2014年1月アーカイブ

 <ルース・ベネデイクト(アメリカの文化人類学者)は、欧米の文化は「罪の文化」であるのに、日本の文化は「恥の文化」であると規定している。つまり、日本人は罪の意識を持たず、「悪い行いが"世人の前に露顕"しない限り、思い煩う必要はない(中略)恥の文化を持つ」と述べているが、あなたはその説に対してどう思うか?>

 先述の課題を授業内で学生たちに問うてみました。大半の学生が高校時代の授業で取り上げられていたらしく、日本が「恥の文化」であることは知識として知っており、その説を受け入れているようでしたが、「日本人は罪の意思を持たない」というベネディクトの説には異議があるらしく、子どもの時にうそをついたり、他人や兄弟のものを盗んだ時に味わった罪悪感を振りかえって、「日本人にも罪悪感はあります」という考えを述べたレポートが多数みられました。いったいなにゆえ、ベネディクトは「菊と刀」という著書にそう書いたのでしょうか?

 「恥の文化」という神話(草思社)の著者・長野晃子の論考が面白いので、授業でも紹介してみました。ここにもそのいくつかを紹介すると以下のようです。

       「菊と刀」は、日本人のために書かれたものはなく、アメリカ人のために書かれたものである。

       アメリカ人の政治学者・ダグラス・ラミス曰く、「これを読むと"自分がアメリカ人でよかった"と私を大喜びさせることができる。」

       この本は、文化人類学の論文ではなく、「政治論文」である。

       原爆を投下した後に書かれているが、アメリカ市民にとってそこから引き起こされる罪悪感を薄めるためにこの本は、有効であった。

       ベネディクト自身は一度も来日したことはなく、アメリカに滞在している日本人から聴取した話をもとに書いた本である。

       「日本=恥の文化」は、原爆投下を正当化するためのプロパガンダだった。

       アメリカの歴史を振り返ってみると、アメリカは戦うたびに「マニフェスト・デスティニー」(白人の責務)といった究極の自己弁護、自己欺瞞の言挙げをしている。

       「アメリカのアジア進出は神の仕事を行う」一つの方法であるとして、アメリカはアジアに進出してきた。

       「自己流に『平和を愛する』、伝統的に攻撃的なわれわれアメリカ人は、国際的な駆け引きにおいて、力の行使を躊躇することはほとんどない。だが、われわれはそのことにいつもうしろめたさを感じている。」(フランク・ギブニー 歴史学者)

       この「うしろめたさ」が、アメリカの政治家、学者、ジャーナリストに次々に「マニフェスト・デスティニー」を言挙げさせるのであろう。原爆投下直後に「菊と刀」を書くことを決意したベネディクトも、そうした学者の一人であったといえよう。

       「日本人は恥の文化をもつ」といったのは、「日本人は悪人」といったにひとしい。

 一昨日の土曜日に行われた「つながりの会」においても罪悪感をテーマに話し合ってみました。すると、些細なことにでも罪悪を覚える人と滅多に感じない人に分かれました。ひょっとしたらベネディクトは、後者の「滅多に罪悪を感じない日本人」へのインタビュー資料だけを強調して著書の中に使ったのかもしれないと思った次第です。

 

 

表題の研究会が以下に示す内容で開催されるということで、わたしにも出演の依頼があり、引き受けすることにしました。準備までには、まだ、時間があると思って受諾したのですが、テーマの重さに果たしてその責を果たせるか、年末からそれに関連する文献に目を通している次第です。先週は、デンマークから心理学博士が来日して集中内観を体験されましたが、「罪」をめぐる問題を考えるうえで大変貴重な知見を得ることができました。このテーマは大学の授業でも取り上げてきましたので、講演内容の一部にも盛り込みたいと考えていますが、本欄にも掲載していくつもりです。

 

テーマ 日本人の「罪と恥」

開催日 平成26年6月7日(土)10301800

内 容 教育講演、特別講演、シンポジウム

場 所 駒澤大学中央講堂 (東急田園都市線「駒澤大学駅」下車10分)

    主 催 「東洋思想と心理療法」研究会 (常設事務局 広尾心理臨床相談室内)

 【プログラム】(予定)

<午前の部>

  開会のあいさつ(10:30)  世話人代表 森山敏文

    教育講演(10:40~12:00)  

司会 大山みち子(武蔵野大学、広尾心理臨床相談室)

        「宗教教誨師をやってみて」(仮題)

講師 舘盛寛行(曹洞宗梅宗寺副住職、神奈川医療少年院教誨師)

 

<午後の部>

特別講演 (13:20~14:50) 

司会 中村伸一(中村心理療法研究室)

「罪と恥と愛」をめぐる話―内観の視点から―

講師 真栄城輝明先生(奈良女子大学・大和内観研修所)

 

シンポジウム(15:00~17:50) テーマ 日本人の「罪と恥」

           司会 森山敏文(広尾心理臨床相談室)

阿部裕(明治学院大学)

     「精神分析からみた罪と恥」(仮題)  30

シンポジスト 高野 晶先生(東京国際大学・心の杜新宿クリニック)

