「人はなぜ傷つくか」

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 この夏は、「竹取物語(かぐや姫)」に関心が向いており、関連する本を読んでおります。内観の理論化を考えるうえで、参考になると思ったからです。きっかけを与えてくれたのは、最近、講談社選書から出版された一冊の本でした。以下の文章は、その本の著者にしたためた私信なのですが、本欄の読者にもお勧めしたくなったので、ご本人の了解を得て、書評代わりに転載することにしました。

 

秋田巌先生

 

このたびは、きわめて刺激的なタイトルを付したご著書・「人はなぜ傷つくのか」の上梓、誠におめでとうございます。大学に届いていたために手にするまでに少し時間があったようですが、1週間の海外出張(中国内観療法学会大会)に持参して、飛行機やホテルにて時間を見つけて読ませてもらいました。今回持参した本は、この1冊だけに絞りましたので、往復の空き時間をすべてご著書とともに過ごしました。そんなわけで、繰り返し2度も読むことができました。今まで1冊の本を1週間もかけて2度も繰り返し読んだことなどありませんでしたが、ご著書はあまりにも内容が豊かなために付箋だらけになってしまいました。そこで、ご恵存いただいたお礼とともに、付箋をたどりながら簡単ではありますが、思うままに感想をしたためました。

まず、ご自身の名前である「秋田」と「竹取物語」の主人公である「なよ竹のかぐや姫」の名づけ親である「三室戸の齊部の秋田」との関連で紹介された一文は、これまで見過ごしてきた「名前と自己の存在感」、あるいは「名前と自己肯定感」の関係を改めて知ることができ、大きな収穫となりました。

次に「超自我」には、「黒い超自我」なるものがあるという指摘に接して、目からうろこでした。この概念を説明するために「ブラックジャック」を登場させたのは、見事だと思います。おかげで人間理解の幅が広がったように思います。

ご著書の第一の読者に想定されているのが師匠の「河合隼雄」であることは、2度目に扉を開いて気付きました。偉大な父をどう乗り越えるか、そのために相当な時間とエネルギーを必要としたようですが、西洋にはない「両雄並び立つ」という日本文化が培ってきた思想に支えられて「偉大な父親と並び立つ」までになられたことに、心よりの尊敬とお慶びを申し上げます。その結果として生みだされたのが、「Disfigured Hero」という概念であり、秋田理論の「精神学(サイキオロジー)」の中核を担うことになったのでしょう。これはまさに師匠と肩を並べて「両雄が並び立った」瞬間と言ってよいでしょう。私にはそう感じられます。

それにしても「サイコセラピー」と「心理療法」の違いを説明するのに「イエス・キリストの物語(聖書)」と「竹取物語」持ち出してくるという発想には、驚天動地と言いましょうか、吃驚仰天してしまいました。ちょうどその頁を開いたのは、中国は敦煌の沙漠にてラクダと遊んでの帰りでした。昼中の地表温度が60度を超えるという猛暑を過ごし、太陽に辟易させられていましたが、夜の8時過ぎのこと、西の地平線に夕陽が沈むのを見ておりました。夕陽が沈んだ途端、涼風が吹いてきて、東の空を見上げるとそこには、月が姿を現しておりました。月はずっとそこにいたにもかかわらず、太陽がいる間は姿を現すことはなかったのです。月の下を歩いていると、昼間と違って心が安らぎ、同行の中国人医師が月を背に歌を唄い出しました。それを皮切りに日本から来た我々もお返しの歌を唄ったところ、笑い声に包まれて、心からの交流が生まれました。改めて、月に備わる癒しを痛感させられました。それは、先生の直観が確信しているように「月へ帰還したかぐや姫が祈ってくれている」からこそでしょう。ご著書の影響もあって、私には「太陽」が「サイコセラピー」に、「月」が「心理療法」として感じられました。若いころは「サイコセラピー」しか見えなかったのですが、人生も夕暮れを迎えた今は、大和の「心理療法」である「内観療法」に強く惹かれるようになったことも私にとっては自然な流れのように思えて、至極納得できます。

西洋で生まれ育った精神医学や臨床心理学の本体は衣裳を変えたキリスト教である。そこに十分に目を向けずに表面の知識だけを学んで事が足りる世界ではない」(2930頁)とのご指摘は、若かったころの自分への戒めとしたい言葉として読ませていただきました。

ご著書は、本文だけでなく文献・註にも味わい深い言葉がちりばめられており、読み応え十分です。たとえば、「業績」という言葉を「傷が紡がれ、受け継がれること」という意味を付与されていますが、それこそ目から鱗が飛び散ってしまいました。

「内観療法」の弱点として「理論化」が指摘されて久しいのですが、ご著書をバイブルとして「理論化」に努めてみようという気になりました。その結果、「業績」として認められるようになれば、ご著書への恩返しになるのでは、と密かに思っている次第です。

ご著書を読んで、改めて先生との出会いに感謝しております。

私にとってのバイブルをご恵贈いただき、心より御礼申しあげます。

 

真栄城 輝明拝

2013826

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