2014年5月アーカイブ

 21回多文化間精神医学会大会(小澤寛樹大会長)が長崎大学医学部にて開催されたので参加してきました。52425日のことです。シンポジウムの抄録は、すでに本欄に紹介しましたので、ここでは特に印象に残った特別講演「呉秀三とシーボルト」の中に脇役として登場した石田昇について紹介しておきます。石田は、今回の会場になった長崎大学医学部の前身であった長崎医科大学の精神医学教室の初代教授に31歳の若さで就任した秀才の誉れ高い精神医学者だという紹介がありました。演題となった「シーボルト」への関心から講演を聞いたのですが、なぜか講演の中で紹介された脇役の石田に興味を惹かれてしまい、帰宅後、早速、石田の古典的名著・『新撰精神病学』を取り寄せました。目下、それを読んでいる最中です。

ところで、2002年(平成14年)に日本精神神経学会総会で「精神分裂病」という病名が「統合失調症」に名称変更されたことは記憶に新しいと思いますが、石田が改称される前の「精神分裂病」の名付け親でもあることはあまり知られていないようです。

石田はわずか29歳という若さで『新撰精神病学』を執筆したようですが、それが東京大学医学部精神科の2代目の教授として高名な呉秀三から高い評価をうけることになり、長崎医科大学の精神科教授に推薦されることになりました。1907年(明治40年)のことで、その時、31歳という若さでした。長崎医学専門学校(後の長崎大学医学部)精神病学科の初代教授に就任した石田は、教授在任中には『新撰催眠療法』『健全なる精神』を執筆するなど、日本の精神医学の草創期に第一人者として活躍したのです。

 ところが、その秀才は、文部省留学生としてアメリカのジョンズ・ホプキンス大学に留学したのですが、そこで大事件を引き起こすことになります。

妻子を日本に残してやってきた留学先で、精神を病んで妄想に侵されるようになり、留学2年目の1918年(大正7年)1221日、研修中のシェパード・エノック・ブラット病院において、35歳の同僚のアメリカ人医師ジョージ・B・ウルフ(George B. Wolff)をピストルで射殺するという事件を起こしてしまったのです。このころ石田は被害的な幻聴が盛んで、下宿を頻繁に替えていたようです。また、病院の看護婦長に恋愛感情を抱いたが、ウルフがこの恋愛を妨害していると曲解し、彼を殺害するに至ったと伝えられています。

12審ともに責任能力を認められて死刑判決を受けたのですが、アドルフ・マイヤーの鑑定で終身刑に減刑され、1919年からメリーランド州立刑務所で5年間服役させられるのですが、精神症状の悪化に伴い、1924年に州立精神病院に移送され、1925年(大正14年)には日本に送還されて松沢病院に入院しました。病状が回復したらふたたびアメリカの刑務所に戻ることが前提の帰国だったようです。松沢病院での主治医のひとりに後の東京大学医学部精神科教授の秋元波留夫がいます。秋元は『新撰精神病学』を学生時代に読み、精神医学を志したという経緯があり、よもや自分の進路に影響を与えた石田昇が自分の患者となって出会うことになろうとは夢にも思っていなかったでしょう。

今回の特別講演で聞いた石田昇について、最近親しくなった精神科医のI医師にメールで伝えたところ、以下のような返信がありました。I医師は、精神医学史に精通した方で、おそらく、石田昇についてもより詳細な知識を持っていると見たからです。

 「さて石田昇の事ですが、多くの人がそれについて書いております。近年、元・長崎大精神科教授の中根允文が、ほぼ集大成・決定版的な『長崎医専教授石田昇と精神病学』医学書院、2007 という本を書いており、これを見ればほとんどのことが分かります。また秋元波留夫が、松沢病院時代に石田の主治医となっていたこともあり、それに関連してあちこちに沢山書いております。それらの文献リストも、中根の本の中に収載されておりますので、ご参照ください。石田は、晩年は茫乎として無為自閉を極めて亡くなったようです。客観的には分裂病に如何に精通していても、主観的には自覚的に病識・病感を持ち得なかった典型例でしょうか。もし晩期寛解が彼においてあったとしても、彼の人生を思うなら茫乎とならざるを得なかったのではないでしょうか。石田は、妄想型のようですから、それほど人格荒廃には至らないはずなので、晩年は虚無という狂気を自ら演じていた側面も否定し得ないのではと、愚考しております。」

