2014年3月アーカイブ

さて、荒涼とした砂漠で過ごしたその二日後に帰国したのですが、海に囲まれ、緑が生い茂る自然環境は、まさに極楽浄土に感じられました。空港に降り立ったとき、水気を含んだ風の匂いが砂漠のそれとは全く違って感じられました。この国は、自然災害も多いのですが、水と森に囲まれた緑豊かな国でもあったのです。

たとえば、ウキペディアによれば、国際連合食糧農業機関 (FAO)が報告している世界の森林率というのがあって、わが国は世界第一位のフィンランド(七三,九%)に次いで世界で二番目に森林が多い国であり、じつに国土の六八,二%、およそ七割近くを森林が占めていることになります。ということは、人が住める土地は国土の三割強というわけですから、人口密度が高くなるのは無理もありません。その人口密度について、これもウキペディアを参照したのですが、一位の バングラデシュ に続くのは、台湾・韓国・オランダであり、日本は第五位に位置づけられ、一㎞四方の狭い土地に三四三人が住んでいるというのです。その結果、この国では、向こう三軒両隣を気遣って生活しなければなりません。つまり、この国では生きていくために隣人との関係が重要になります。

他者から「してもらったこと」や「してかえしたこと」や「迷惑をかけたこと」を調べるという発想は、この国に住む人でなければ思いつかないことでしょう。また、「患者が暮らす地域で取り組まれる」生活臨床は、「病院スタッフや保健師が重要なスタッフになる」と井上先生は述べていますが、それに地域社会の人たちを加えてもよいかもしれません。実際、私が幼少のころ村には何人かの精神を病んだ人たちが共に生活しており、日中から村の中を徘徊し、のどが渇くとそこかしこの家に上がり込んで、お茶を要求するので、わが家でもお茶を出したりしていました。時々、状態が悪化して大声を張り上げた時には、村人たちは心得ていたのでしょう、なだめすかしながら自宅まで送り届ける姿を目撃したことがあります。六〇年前後のことです。その後、都市化が進んで村が町となり、市と呼ばれるころには、かつての様相は一変し、欧米の精神医学によって「変わり者」が「患者」と称され地域から姿を消したと思ったら精神病院に住処を移していたのです。

秋田先生は、「サイコセラピーと心理療法は違う」(『人はなぜ傷つくのか』(講談社)と述べて、それについて「それぞれの持っている思想背景が異なる」ことをその理由として指摘しています。なぜ思想背景が違うかといえば、人は環境の影響を受けるので、育った(自然)環境が違えば、思想や信条はもとより、体格や性格も違ってくるし、「自然」がこの国で生まれた心理療法を特徴づける基盤になっていると考えるのは極めて自然なことではないでしょうか。

砂漠地帯では、森田療法の「あるがまま」の生き方は通用しないかもしれませんが、この国では神経質の人だけでなく、人生訓として人々の役に立ってきました。

「母なる大地」という言い方がありますが、この国の母(大地)は、時に怒り狂う鬼のような姿を見せるのですが、滋養たっぷりの母乳(水)と快適な寝床(森林)を与えられた乳児(住民)にとっては、まさに極楽浄土(オアシス)だといってよいでしょう。というわけで、日本の心理療法の共通基盤は何かと問われれば、この国の特異な「自然」を挙げておきたいと思います。

表題の問いが「森田療法と生活臨床と内観療法」に対して求められたので、私は内観療法の立場から以下のように述べました。そこで、その内容について二回に分けて、本欄に紹介したいと思います。

まず、私が注目したのは、この国の特異的な「自然」です。

最近のニュースによれば、20131120日に小笠原諸島・西之島近海の火山噴火によって新しい島ができ、今なお噴火活動によって拡大し続けているようです。このように、これまで日本列島は、活発な地殻変動が繰り返されてきました。三年前の2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震もそうですが、この国ではしばしば、地震とそれに伴う津波に襲われて、田畑や家屋だけでなく、多くの人命が奪われてきました。歴史的な大震災だけでなく、日常的にも大雪・雷・暴風雨に見舞われ、生活を破壊されることは珍しくありません。こうした「自然」環境の下で暮らしていると、人々は明日とも知れぬ命を思い、「無常観」を育むことになります。

