2013年9月アーカイブ

 第16回 日本内観医学会大会(小澤寛樹大会長)が平成25年10月12日に、長崎市にて開催されます。今大会では、「精神保健における内観療法の展開」をテーマとし、内観療法の精神保健領域における活用、とりわけ災害精神医学との関連をとりあげています。

シンポジウムも「災害支援シンポジウム」と銘打って、「災害支援に内観の果たす役割」がテーマになっているようです。私も震災後に被災地を訪ね、ゼミ生とともに以下のようなテーマで一般演題を発表することにしました。

 

震災被害者のメンタルケアを通して見えてきたもの

―ナラティヴ内観の視点を援用して―

真栄城輝明・森下文・蘆立群

(奈良女子大学)

 Ⅰ はじめに

2011311日(金)に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴って発生した津波,及びその後の余震により引き起こされた大規模地震災害から2年半がすぎた。震災直後は,主として物資の輸送やがれきの後片付けなど,いわゆる体を使ってのボランティア活動が優先される必要があったが,時間の経過とともにいよいよメンタルケアが言われるようになってきた。実際,本学会も今回,災害支援シンポジウムを企画して「災害支援に内観の果たす役割」について取り上げている。

Ⅱ 研究の動機

このような時期にあって,われわれはたまたま被災直後に集中内観に来られた震災被害者と出会う機会があったこと,あるいはかつて被災地に過ごしたことのある人が震災をきっかけに間接的な衝撃を受けて心身の不調を発症したケースに遭遇したこと,さらには共同研究者の一人(森下)が被災地の出身であったことなどが動機となって,震災被害者のメンタルケアに注目するようになった。

Ⅲ 研究の目的と方法

そこで,今回の報告の目的は,震災被害者のメンタルケアを通して見えてきたものがあり,それについて考察を試みることにある。考察の対象となった資料は,被災者地へ赴いて震災被害者から聴取したインターヴュー内容を中心に,集中内観や集中内観後の個別カウンセリングやグループカウンセリングのなかで語られた内容なども含めることにした。

Ⅳ 結果の考察

得られた結果を考察するにあたって,ナラティヴ内観1)の視点を援用した。ナラティヴを日本語に訳せば,「物語り」「語り」である。これまでに,実に様々な心理療法が次々と登場しているが,あらゆる心理療法はナラティヴ・セラピィと言ってよい,と述べるのはジョン・マクレオッド2)である。それら心理療法には,語ることと語り直すことという側面がみられるからである。したがって,「ナラティヴ・セラピィ」は単一の技法と言うよりも,そこにはさまざまな種類の「ナラティヴ・セラピィ」があると考えたほうがよい。すなわち,ナラティヴ内観の場合は,①内観中の語りをナラティヴの視点から見直すこと,②震災被害者との面接内容を内観の視点から見直すこと,の両側面がある。

文献

1)真栄城輝明(2012)心理療法としての内観――「narrative(語り)」の観点から 心理的支援としてのナラティブ支援法(森岡正芳編)第4Japanese Journal of N: Narrative and Care

2)ジョン・マクレオッド(2007)物語としての心理療法 ナラティヴ・セラピィの魅力 下山晴彦監訳 野村晴夫訳 誠信書房 

 

 この夏は、「竹取物語(かぐや姫)」に関心が向いており、関連する本を読んでおります。内観の理論化を考えるうえで、参考になると思ったからです。きっかけを与えてくれたのは、最近、講談社選書から出版された一冊の本でした。以下の文章は、その本の著者にしたためた私信なのですが、本欄の読者にもお勧めしたくなったので、ご本人の了解を得て、書評代わりに転載することにしました。

 

秋田巌先生

 

このたびは、きわめて刺激的なタイトルを付したご著書・「人はなぜ傷つくのか」の上梓、誠におめでとうございます。大学に届いていたために手にするまでに少し時間があったようですが、1週間の海外出張(中国内観療法学会大会)に持参して、飛行機やホテルにて時間を見つけて読ませてもらいました。今回持参した本は、この1冊だけに絞りましたので、往復の空き時間をすべてご著書とともに過ごしました。そんなわけで、繰り返し2度も読むことができました。今まで1冊の本を1週間もかけて2度も繰り返し読んだことなどありませんでしたが、ご著書はあまりにも内容が豊かなために付箋だらけになってしまいました。そこで、ご恵存いただいたお礼とともに、付箋をたどりながら簡単ではありますが、思うままに感想をしたためました。

まず、ご自身の名前である「秋田」と「竹取物語」の主人公である「なよ竹のかぐや姫」の名づけ親である「三室戸の齊部の秋田」との関連で紹介された一文は、これまで見過ごしてきた「名前と自己の存在感」、あるいは「名前と自己肯定感」の関係を改めて知ることができ、大きな収穫となりました。