 下線は私が引いたものですが、それは予想していなかった知見でした。学会期間中にも何人かの医師や臨床心理士と石田について話題にしたのですが、そういう考えは誰からも聞けませんでした。いましばらくは、石田昇について調べてみるつもりです。

 

 このたび「内観療法の可能性を探る」を大会テーマに掲げ、第17回大会を奈良女子大学でお引き受けすることになりました。本学会の大会が古都・奈良の地で開催されるのは初めてのことですが、女子大学での開催も初めてのことになります。

そして、医学部教授、あるいは医師以外の臨床心理学領域の教授(臨床心理士)が大会長を引き受けることもおそらく初めてではないでしょうか。つまり、奈良大会は本学会においては初めて尽くしの大会となるわけですが、これは時代に一つの節目が訪れたことを象徴しているように思われます。

したがって、そうなれば自ずと大会運営やプログラムにもそれが反映されることになりましょう。製薬会社をはじめ医療機器関連の会社からの協賛金なしの大会は、あるいは質素で地味な大会に感じられるかもしれませんが、会員諸氏やご参加いただく方々には、そのことをまずご理解いただきますようお願い申し上げます。

ただし、限られた運営予算ではありますが、内容についてはこれまでに劣らず充実したものにしたいと考えております。具体的には、大会長講演を行わず、詩人の谷川俊太郎氏を講師に招き、特別記念対談を企画しました。また、シンポジウムでは、政治的にはこじれた関係にある隣国(中国と韓国)ですが、学術交流を通して隣国との友好関係を維持増進するために両国からシンポジストを招いて、内観の真髄とされる「罪悪感をめぐる」諸問題について論じ合えればと考えております。

そして、もう一つの特別対談は新旧理事長にご登壇いただいて「これまでの内観、これからの内観」について語っていただく予定です。もとより、学会の命とされる研究成果(一般演題)の募集には力を注ぐことは言うまでもありません。その他、兄弟学会である日本内観学会では、慣習になっている「体験発表」もプログラムに加えてみました。

 2014年10月18日(土)の奈良女子大学佐保会館にて皆様のご来場をお待ちしております。

 詳しくは、第17回日本内観医学会大会のHPをご覧ください。

 

http://homepage3.nifty.com/naikan/nara/

 

17回日本内観医学会大会長 真栄城輝明(奈良女子大学 生活環境科学系教授)

異文化への内観療法の可能性

-東洋的精神療法の国際的広がり-

 

医療法人清潮会三和中央病院 塚﨑 稔

 

〔はじめに〕

 内観療法のルーツは吉本伊信(1916-1988)により開発された内観法に由来する。吉本は浄土真宗系の一派で行われていた「身調べ」を改良し自己観察法としての内観法を開発した。これを医療分野に応用したのが内観療法である。内観療法は、森田療法と同様に我が国独自の精神文化風土の中で醸成されて生まれた精神療法であるが、現代では東アジア、ヨーロッパ文化圏にも内観療法は認知され、国際的にも急速に普及しつつある。

 

〔各国への内観療法の普及と現状〕

ヨーロッパ文化圏においては石井らが普及のきっかけを作り、現在ではオーストリア、ドイツにおいて幾つかの内観研修所が運営されている。1980年新世界内観研修所開設(オーストリア)、1990年ザルツブルク内観研修所開設(オーストリア)1992年ウイーン内観研修所開設(オーストリア)、1987年タルムシュッタット内観研修所開設(ドイツ)、1994年ドレスデン依存症センターに内観療法が導入されている。

北米文化圏では、デイビッド・レイノルズ(オレゴン州)が内観療法を基礎とした「Constructive Living建設的生き方」を提唱。1989年東道内観研究所が開設(ロサンゼルス)。

