも多くの人たちから愛されているのだということを実感したのと同時に、大人たちもまた、その子たちに、子ども館に惹きつけられてここに集まっているのではないかということを想像した。目的地に着いてからは、豊かな自然に囲まれて、元気いっぱいにはしゃぐ子どもたちを見ながら、周りの人の顔も自然と綻んでいたように思う。ただそこに居て笑っているだけで、見る人の心に癒しを与えるその力は、本当にかけがえのないものである。

久しぶりに裸足で土を踏んだ私は、そのひんやりとした、それでいてあたたかい感触に懐かしさを覚え、胸のなかで疼く感情にくすぐったさを覚えていた。一列に並んで水田に足を入れ、泥のぬめっとした触感に笑みをこぼしながら田植えに取り掛かる。稲の本数に気を配りながら、しっかりと土のなかに植えること、列を整えること、初めての田植えは予想以上に難しかった。泥の中に沈んでいく足を引っ張り上げながら後ろに下がり、尚且つ、足を踏み入れたところは泥がなくなっているために、そこに稲を植える際には泥をかき集めて場所を作らなければならない。その作業に四苦八苦しながらも、その最中はわくわくした気持ちでいっぱいだった。たとえ、背中を押されて水田に突っ込んでも()、服に泥を付けられても()、そのすべてが楽しくて、心の底から笑うことができていた。田植えが終わってからは、冷たい川の水で泥を落とし、お茶を頂いてほっと一息。そして、近くの運動公園へと移動した。治代先生が作ってくださったとてもおいしい弁当を頂き、元気に遊ぶ子どもたちを見ながら、ブルーシートの上で日向ぼっこ。時間がとてもゆっくり流れていて、穏やかで、朝抱いていた心配はどこへやら、まだまだ帰りたくないと思うぐらいとても居心地が良かった。これから、もっともっと子どもたちのことを知っていきたいと強く思った。今回、この活動に参加させて頂いたことに心から感謝したい。ありがとうございました。 

 

人が生きていく延長線上には「死」が待ち受けている。「死の問題」は避けては通れないことなのに、それを避けるかのように生きている人が少なくない。

「人は死ぬとどうなるのだろうか?」「死後の世界がどうなっているのか?」

知りたいと思う人は多いはずだ。科学にそれを求めてもすぐには回答を与えてくれそうもない。そこで、宗教にそれを求める人がいるが、すべての人を納得させるまでには至っていない。「生と死」という言葉があるが、果たして「生」の反対概念が「死」だと言ってよいだろうか?否、「生」の反対語は「死」ではなく、「無」でなければならない、と言ったのは、作家の「中島らも」(河出書房 2005 p6-8)である。彼によれば「生」というものが「在る」ものならば、「生きている」の反対語は「生きていない」、すなわち「無」なのだというのである。「無」については、改めて別の稿で述べるとして、「死後の世界」についての彼の見解が面白いので紹介しておこう。以下は、河出書房が20121130日に増補新版として発行した「中島らも」からの選択的抜粋文を中心にした作文である。

たとえばひとつの個体を考えるときに、「死後の世界」ではなくて、個体の死からさかのぼっていくという考え方をすると、私というひとりの個体は両親を経て精子と卵子に分かたれる。同じ方法で父親を、母親をさかのぼっていくと倍々ゲームに枝分かれしていく先にはほぼ無数の「生」がある。死はどこにもなくて、そこにあるのは「生」の海であり、種の全体の命がそこにある。よく「孫はかわいい」というが、それは「命」のつながりを実感した瞬間のことばだと考えてみてはどうだろうか。無限の「生」が収れんして私や孫という結節点を結び、私を超えたむこう、つまりすぐ先の未来の表れとして子や孫やひ孫が連なって存在しているのである。そうやって考えると、「死後の世界」なんてものはどこにも存在しないことがわかる。私という個体の存在は、私の精子が一人の女性の卵子と結合した瞬間にその存在意義を完遂している。

「死後の世界」という考え方を一度捨てて、「生きていない」状態について考えてみるとわれわれが生きている宇宙が見えてくる。個人としての「人間」には死が訪れるが、人間を「種」として見ていくと個人(親)から個人(子)へと受け継がれて、命は連綿と続いていることが実感されよう。もし、この世に個人として死なない人間、すなわち一個の巨大な「原人間」なるものとして、それが新陳代謝を繰り返しながら半永久的に生きていくという方法を選んだとすれば、たくさんの知識などを蓄積して、最終的には神と呼ばれる「存在」にまでのぼりつめることだって可能だったかもしれないのだが、人間は多数の個体に分かれてそれぞれが個人として生き、消えていく生き方を選んだ。そのほうが地球に異変が起こって幾多の個体が死んだとしても、別の生きながらえた個体を通して「命」をつなぐことができるからである。

 

 

 

 悩める人や適応困難に陥っている人たちを援助することを「対人援助」と言いますが、生徒や学生に知識や技術を教え導く「教育」という仕事もまた対人援助の一つと言ってよいでしょう。いま、その教育の現場から様々な問題が噴出しているようです。不登校、いじめ、体罰などの結果、自殺者が後を絶たない現状に接していると「対人援助」に関わっている者として辛くなってしまいます。大学の教員として「授業やゼミに出てこず留年してしまった学生にどう対処すればよいか」と困惑し、心理臨床家としては「否認を続けて家族を振り回し、援助を拒否する依存症者を前にセラピストとして一体何ができるのか」などと煩悶しつつ、解決のヒントを求めて悶々としているときに、同じ対人援助を生業にしている今村弥生氏(精神科医)が紹介している「詩」に出合いました。対人援助者としての自分自身を見つめなおすだけでなく、親鸞聖人の「本願他力」の精神に通じるものを感じた次第です。

 

「まかせる」ということ 「まかせる」ということは愛に近づくこと

 「まかせる」とは、心配をやめることではない、その人に代わって解決できないことを知ること

「まかせる」とは、関係をたち切ることではない、その人をコントロールできないことに気づくこと

「まかせる」とは、その人の望みどおりにすることではない、自然に起きてくる結果にゆだねること

「まかせる」とは、自分の力のなさを認めること、すなわち結果を自らの手で何とかできるものではないと、認めること

「まかせる」とは、その人を変えようと試みたり、その人を責めたりすることではない、自分自身を変えること

「まかせる」とは、その人の代りに心配することではない、その人に起きていることを心配すること

「まかせる」とは、修正してあげることではない、サポートすること

「まかせる」とは、良い悪いを評価することではない、その人の人生を認めること

「まかせる」とは、その人と誰かの間に入って調整することではない、彼らの関係を彼らの手にゆだねること

「まかせる」とは、保護してあげることではない、その人が現実と向かい合う機会をうばわないということ

「まかせる」とは、否定することではない、受け入れること

「まかせる」とは、がみがみ小言をいったり、叱ったり、言い争うことではない、自分の不十分さや人を正そうとする自分自身を吟味すること

「まかせる」とは、自分の願いをすべてかなえることではない、一日一日起きてくることを受け止め、それを大切にすること

「まかせる」とは、人を批判したり、管理したりすることではない、自分が望む自分になれるよう試みること

「まかせる」とは、過去を後悔することではない、成長すること、明日を生きること

「まかせる」とは、恐怖や不安が減り、愛が増えること