次に「超自我」には、「黒い超自我」なるものがあるという指摘に接して、目からうろこでした。この概念を説明するために「ブラックジャック」を登場させたのは、見事だと思います。おかげで人間理解の幅が広がったように思います。

ご著書の第一の読者に想定されているのが師匠の「河合隼雄」であることは、2度目に扉を開いて気付きました。偉大な父をどう乗り越えるか、そのために相当な時間とエネルギーを必要としたようですが、西洋にはない「両雄並び立つ」という日本文化が培ってきた思想に支えられて「偉大な父親と並び立つ」までになられたことに、心よりの尊敬とお慶びを申し上げます。その結果として生みだされたのが、「Disfigured Hero」という概念であり、秋田理論の「精神学(サイキオロジー)」の中核を担うことになったのでしょう。これはまさに師匠と肩を並べて「両雄が並び立った」瞬間と言ってよいでしょう。私にはそう感じられます。

それにしても「サイコセラピー」と「心理療法」の違いを説明するのに「イエス・キリストの物語(聖書)」と「竹取物語」持ち出してくるという発想には、驚天動地と言いましょうか、吃驚仰天してしまいました。ちょうどその頁を開いたのは、中国は敦煌の沙漠にてラクダと遊んでの帰りでした。昼中の地表温度が60度を超えるという猛暑を過ごし、太陽に辟易させられていましたが、夜の8時過ぎのこと、西の地平線に夕陽が沈むのを見ておりました。夕陽が沈んだ途端、涼風が吹いてきて、東の空を見上げるとそこには、月が姿を現しておりました。月はずっとそこにいたにもかかわらず、太陽がいる間は姿を現すことはなかったのです。月の下を歩いていると、昼間と違って心が安らぎ、同行の中国人医師が月を背に歌を唄い出しました。それを皮切りに日本から来た我々もお返しの歌を唄ったところ、笑い声に包まれて、心からの交流が生まれました。改めて、月に備わる癒しを痛感させられました。それは、先生の直観が確信しているように「月へ帰還したかぐや姫が祈ってくれている」からこそでしょう。ご著書の影響もあって、私には「太陽」が「サイコセラピー」に、「月」が「心理療法」として感じられました。若いころは「サイコセラピー」しか見えなかったのですが、人生も夕暮れを迎えた今は、大和の「心理療法」である「内観療法」に強く惹かれるようになったことも私にとっては自然な流れのように思えて、至極納得できます。

西洋で生まれ育った精神医学や臨床心理学の本体は衣裳を変えたキリスト教である。そこに十分に目を向けずに表面の知識だけを学んで事が足りる世界ではない」(2930頁)とのご指摘は、若かったころの自分への戒めとしたい言葉として読ませていただきました。

ご著書は、本文だけでなく文献・註にも味わい深い言葉がちりばめられており、読み応え十分です。たとえば、「業績」という言葉を「傷が紡がれ、受け継がれること」という意味を付与されていますが、それこそ目から鱗が飛び散ってしまいました。

「内観療法」の弱点として「理論化」が指摘されて久しいのですが、ご著書をバイブルとして「理論化」に努めてみようという気になりました。その結果、「業績」として認められるようになれば、ご著書への恩返しになるのでは、と密かに思っている次第です。

ご著書を読んで、改めて先生との出会いに感謝しております。

私にとってのバイブルをご恵贈いただき、心より御礼申しあげます。

 

真栄城 輝明拝

2013826

いま、次世代に伝えたいこと

会期 平成2597日(土)~8日(日)

会場 アソベの森 いわき壮(岩木山のふもとの温泉郷)

司会 佐々木真(教育委員会・前公立小学校教頭)

 

【第一日目】

<講演>

講演1  巽 信夫(いのちの森クリニック院長・医学博士)

演題:  「宇宙意識に目覚める若者たち」

   

講演2  真栄城 輝明(奈良女子大学教授・心理学博士)

演題:  これからの「心」をめぐる話をしよう

 

【第日目】

<次世代へのメッセージ>

小講演① 竹中哲子(ひろさき親子内観研修所所長)

20年を振り返っていま思うこと」

小講演② 阿保周子(津軽内観研修所所長)

「新しき門出にあたって思うこと」

<次世代からの質問に応える>

巽  信夫(精神科医)

真栄城輝明(臨床心理士)

竹中 哲子(認定内観面接師)

 

主催:弘前内観懇話会(めぐみの集い)実行委員会

共催:ひろさき親子内観研修所・津軽内観研修所

 

ごあいさつ

 青森県内に唯一の内観研修所(ひろさき親子内観研修所)が開設されて20年目を迎える年に、第16回目の内観セミナーを開催する運びとなりましたが、なんとこの津軽の地に二つ目の内観研修所(津軽内観研修所)が産声をあげようとしております。そこで、弘前内観懇話会(めぐみの集い)は、これを記念して記念講演会を初日に、それに続く二日目には次世代へのメッセージとグループ相談会を開催することにしました。