いっぽうで、「自然」は荒々しいだけでなく、うっそうと生い茂る森林とともに、富士山のような秀峰を生み、巨木、巨岩が目の前に立ち現われて、人々はそこに人智の及ばぬ神威を感じてきたのです。このような自然環境から生まれたのが、日本古来の「神道」であるといってよいでしょう。

「森田は、この精神療法の基本に自然論をおいた。自然に服従することを会得させることがこの精神療法の着眼点であるとする。」と北西先生は述べていますが、これはこの国で暮らしてきた人々の「人生観」だといえます。井上先生によれば、生活臨床では、自然災害に襲われて、毎日の生活が精いっぱいのときでも人を妬まない生き方を模索してきたようですが、農作物の出来不出来は、「自然」次第ということで、ここにも人為の力が及ばない世界があることを痛感することになります。こうして、この国の「自然」は、この国の人々の世界観に大きな影響を与えてきたように思われます。

ところで、この国では国土に占める森林の割合はいったいどのくらいなのでしょうか。なぜそれを問題にするかといえば、昨年、中国の蘭州で第四回中国内観療法学会が開催された際に、初めてゴビ砂漠に足を踏み入れてきました。そこでは、地上温度が六〇度にも達する砂漠にも植物が生存していました。「らくだ草」というその植物には、緑色ではなく、茶色に近い棘になった葉がついていました。棘が固くてとても手を触れることはできません。らくだは口の周りに血を流しながらそれを食しているというのです。降水量の乏しい砂漠に生きていくためには、水分を逃さないように葉を棘状にする必要があるというのです。

このように、植物は環境に順応して育つわけですが、人間においても例外ではなく、どのような環境で生活するかによって、人々の世界観や人間観には大きな違い出てきても不思議はないでしょう。たとえば、陽ざしの強い砂漠では、紫外線だけでなく、砂除けと発汗防止のために、ターバンのような顔面を覆う布の世話になりましたが、そうなると他者の顔色を伺うなどという日本的習性は必要でなくなります。良し悪しは別として、おそらく砂漠に住む人には、対人恐怖症や赤面恐怖症といった症状を持つ人はいないように思われます。他者の顔色が読めないだけに、逆に、激しい言葉のやり取りが多いように感じます。現に広大な砂漠にある広場で、二、三百メートル先から大きな怒鳴り声が聞こえたので、近づいていくとどうやらそこに設置されていた遊具を子ども同士が奪い合ったのが発端らしく、大の大人が参戦して、親たちが取っ組み合うという事態に発展した結果の争いでした。大陸で生きていくには大声と体力は欠かせないとみました。

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第三部:「一週間で得られたもの」

松本愛弓

(奈良女子大学)

 

 いよいよ最終日、最後の面接を終えて座談会に出席した。今まで自分が聴いていたテープの続きに、自分の声が記録されるのだと思うと、これまでに内観されてきた方とのつながりのようなものを感じた。この座談会では他の内観者のお話を、初めて正面から聞くことができたのだが、聞こえてくる面接だけではわからなかったその人が抱えている問題や人生背景を知ることができて、より一層その方自身の気付きや思いというのが伝わってきた。それまで全く違う人生を歩んできて、この一週間の内観に参加しなければ出会うことのなかった人たちなのだと思うと、無性に親近感も湧いてきていた。自分一人だけの参加であれば気付けなかったこともたくさんあると思うし、一緒に同じ空間で内観に取り組んでいた方が居てくれたからこその今回の内観体験であった。この一週間を充実した思い出として終わらせることなく、日常生活のなかでも内観の姿勢を忘れずに今後大学院での研究に励んでいきたいと思った。

 今回一週間の内観を体験して、何かが劇的に変わったようには思えないが、ちょっとした心の持ちようだとか、出来事の受けとめ方、人との接し方、感受性について今までとは異なるものがプラスされたように感じる。過去の自分を見つめることは現在の自分の評価をもっと下げてしまいそうで怖かったが、自分にはこんな部分があったのだと、むしろ気付けてよかったと思えている自分がいるのだ。

