内観療法とアルコール依存症

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 表題のタイトルは、来る121日に奈良県文化会館を会場に第20回関西アルコール関連問題学会における講演(公開講座)の抄録です。大会長の植松直道先生が座長を務めていただくことになっています。演題も大会長の希望によるものです。公開された講演ということで、会員以外の一般参加者も無料で聴講できるそうです。私にすれば、24年間の病院時代を思い出す機会を与えられたわけで、感慨もひとしおです。

 

 内観とは】

 ここに紹介する内観は,吉本伊信(19161988)がその師・駒谷諦信(~1945)とともに開発した自己観察法のことである。何ゆえの自己観察かと言えば,悟り(宿善開発・転迷開悟・一念に遇う,などとも呼ばれる)を開くためである。つまり,内観は元々仏教の世界で行われていた悟りを開くための「身調べ」と称する修行法から出発したものである。現在,その「身調べ」は姿を消してしまい,吉本伊信の「内観」が日本発の心理療法として,欧米や中国,韓国といったアジア諸国でも実施されるようになった。

 

【内観法から内観療法へ】

 内観は,内観法あるいは内観療法と呼ばれてきたが,歴史の順序でいえば,内観法という呼称の方が先である。ただ,日本内観学会が設立されて以来,内観法に比べて内観療法をタイトルに冠した研究が増えていった。その後,日本内観医学会が誕生してからというものは,内観の呼び名は,内観療法一色になった感がある。ところで,必ずしも一概には言えないかもしれないが,原法と言えば内観法を,変法と言えば内観療法という見方ができよう。

 

【アルコール依存症の回復と内観療法】

AAの設立の立役者となったローランド・Hはユングの治療を求めてチューリッヒに赴いているが,そこでユングに治療を拒否された際のやり取りが興味深い。

ユング:「あなたの病は,私には治せない。もはや医術や精神医療ではどうにもならない。」

ローランド:「ほかに方法はないのですか?」

ユング:「霊的(spiritual)あるいは宗教的な経験,つまり,"真の転換"を経験すれば回復可能かもしれない。」

ローランドが帰国後にAAの活動に救いを求めたことは,知られている通りである。

ところで,内観過程に注目するとき,「スピリチュアル」という概念が理解を助けるように思われる。「スピリチュアル」とは何か。水澤都加佐氏は,アルコール関連の冊子・「Be!増刊号No16 」(2006)の中で,「アルコール依存症とは,身体・心・社会性がぼろぼろに傷ついていく。家族も同様に傷つき疲弊していく。そのもっとも奥で進行していくのは,命を蝕み死へと向かわせる『スピリチュアルな病』である。『スピルチュアル』とは,『つながる力』,それも死に向かうものとつながるのではなく,命とつながる,自然とつながる,希望とつながる,大切な相手とつながる。<中略>そのような力だ」と述べている。

水澤氏の言葉から推察すると,『スピルチュアル』というのは目には見えないけれど,人間のもっとも奥にあって,身体・心・社会性を支えているものらしい。その『スピルチュアル』が病むとき,人はコントロール機能を失い,心身を蝕む酒精の虜になって,挙句の果てには命さえ落としてしまう。アル症の回復を考えるとき,彼らの『スピルチュル(霊性)』に働きかける必要があり,内観はそれを可能にする治療法だといってよいだろう。

これまでの心理学は科学的であることを志向してきたために,宗教とは距離をとってきたきらいがある。もとより心理療法としての内観療法も例外ではなかった。内観が内観療法として用いられるようになって以来,宗教性を切り離してしまったが,先述したことを考慮すれば,「アルコール依存症の回復」にとって,それは必要不可欠なものと言えよう。

当日は,「内観療法とアルコール依存症」を中心に述べることになるが,それ以外の病院臨床への導入に際してのエピソードについても事例も交えつつ,紹介する予定である。

 

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