 講師には、日本内観学会前理事長で、現在は若者たちを支援する施設の院長としてご活躍の巽信夫先生と若い世代の教育と臨床に携わっている奈良女子大学教授の真栄城輝明先生をお迎えしております。老若男女を問わず、対人援助に関心のある方や人間関係で悩んだ経験のある方のご参加を歓迎いたします。

前々回の本欄に表題に関する学生のレポートを掲載しましたが、元大学教授と名乗る方から貴重なコメントが寄せられました。多くの示唆を含んだご意見なので、学生たちはもとよりですが、本欄の読者にも参考になると思い、私信の中から抜粋して紹介することにしました。

 

さすが奈良女子大学の学生さんだけあって、従来の表面的な解釈、つまり騙すとか嘘をつくといった少年に対する批判的な観方を一蹴、「かまって欲しいという寂しさ」(一回生・濱瑠美さん)を基調に、その「かまう」内容というか、かまい方を「何回も嘘をついた少年の心のありように耳をすまし、寄り添ってあげる人はいなかったのでしょうか」(二回生・黒瀬那智さん)から、「どうして嘘をついたのかを考えてあげる必要があった」(二回生・田島千聖さん)などと多彩な言い回しで説かれ、大人(村人)たちの放任・無責任を弾劾しておられる。何をおいてもまず、女性らしく子ども(少年)に優しい眼を注いでおられるのがうれしい。

 さて、では私はどう考えるか。学生たちの意見にただ賛成というわけにはいかない。彼女らは少年の寂しさに立脚しているのに対して、私は、少年の行為の裏に、「退屈・倦怠」を嗅ぎ取っている、ということであろうか。一般に女性は「寂しさ」を、男性は「退屈」を基本に感じるものだと私は考えている。「女三人寄れば姦しい」は、寂しさをお喋りで発散させている姿と私には映るのである。そして急いで付け加えるが、これは何も女性蔑視を表わしているのではなく、母親のお喋りがなければ、赤ん坊が言葉をものにするのは不可能だったであろう、というほどの重大な意味を裏に持っているのだ。

 而して、女性の「お喋り」に相当する「退屈・倦怠」は、「女三人寄れば姦しい」等といった生易しいものではなく、「死ぬほど退屈だ」という物騒な成句を成立させるほどの代物なのである。なぜ物騒か。死ぬほどの思い入れがあるなら、人には怖いものはないからである。あえて言えば、すべての悪事(犯罪・放火・殺人)の裏には、「死ぬほど退屈」という退屈感がある、と言っても言い過ぎにはならないのではないか。

 では、この話しから私は如何にして少年の「退屈」を嗅ぎ取ったか。

 私はまず、牧畜(放牧)と農業の違いというものを考えざるを得なかった。つまり、後者は絶えず手足を動かし忙しいのに―だからのんびりはしておられない―、前者は特に体を使うこともなく、比較的のんびりできる。特にこの話では、ほんとうに狼が出てくる恐れはあまりない状況と私には思われるのだ。でなかったら、つまりほんとうにいつ何どきに狼が出てくるかもしれないという状況なら、いたいけな少年一人(だけ)に、大事な財産ともいうべき羊を託すはずはないだろうし、また、ほんとうにいつ何どきに狼が出てくるかもしれないと緊張しておれば、冗談にも「狼が来た」なんて言えるはずがないからだ。加えて、牛や馬ならまだしも、羊とくるとのんびりした感じがいっそう強まる。

さよう、少年は寂しかったのではなく、退屈し切っていたのである。仕事と言えるのかどうかもわからないような羊の番が、面白くなくて参っていた。つまり、少年は「退屈」というイジメにあっていたのだ。もちろん、少年が才気煥発な子であれば、いっそう退屈・倦怠感は強かったであろう。少年は「退屈」というイジメに対して大声を上げた。少年は三度「狼が来た」という、ある面では嘘かもしれないが、大声を上げた。なぜ大人(村人)は、最初の嘘で子どもと向き合わなかったのか。なぜ嘘をついたのかを明かそうとしなかったのか。いやそれよりも、本来なら嘘をつく前に子どもの本質を見抜くような大人でなければならない。子どもの方から仕事が退屈で死にそう、と訴えてこられるような大人でなければならない。さよう、世の一般のイジメに対しても大声を出す教育・訓練を施さなければならない。(教室で、イジメだけでなく、嫌なことをされたら、大声で叫ぶ練習をさせるのだ。大声はスポーツの専用語?ではないのだ)。そして、その声を耳にした人は、何をおいてもその場に駆けつける、といった新しい社会生活の様式を作り上げるのだ。さらに、いじめっ子もいじめられている子も、双方にためになる結果が生じるのだ。

以上、私信ではありますが、本欄にふさわしいと思われる内容については、プライバシーに配慮しつつ、今後とも今回のように抜粋・掲載していきたいと考えています。