  追加で考えたことである。2月にあった卒業論文の口頭試問で先生方にご指摘頂いたことから、語られることと語られないこと、語りにくいものを語ろうとすることに興味があるのだが、内観中はそのことについても考える機会を与えてくれた。屏風に籠っていろいろと思いだして気付いたことを、面接ですべて語ることはなかなかできない。意識的に語らないもの、そのときになってどう語ったらいいのかわからなくなるもの、無意識に語らないようにしているものなど、自分のなかでいろいろな種類のものが存在している。今までは、語ること、表に出すことで自分自身に跳ね返りがあり見えてくるものがあるのではないかと思っていたが、それだけではなくて、語らないこと、内に秘めることによっても何かしら見えてくるものがあるのではないかと思うようになった。というのも、私自身が、面接や座談会の場で言えなかったことの方が心に残っていたりするからである。もちろん語ったこと、聞いて頂いたことも大切な意味を持っているのではあるが。今はまだ抽象的な表現でふわふわした考えであるが、このことについても今後の研究で見つめていけたらと考えている。

最後に、私はよく何かをしてもらったときに、まず「申し訳ない」という感情が先行するため、内観中もなかなか「ありがとうございます」という言葉が出てこなかった。ここで改めて感謝の気持ちを記しておきたい。実習を受け入れ、毎日私の話に耳を傾けてくださった真栄城先生を始め村井様、森下様、とても美味しい料理を作って下さったご夫人、いろいろな気づきを与えてくれた内観者の皆様、そしてこれまで私を支えてきてくれた家族に、心から「ありがとうございます」(第三部・了)

 今回は、前号の続きなので、いつもより早めのアップとなります。早く次を読みたいという読者の声に押されてのことです。後期試験の監督も無事に終えたので、早めに帰宅してパソコンに向かっているところです。

 松本愛弓

  (奈良女子大学)

四日目、昨夜見た夢もとても印象深いものだった。その解釈から、私は自分とは正反対のタイプの人とのかかわりをできるだけ遠ざけることで自分の弱い部分を守ってきていたのだなということがわかった。昨日の祖父に対する内観で自分の嫌などろどろとした部分が見えてきていたが、それも夢に表れていたように思う。隣で内観されている方の方から突然鼻をすする音などが聞こえてくるのだが、普段の生活とは違ってその泣いている文脈もわからないし、どんな様子で泣かれているのかもわからないので、なんだか不思議な気分だった。ただ、隣から泣いている気配が伝わってきたときはなんとなく自分も姿勢が正されるような気がして、それをきっかけに内観が深まっていくこともあった。屏風のなかで一人で流す涙と、面接中に話を聞いてもらいながら流す涙には、その背景にある気持ちの部分で何か違いはあるのか気になった。

五日目、昨夜の夢も印象的で、前回に続いて自分とはあまり接点のなかった友達が登場したのだが、今回はその子たちを取り入れようとしている雰囲気が強かった。毎夜見る夢が自分のなかでは繋がっていて、だんだん変化してきているのが非常に興味深いと思った。また、この日から妹に対する内観に取りかかったのだが、家族のなかで一番ひどい態度を取っていたことに気付いて愕然とした一日であった。それでも自分のことを慕ってくれている妹に対して、これからはきちんと向き合っていきたいと思う。また、大学3回生のときに妹と二人暮らしをしていたが、それが半年間しか続かなかったのは、生活習慣の違いや価値観の違いだけではなくて、私自身が心の奥底で妹を受け入れられていない部分があったからだということもわかった。妹もまた私とは正反対のタイプに属していて、無意識のうちに私の方が拒絶してしまっていたのだ。普段は仲が良い分、本当に申し訳ないと思う。また、夕方から2回目の母に対する内観をスタートしたが、1回目とは比べものにならないくらいお世話になったことが思い出され、また新たな視点から母親との関係を見つめ直すことができるようになっていた。

