2013年10月アーカイブ

 表題のタイトルは、来る121日に奈良県文化会館を会場に第20回関西アルコール関連問題学会における講演(公開講座)の抄録です。大会長の植松直道先生が座長を務めていただくことになっています。演題も大会長の希望によるものです。公開された講演ということで、会員以外の一般参加者も無料で聴講できるそうです。私にすれば、24年間の病院時代を思い出す機会を与えられたわけで、感慨もひとしおです。

 

 内観とは】

 ここに紹介する内観は,吉本伊信(19161988)がその師・駒谷諦信(~1945)とともに開発した自己観察法のことである。何ゆえの自己観察かと言えば,悟り(宿善開発・転迷開悟・一念に遇う,などとも呼ばれる)を開くためである。つまり,内観は元々仏教の世界で行われていた悟りを開くための「身調べ」と称する修行法から出発したものである。現在,その「身調べ」は姿を消してしまい,吉本伊信の「内観」が日本発の心理療法として,欧米や中国,韓国といったアジア諸国でも実施されるようになった。

 

【内観法から内観療法へ】

 内観は,内観法あるいは内観療法と呼ばれてきたが,歴史の順序でいえば,内観法という呼称の方が先である。ただ,日本内観学会が設立されて以来,内観法に比べて内観療法をタイトルに冠した研究が増えていった。その後,日本内観医学会が誕生してからというものは,内観の呼び名は,内観療法一色になった感がある。ところで,必ずしも一概には言えないかもしれないが,原法と言えば内観法を,変法と言えば内観療法という見方ができよう。

 

【アルコール依存症の回復と内観療法】

AAの設立の立役者となったローランド・Hはユングの治療を求めてチューリッヒに赴いているが,そこでユングに治療を拒否された際のやり取りが興味深い。

ユング:「あなたの病は,私には治せない。もはや医術や精神医療ではどうにもならない。」

ローランド:「ほかに方法はないのですか?」

ユング:「霊的(spiritual)あるいは宗教的な経験,つまり,"真の転換"を経験すれば回復可能かもしれない。」

ローランドが帰国後にAAの活動に救いを求めたことは,知られている通りである。

ところで,内観過程に注目するとき,「スピリチュアル」という概念が理解を助けるように思われる。「スピリチュアル」とは何か。水澤都加佐氏は,アルコール関連の冊子・「Be!増刊号No16 」(2006)の中で,「アルコール依存症とは,身体・心・社会性がぼろぼろに傷ついていく。家族も同様に傷つき疲弊していく。そのもっとも奥で進行していくのは,命を蝕み死へと向かわせる『スピリチュアルな病』である。『スピルチュアル』とは,『つながる力』,それも死に向かうものとつながるのではなく,命とつながる,自然とつながる,希望とつながる,大切な相手とつながる。<中略>そのような力だ」と述べている。

水澤氏の言葉から推察すると,『スピルチュアル』というのは目には見えないけれど,人間のもっとも奥にあって,身体・心・社会性を支えているものらしい。その『スピルチュアル』が病むとき,人はコントロール機能を失い,心身を蝕む酒精の虜になって,挙句の果てには命さえ落としてしまう。アル症の回復を考えるとき,彼らの『スピルチュル(霊性)』に働きかける必要があり,内観はそれを可能にする治療法だといってよいだろう。

これまでの心理学は科学的であることを志向してきたために,宗教とは距離をとってきたきらいがある。もとより心理療法としての内観療法も例外ではなかった。内観が内観療法として用いられるようになって以来,宗教性を切り離してしまったが,先述したことを考慮すれば,「アルコール依存症の回復」にとって,それは必要不可欠なものと言えよう。

当日は,「内観療法とアルコール依存症」を中心に述べることになるが,それ以外の病院臨床への導入に際してのエピソードについても事例も交えつつ,紹介する予定である。

 

 奈良女子大学では、112日(土)にオープンキャンパスを開催する予定です。とりわけ、生活環境学部に新しく開設されることになりました心身健康学科の臨床心理コースでは、プレイルームの見学、並びに箱庭療法を体験することができます。

また、午後13時~1345分までは担当教員である臨床心理相談センアター長による模擬授業(対人援助の心理学~心理臨床学入門~)が開講されます。そのほか、 心理検査体験やコース・教員紹介ポスター研究紹介ポスターなどを閲覧できます。教員著書・心理学系書籍紹介のコーナーも設けてありますし、お茶などの用意もしてありますので、気軽にご参加ください。なお、模擬授業は45分で、講義の内容は以下の予定です。

 

Ⅰ 心理学の分野

  1,「臨床心理学」と「心理臨床学」の相違

  2,「心」とは?