     「浄土真宗における罪と恥」(仮題)  30

シンポジスト 爪田一寿(武蔵野大学通信教育部人間科学部)       

     家族臨床の立場から「世間体と恥意識」 30

シンポジスト 中村伸一先生(中村心理療法研究室)

   指定討論  西園昌久(心理社会的精神医学研究所) 30

      質疑 50

    閉会のあいさつ 研究会顧問 西園昌久

「感謝の言葉に代えて」

田中千尋

(子ども臨床学コース)

 

 万物に仏性を見出すのは、禅の思想である。この7日間の集中内観でそれを身をもって知ることとなる。

内観研修に来させていただいたのは、大学の実習によるもので、ただ単位が欲しかっただけである。そのような邪念を抱きながら、集中内観の初日、大和郡山の駅に降り立った。「まあ、せっかく7日間も内観するのだし、父とのわだかまりについてぐらいは解決したいなあ。」と、ここ最近父とうまくいかないことが多いので、それについて考えることだけをめあてとしていた。

しかし、7日の集中内観を終えた今、日常に対する心持ちが180度変わった。朝洗濯機の前に脱ぎ捨てた服が、翌日の朝には自分の部屋にきちんと畳まれて返ってきていることを、今まで「ありがたいなあ」と感謝して意識したことがあっただろうか。私は、今まで21年間生きてきた人生の中で一度もない。だが、集中内観を終えて家に帰ってくると、母がおかえり、と私を出迎えながら「洗濯物は7日分もあるから、大変でしょう、出しておいてね」と言ってくれる。私はその言葉に涙がこぼれてこぼれて止まらなくなった。いつだって、母は私のことを考えてくれて私のために動いてくれていた。そう思うと、もう何も手につかなくなるほど感謝の気持ちがあふれてくる。

集中内観では、7日間、様々な人のことについて考えた。まずは、母、父、弟、妹などの家族に対する自分のことを考え、そのほかにも今までお世話になってきた人2方に対する自分を考えた。幼いころのことはなかなか思い出せないことが多く、苦戦をした。自分がどのようにしてその人と関わっていたのか、そのようなことも思い出せないのである。想起する年齢が上がってくるにつれて、だんだんと思い出せることが多くなってくる。最初は「こんなこともあった、あんなこともあった、こういうのは迷惑かけたな悪かったな」と淡々と、想起した事実を内観三項目にカテゴライズするというスタイルをとっていた。

しかし、内観3日目ごろに転機がやってくる。それは、毎日ご飯を持ってきてくださるM夫人によるものだった。集中内観では、一日に三回ご飯を頂くが、すべてその方が屏風の前にまで来て食事を提供してくださる。一日目から「申し訳ないなあ...」と思いながら過ごしていたのだが、毎日毎日食事だけでなく、「お茶は残っていますか」と確認をしてくださったり、身辺のお世話をしてくださるM夫人に感謝の念が湧き上がってくるのを日々感じていた。黙って、何の見返りもなく、私のためにご飯を作ってくれたり、お茶を淹れてくれたりする。申し訳なく、なんとありがたいのだろう・・・と思っていると、ふとそのとき母と父の顔が浮かんだ。そういえば、母も父も、このスタッフのように、何の見返りもなく私のためにどれだけのことをしてくれただろう、どれだけ苦労しただろう、といったことが頭に浮かんだ。その日から私の内観は変わっていった。お世話になったことを思い出しては、胸が温かくなり、して返したことの少なさに切なくなり、迷惑をかけたことを思い出しては胸が痛くなった。そうして、M夫人への感謝の念が、母・父への感謝の念にぴったりと重なるようになっていった。

また「人」に対する感謝の念だけではなく、今回の集中内観では「もの」への感謝の念も感ずることができた。これは、お風呂のときの気づいたことである。この集中内観では、女性は私ただ一人であったために、入浴した後には自分で、窓を開け、床を洗い、排水溝をきれいにしなければならない。気づきはこの、排水溝に溜まった髪の毛を見たときだった。そこには5,6本の髪の毛があった。それをふと見たときに「こんなにも一度の入浴で髪の毛が抜けるのだなあ」と驚いた。そして、同時に申し訳なさが込み上げてきた。「この髪の毛は今まで私の頭を覆うために、生えていてくださったのだなあ」と。そう思うと、風呂桶に張ってあるお湯も私の体を清潔にするために、ここにあるのだし、このバスマットも私の足についた水を拭うために置かれているのだなあ、とすべてのものに対して感謝の念を抱かずにはいられなかった。

あんなに集中内観をしているときには、早く家族に会ってありがとうと言いたいと思っていたのに、実際に家に帰ってきてみると、涙が出て、顔も合わせることができず、私は自分の部屋にこもり泣きながら手紙を書いたのであった。いつになっても、親に正直な感謝の気持ちを述べるのは、恥ずかしいのであった。

最後になりましたが、M先生、7日間の間、私の冗長な話を、一度も否定することもなく、優しく聞いてくださってありがとうございました。一人で内観をしていては、このような気づきには出会えなかったことでしょう。この7日間で起きたことを絶対に忘れません。

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