東アジア文化圏においては、1989年上海市第二医科大学教授、王祖承によって内観療法が中国全土に普及。天津市、天水市、上海市などの大学で普及している。また、韓国では韓国内観協会が作られソウル市を拠点に普及しつつある。

 

〔内観関連国際学会〕

1991年、第1回内観国際会議が東京で開催

1994年、第2回内観国際会議がウイーンで開催

2002年、第12回世界精神医学会(WPA)で内観療法のワークショップが開催

2003年、第1回国際内観療法学会が鳥取大学医学部で開催

2005年、第2回国際内観療法学会が上海精神衛生中心で開催

2006年、国際内観シンポジウムがソウル市で開催

2007年、第1回中国内観学術交流会が中国天水市で開催

2009年1月パリ大学副学長でイオネスク教授が内観療法研究のため来日

2013年、第4回中国内観療法学術大会が中国蘭州市で開催

 

〔内観療法が異文化に受け入れられる要因〕

内観療法は自己観察法を基本とする精神療法で,自分とかかわりの深かった両親をはじめとする重要な人物との過去の体験を内観3項目(していただいたこと,して返したこと,迷惑をかけたこと)という観点に沿って年代順に内省を進めることによって,客観的な視点から自己及び他者との関係を構築し直すことをめざす精神療法である。このように母子関係という幼児期からの人格形成に関わる理論は文化、国籍に関係なく普遍的共通性をもつ要因と思われる。自我拘束からの開放と同時に、文化という社会に拘束された道徳的価値観からの開放も内観療法によって得られ、かくあるべきという規範から開放されて柔軟なものの考え方ができるようになる。

 多文化間精神医学会のシンポジウムについては、前回の本欄に掲載した通りですが、本日は、シンポジストのひとりになっている手塚教授からメールにて抄録原稿が送られてきましたので、ご本人の了解を得て、ここにご紹介したいと思います。

 

慶應義塾大学 手塚千鶴子

 

内観療法は、森田療法とともに、日本生まれの心理療法であり、その文化特殊性の指摘にもかかわらず、近年海外に小規模ながら普及しつつある。内観療法は、欧米各国のみならず、最近では特に中国や韓国など隣国にも積極的に普及しつつあり、つまりは文化普遍性が実証されつつあるといえる。

本発表では、そうした心理療法としての内観療法の海外での普及ではなく、日本の比較的健康な短期留学生たちが体験する、自己内省法としてのミニ内観体験とそれをめぐる多様かつ重層的な学習活動をともなう、「日本人の心理学」や「グローバル時代の日本の心理療法」といった授業のなかでの、4コマほどの短い学びをとりあげる。

海外在住の外国人にとっての内観体験は、おそらくある意味で彼らが予想もつかなかったテーマ、つまり「その人におかけしたご迷惑」「その人からわたしがしていただいたこと」「お返しにわたしがしてさしあげたこと」をみつめることを余儀なくされるという意味では、異文化体験であろう。しかし本発表でとりあげる短期留学生にとっては、より一層の異文化体験である。なぜなら、日本人や文化的背景の異なる多様な留学生が一緒に参加するなかで展開される体験であり、さらには、知識獲得がメインのそれまで彼らがなじんでいた心理学の授業と異なり、左脳の知的側面にくわえ、描画やコラージュなど右脳をも働かせ感性をも使い、ある意味自我関与度のたかい授業であるからだ。どこかでふりまわされることにもなりかねない。しかしそうした異文化体験だからこその利点も一方であるに違いない。

当日は、上記のような問題意識から、1)科目の簡単な解説、2)そのなかでのミニ内観体験をめぐる4コマ程度の授業の内容、特に学習活動の多様性、授業の進め方をふくめた授業紹介と、そこからの学びの実例の紹介、3)Reynolds1980)、村瀬(1996)、三木善彦(1976)らによる、内観の文化特殊性をめぐる若干の考察、4)なぜ短期留学生に学びをもたらすのかの要因の考察、5)留学生に自己実践する際の課題と困難について、さらに、日本人対象の内観の進展をめざし、示唆がえられるなら、それも提示してみたい。

シンポジストの先生方および、フロアの皆さまと、率直かつ活発な議論を展開したい。

201452

 

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