六日目、母に対する2回目の内観を通して、無意識のうちに母親を母親だと思っていない自分がいたことに気付いた。内観で出される食事は本当に心がこもっていて全部美味しいのだが、それを頂いているときに感じたのは祖母の味と似ているなということだった。母親の味はどんなのだったかなと考えてみても全く思い出せない自分がいて驚いたのと同時に、心から申し訳ない気持ちになった。今までずっとごはんやお弁当を作り続けてくれていたのに、祖母のごはんの方がおいしい、母は料理があまり得意じゃないという意識が先行して私はその味を噛みしめることをしていなかったのだ。また、掃除や洗濯も祖母の得意分野で、母はあまり得意ではない。そのようなこともあって祖母に母親像を見ていた私がいたのだが、幼小期の頃からの母親について思い出していると、元気いっぱいで運動が大好きな母親には遊ぶことに関して本当にたくさんの時間を費やしてもらっていたことに気付いた。母は母の得意分野で溢れんばかりの愛情を注いでくれていたのである。それに、料理洗濯掃除についても、仕事をして疲れて帰ってきた後からすべてをこなしてくれていた。私はといえば大学の講義を受けるだけで疲れて帰ってきて自炊をさぼってしまうことがあるのに...。私の母に対する印象はやはり一般的なイメージの母親からは少しずれてしまうが、そんな母親らしくないお母さんが、私はだいすきだ。父親に対しても同じように2回目の内観の方が新しい気付きがいくつもあった。中学生になった頃から学校でのこと、友達のこと、好きな人のこと、今自分が考えていること思っていることなど、自分に関することは母に対しては話をしていたものの、父に対してはほとんどしてこなかった。なんとなく気恥ずかしさもあり、どう話していいのかわからなかったというのもあるが、一番の理由は父と私が似ているからということにあった。外見的なことは別として、根本的な性格、心の部分がすごく似ているのである。自分と向き合うのは勇気がいることであるし、頼りない、心細い気持ちがあるため父に対しても少し距離を取ってしまっていたのだ。その日の夜、就寝前も父のことについて考えていたのだが、そのときに父の仕事のことを思い出した。私が生まれる前は研究職に就き、地元を離れて働いていた父だが、私が産まれたのを機に地元に戻り、仕事も営業職に就くことになった。心優しく気を遣いすぎてしまう父にとって、営業の仕事というのは本当に大変なものだったと思う。昔から胃薬を飲みながら、それでも毎日休まずに仕事に出てくれていた。私は現在大学で自分の関心のある分野の勉強をさせてもらっていて、将来の仕事もその方面で探させてもらっている。自分の苦手なものを仕事にしてそれを続けていく根性は私にはない。今ではもう愛着の湧いている仕事かもしれないが、父は私たち家族を養っていくために胃の痛みと闘いながら一生懸命働いてくれていたのだと思うと、身体中が熱くなって涙がこぼれた。愛されていることを実感した。そんなことを思いながら布団で横になっていると、しばらくして「千の風になって」の放送が流れてきた。今日は夜の音楽は流れないのかなと思っていた矢先だったので驚いたと同時に、その歌声を聴いた瞬間にまた涙が溢れてきて、今回の内観のなかで一番泣いてしまった。言葉にはなかなかできない思いで身体中が熱くなっていたのだが、そのとき思い浮かんだのは昨年9月に亡くなった愛犬エディのことである。生前元気に走り回っていた姿やハスキーボイスの鳴き声が聞こえてきて、何とも言えない気持ちになった。後から分かったことだが、そのとき両隣の内観者も泣かれていたようで、同じ音楽を聴きながらもそれぞれに感じることや思うことは違っていて、でも同じ空間で涙を流しているというのはなんだか不思議で、その時間には非常に神秘的なものが含まれていたように感じた。(以上、第二部)

「一週間で得られたもの」

 「フィールド調査法」という授業があって、学校や福祉施設などを見学するだけでなく、そこで現場を体験しつつ、学びを深めることを狙って開講されていますが、その中に内観体験も組み込まれています。今回、3回生の時に内観体験を希望しながら、それがかなえられず卒業まじかになってようやく実現したという4回生の学生が内観体験記をレポートしてくれましたので、ご本人の了解を得て、本欄に紹介したいと思います。レポートは長文なので、3回に分けて掲載しますが、それでも紙面に収まり切れず一部は割愛させてもらいました。

 

奈良女子大学 松本愛弓

 