  3,心理臨床のキーワードは、「関係」

Ⅱ 発達課題について

  ①乳児期は? ②幼児期は? ③少年期は? ④思春期は?

Ⅲ 思春期の課題について

  ①自立 ②性 ③アイデンテイテイーの確立

 

 時間の許す限り質問にもお答えする予定です。将来、対人援助職を目指している高校生や保護者の方のご参加をお待ちしております。また、将来、臨床心理士を目指している大学院進学を考えている学部学生の参加も歓迎します。ふるってご参加ください。

 昨日に続いて、講演会に参加した学生からのレポートが届きましたので、紹介します。レポートにしないまでも当日の参加者からは、口頭での感想も届いていますが、内容は本欄に掲載した二人の学生の感想とほぼ共通しています。

 

船津麻友美

(子ども臨床学コース3回生)

 

 

 今回の講演会に参加させてもらって、母親と子どものつながりや母親の子どもへの影響はとても大きいことと、発達障害をもつ子どもと関わる時に「困った子」という見方ではなく、「困っている子」という見方をして、その子のいい所をたくさん見つけるような関わり方をすることが大切なのだなと思った。

 母親と子どものつながりがとても強いのだと感じたのは、長男が自閉症ではないかと心配した母親の事例で、母親がうつ病になっていて、うつが改善すると、長男の行動も著明に改善したという話である。子どもが母親を求め、それに対して母親が反応を返すことで、安心したり、感情の自己調節ができるようになったりすることを知った。また、1歳頃までの母親と子どもの関係が、その子の一生の人との関わりのベースとなるということで、生後間もないころからの母子間の関わり、アタッチメントはとても重要なことがわかった。

 アタッチメントがとても重要と感じたとともに、集団生活の場で他の子どもよりも何か目立つものがある時に、すぐ発達障害ではないかと決めつけてしまう見方をするのはよくないなと思った。私は、短大の時に保育園に通わせてもらいながら、発達障害、特に自閉症について関心があったので、少し症状やアプローチの仕方について勉強していた。その時に、発達障害についての知識が少しあるからと言って、保育の場で自分の感情の表現の仕方が上手くできず攻撃的で、集中力が続かず、友達とコミュニケーションをとるのが苦手な子どもがいた時に、すぐにADHDなのではないかと決めつけた見方をしてしまっていた。おとな側に何か都合が悪い状況の時などに、すぐに障害と思い込むのではなく、その子の上手く気持ちを表現できない背景やその子の心にまずは目を向けて、その子の目線になって関わっていくのが良いのだろうと思った。今後子どもと関わる時に、何かで目立つ子がいたら、その子をそうさせているものは何か、その子は何を求めているのか、などその子の目線に立って考えられ、子ども一人一人の見取りをできるようにしていきたい。

 また、私は将来幼稚園教諭になりたいと思っている。幼稚園教諭になれた時には、子どもが安心して過ごせる子どもの安全基地のような存在になれるように、子どもの思いに気づいて受け止められるようになりたい。そして、発達障害と診断された子どもがいた時には、安全基地と思われる存在になることに加えて、「その子どもが困っている」という視点で、その子どものサポートができるようになりたい。気になる所ばかりに目を向けるのではなく、その子どものいい所を見つけ、伸ばしていけるような先生になりたい。

 以上のように、講演会を通して、子どもをとりまく環境の大切さを改めて感じたし、子どもを見つめる時に視野を広くして見ることを今後心がけたいと思えた。

 

105日の土曜日に奈良女子大学の「次世代支援の子ども学」は、地域貢献事業として奈良県立医科大学の飯田順三教授(児童精神科医)を招いて「子どもの心を育む子育て」と題する講演会を開催しました。一般市民の中に交じって学生たちも参加しており、その中の一人が講演を聞いた感想をレポートにして提出してくれましたので、本欄にて紹介します。

 