 私が初めて集中内観のことを知ったのは大学1回生のときに受講した真栄城先生の講義である。内観体験者のテープや先生のお話を聞き、一週間籠るだけでそんなに考え方や生き方が変わることがあるのかと思い、内観そのものに興味を持つようになった。2回生になり実習の一環で初めて大和内観研修所を訪ね、その時は30分間だけ屏風の中に籠らせて頂いた。なんとなく落ち着き、聞こえてくる音が新鮮に感じられたのが印象に残っている。3回生になり、これもまた実習の一環で一週間の集中内観を受ける機会があったのだが、その時は人数の関係で私は別の実習先にお世話になることになった。そして4回生もそろそろ終わりを迎える今、3年越しの想いが叶い実習として集中内観を受けさせて頂くことになった。これが内観を受けるまでの経緯である。

少し緊張しながら迎えた初日であったが、相変わらず屏風の中に入ることに抵抗は全くなく、むしろ安心感のようなものを抱いていた。また、この時同時に懐かしさも感じていたのだが、それは幼い頃に喘息で入院していた病室の消灯後の雰囲気となんとなく似ていたからである。屏風による仕切りは病室でのカーテンの仕切りと類似していて、伝わってくる隣の人の気配や息遣いもまたどことなく似ていた。そのようなことを感じながらまずは自分の生い立ちを振り返ることから始めた。あんなこともあった、こんなこともあったと、ペンが止まることはほとんどなく、思い出すことに楽しさも感じていたように思う。この時私が思い出していた出来事というのは、誰かに聞いてもらうこと、外に見せることを意識して選ばれたものや綺麗に磨かれたものがほとんどだったということに後々気付くことになる。就寝前の面接で22歳までの生い立ちを振り返ることができたため、次からは小学校低学年の頃の母に対する自分を調べることになり、内観がスタートした。

二日目、朝は自分でも驚くぐらいすっきりと目覚めることができた。起きて一番に掃除など今まで一度もしたことがなかったが、それによって体もほぐれて温まってくるし、汚れを落としているうちに気分の方もだんだんとすっきりしてきていたように思う。この日、父・母に対する内観については一応三項目調べることはできていたが、やはりどこか頭の中で整理して綺麗にしてから話している自分がいたように思う。食事中にテープから聞こえてくる他の方の内観の様子や両隣の方の話を聞いていると、自分は表面だけしか見れていないんじゃないか、もっと何かあるんじゃないかと思わずにはいられなかった。それに伴って、内観自体にもあまり集中することができず、つい他の考え事をしてしまったり眠ってしまったり、時間が経つのも遅く感じていた。残りの日数で本当に気付きが得られるのか、不安になった一日であった。

 三日目、昨夜見た夢はストーリー性があり、先生と一緒に解釈していると、父性を排除しよう避けようとしている自分が表れているということがわかった。また一方で、怒られることや厳しくされることを求めて今の病院の受付のバイト(院長先生が非常に父性の強い方である)を選んでいる自分もいることがわかった。自分だけで夢について考えているときは、現実に近いようなそれでいてへんてこな夢の内容が何の意味を持っているのか、全然理解できなかった。先生がおっしゃってくださった言葉やその解釈を頼りにようやく気付くことができたものだった。また、この日は祖父に対して内観を始めたのだが、このとき研修所に来て初めて涙が流れた。幼い頃に祖父に対して言ってしまったひどい言葉を思い出したり、それでもいつも真っすぐに愛情を注いで声をかけてくれていた祖父のあたたかさに気付いたからである。加えて、これまで私は反抗期がなかったと思っていて、実際両親に対しては喧嘩をすることはあっても常に反抗したくなるというようなことはなかったのだが、その反抗心は祖父に対して表れていたのだということにも気付くことができた。両親共働きで祖父母と時間を過ごすことの多かった私は、無意識のうちに祖父のなかに父親像を見ており、祖父が壁となってくれることでそれに甘えて反抗していたのだった。この夢の解釈や祖父に対する気付きをきっかけとしてだんだん内観に集中できるようになっていったように思う。<以上、第一部>


 昨年の夏に開催された第四回中国内観療法学会の報告記がメールで送られてきましたので、本欄に掲載することにしました。送信者は、王祖承教授ですが、著者は3人の連名になっています

 

上海交通大学医学部付属精神衛生中心 王祖承

甘粛省第二人民病院(甘粛省精神衛生中心)何蕊芳

上海市閔行区精神衛生中心 黄乾坤

 

 