 講演で興味深かったのは、発達障害である子どもにだけ焦点を当てるだけでなく母親にも目を向けた内容だったことである。これは発達障害の子に限った話ではないが、電車等で子どもが騒いだり、泣いたりしてしまうと、周りの人たちは迷惑そうな目でその親子を見てしまう。そしてどこかで「子どもをあやすことができない母親の責任だ」と感じていると思う。世間から冷たい目を向けられてしまっているのは子どもだけではなく母親も同じであり母親は心を痛めていることを私たちは認識しなくてはならないと感じた。少子高齢化になり、子どもを増やしていきたい日本は子育て支援の団体があったり、経済的に支援する政策ができたりしているが、本当に今、必要なことは子どもを社会全体で育てていこうとする人々の意識であると私は思う。母親は確かに子どものことを想っており、強い存在であるとは思うが、それ以前に女性であり、一人の人間である。世間の視線は気にしてしまうし孤独になってしまうのも辛いのである。そういって徐々に困ってきた母親を社会が見放してしまうと、虐待・愛着障害で苦しむ子どもが増えるのではないかと私は考える。虐待をされた子どもを守ることは勿論大切なことであるが、その前に虐待をしている親を守る存在が必要なのかなと感じる。

講演の中でとくに印象的だった言葉は「発達障害は困った子ではなく、困っている子である」という言葉だった。私は今までその発想がなかったため、素直になるほど!と感じた。さらに「発達障害は発達する」という言葉も、おお!と思った。発達障害の子が問題な行動を取るのはその子が困っていてSOSのサインを出しているのだと考えると、私たちはどうしたらその子が安心することができるかを前向きに考えることができるようになるだろう。

 「一家の太陽のような存在」として例えられるのは母親が多いように思う。母親の情緒が安定し、いつも笑顔でいることは子どもにとって絶大な影響を及ぼしているのだとこの講演を聞いて感じた。子どもは私たちが思っている以上に親を見ているし、いろいろ考えている、だからこそ親からの影響を直に受け、それらが様々な症状となって表れているのだと感じた。私も子どもにとって太陽のような存在になれたらいいなと思う。暖かくていつも照らしてくれるような存在のことである。しかし、そんな存在をずっと保ち続けられる人はなかなかいない。支えがいるのだ。太陽のような存在であり続けるためにその人を支えてくれる人が必要なのだ。それは、身近でいえば家族といえるだろうし広い範囲で言えば社会なのではないかと私は考える。

 このところ「呼吸法」に関する本を読んでいます。行きつけの本屋で、背表紙に「呼吸」を付した本を探しているうちに、何げなく手にした本の扉を開いてみると、そこに「呼吸」について触れてある箇所があると、それだけで購読してしまうのです。読み放しにすることも多いのですが、読書ノートに書きつけることもあります。ここに記すのは、読書ノートに記すほどでもないが、読んでそのまま忘れてしまうのも気になったので、本欄に書き留めておくことにした。

それは95日に発行されたばかりの「五木寛之」による「生きる事はおもしろい」という本からの抜粋です。ちょっとした空き時間に少しずつ数日をかけて読みました。

<生きる上で基本的なこと、そこにおもしろさを見出して暮すのは、悪くはない。

食べること。息をすること。歩くこと。そして、眠ること。>の中から、今関心のある「呼吸法」の部分を切り抜いて紹介することにします。

<まずゆっくり息を吐く。それが「呼」である。そうすると、とりたてて意識しなくても、自然に息が流れ込んでくる。息を吸うときに、あえて大きく口を開けて吸う必要はない。鼻からスムーズに吸い込めばいいのだ。>

至極当たりまえのことが書いてある。そんなこと言われなくともわかっていると言いたくなる気持ちを抑えて、先を読み進めていくと腹式呼吸が健康によいというくだりにきて、<これまで呼吸法の専門家や医師、宗教家など、いろんな人にそのことを尋ねてきた。しかし、いまひとつ、ストンと納得できる答えがなかった。>というのです。

ところが、ある禅僧の説明を聞いて得心が行ったというのです。その坊さんの説明とはこうです。

禅僧:「つまり浜辺ですな」

五木:「浜辺?海岸のことですか」

禅僧:「そう、波打ち際で沖から押し寄せる波をじっと見ている」

五木:「はぁ」

禅僧:「砂浜から波がサーッと引いて、また、ザザーッと寄せてくるでしょう。

そのイメージを思い描いてください。サーッと引き、ザザーッと寄せてくる」

五木:「なるほど。引いた波が寄せる、また、寄せる波が引く。その感じですか」

禅僧:「間があるようでない。ないようである。そんな感じで呼、吸、呼、吸、繰り返さ

れてはどうですか」

 禅のお坊さんが言うことなので、きっと「禅問答」のような形而上学的な答えが返ってくるかと思いきや具体的でわかりやすい答えをもらって納得できたというのです。