2013816-18日、第四回中国内観療法大会及び甘粛省心理衛生協会心身疾患専門委員会学術年会は中国の蘭州で開催された。本大会は中国心理衛生協会心理治療と心理カウンセリング専門委員会内観療法学会組が主催し、甘粛省第二人民病院(甘粛省精神衛生中心)、上海市精神衛生中心が共催して行われた。

 本大会のテーマは「内観療法は精神衛生を促進する」ということであった。

 817日(土曜日)の午前8時半から、甘粛省第二人民病院(甘粛省精神衛生中心)のメディア会議室で本大会の開幕式が挙行された。司会は本大会の副主任委員、甘粛省精神衛生中心の専門家である何蕊芳医師であった。中国内観療法学会組主任委員である張海音主任医師、甘粛省衛生庁の科学教育処の曹曉源処長、日本内観学会理事長である堀井茂男先生、日本内観学会副理事長で奈良女子大学教授である真栄城輝明先生はそれぞれ挨拶した。約半時間の開幕式が終わった後は、全員が記念写真を撮った。

 本大会は二日間で行い、共に110人が参加した。その中に、日本からの特別講演の講師と一般演題の発表者は併せて14名であった。本大会では、特別講演が6本、中国と日本の専門家の発表がそれぞれ4本、一般演題が6本であった。第一日目の休憩時間を使って、中国文化を持つ民族の歌と武術の演出が行われた。

 日本内観療法学会理事長、岡山慈圭病院院長である堀井茂男先生は「双極性感情障害の内観療法」というテーマで、特別講演を行った。堀井先生は、集中内観後に、患者の病状を抑えさせ、情緒をコントロールし、人間関係を円滑にすることができるようになったと述べた。

奈良女子大学の真栄城輝明教授は「内観療法の理論と実践について」という特別講演を行った。真栄城先生は、吉本伊信の生涯及び内観療法の特徴を紹介すると同時に、内観療法の理論化について文化と関連させながら深く分析して見せた。

 日本の大阪内観研修所の榛木美恵子先生の特別講演は「日本の精神文化と精神療法―内観」であった。榛木先生は、去年、中国の留学生に対して調査を行った。その調査の中では、「もし中国に戻れば、どのようなものを持ち帰っていいですか」という質問を被験者に聞くと、「思いを寄せる心」と答えた。

 大阪産業大学の中川晶教授は「治療的身体化」(Therapeutic Somatization)という特別講演を行った。中川先生は、「黄帝内経」での「移精変気論」という方法を用いて、身体化障害の患者に対する治療で逆説心理効果があると述べていた。

 日本側の一般演題の発表では、奈良女子大学の森下文さんが「集中内観と内観ワーク」、津軽内観研修所の阿保周子所長が「内観研修所を開設する際の諸問題」、弘前親子内観研修所の竹中哲子所長が「弘前親子内観研修所の20年の歩み」、中国留学生の盧立群が「日中内観療法の比較検討」をそれぞれ発表した。

 森下さんの発表では、「内観ワーク」の被験者は集中内観の体験者と同じように、内観前後に「星と波テスト」(sterne-wallen Test)を実施し、両者の心理的変化を比較した。その結果、「内観ワーク」を体験した被験者は罪悪感と自己嫌悪といった否定的感情が残っていたため、実施する時に慎重するべきであると述べた。

 奈良女子大学の博士前期課程の中国留学生である盧立群さんは「日中内観療法の比較検討」を発表した。彼女によれば、中国での内観の臨床場面がダイナミックで壮大であると述べ、また、「両国(大和と上海)における集中内観を受けた内観者(日本人30名、中国人26名)に、内観前後に「受容感・拒絶感アンケート」「内的作業モデルアンケート」を実施した。その結果、上海では、内観後に回避型の減少と混合型の人数が増加したが、安定型、両価型には大きな変化がなかった。大和では集中内観後に安定型の人数が大幅に増え、両価型、回避型、混合型の人数が減少した。彼女が実施したアンケートは、とても特徴的なものであると思われる。

816日の夕方、本大会の全員の参加者は盛大な懇談会に参加した。皆はお互いに交流しながら、日中の歌による独唱、合唱などのさまざまな演出を行った。最後に、中国のほうは、今までと同じように、毎年、何人かの精神科医や臨床心理士が日本へ内観研修を行うことを通して、内観療法を中国に広めていくことを確認した。(翻訳:蘆立群)

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