2014年6月アーカイブ

奈良県断酒連合会が42周年を迎えるということで、機関誌(せいりゅう)へのあいさつ文の依頼があり、以下のような拙文を送りましたので、本欄にも掲載しておきます。

 

【はじめに】

 嗜癖の時代といわれて久しくなりますが、アルコール関連の最新のトピックといえば、「アルコール健康障害対策基本法案」が可決されたことでしょう。201311月に衆議院を、2013127日に参議院本会議で可決され、その六か月後に施行されることになりました。とはいうものの、この法案が国民に浸透するには、まだ少し時間がかかりそうです。 

そこで、断酒会に何ができるか、これまで断酒会が培ってきた「組織力」「人間関係力」が期待されているように思われます。

 

【嗜癖問題と家族】

   戦後のわが国の経済成長はめざましく、それに伴って都市部へ人口が集中するようになり、「核家族」が増えていきました。世にいう、消費社会と呼ばれる時代に入っていきました。そして、1990年代の後半になるとネット社会が到来し、「単家族(孤族)」という用語が生まれました。情報化社会は、引きこもっていてもネット・ショッピングで必要なものが手に入るし、ニュースや動画もネットで閲覧し、鑑賞できる時代なのです。消費社会が生み出したのは「アルコール依存症」を代表とする「嗜癖問題」ですが、情報化社会は子どもたちを巻き込んだ「ネット依存症」を出現させることになりました。子どもの「嗜癖問題」で相談に来るのは、決まって親たちであり、それはすなわち「家族問題」と言ってもよいでしょう。

 

【家族考】

 「嗜癖問題」は、「家族問題」だと言いましたが、いったい家族とは何か、考えてみると単純ではないようです。何しろ、先述したようにひとり暮らしを「単家族(孤族)」と呼ぶ時代です。つまり、情報化社会の単家族は、新しい形態の家族というわけですが、私の住む大和郡山市の近所でも一人暮らしの方をよく見かけます。先日も犬の散歩から帰ってきた高齢の女性が犬を置いて散歩に出かけようとするので、「ワンちゃんはどうしました?」と声をかけたところ、「散歩が済んで、家にいます。いつも犬の散歩で会う人がいますが、どういうわけか今朝は見かけなかったので、心配です。いつもの場所へ行って待つことにします。その方がどこに住んでいるか、お名前すら知らないのですが、毎日会っているので、顔を見ないと落ち着かないからです」という言葉が返ってきました。毎朝の愛犬の散歩で会話を交わしているうちに絆を深めたようですが、人は人との関係を通して存在を確認する、ということを改めて痛感させられました。ひとり暮らしのその女性には遠方に息子さんがいるようですが、帰ってくるのは盆と正月くらいで、普段は音沙汰がないというのです。日々の生活では、名前も知らない「犬友」こそ、「家族」以上に心の支えになっているようでした。この国の高齢者は先進国の中でも「別居している子との接触頻度」がかなり低いことで知られています。

 

【高齢社会を迎えて】

 我が国の総人口は2013101日現在、1億2730万人。65歳以上の高齢者人口は過去最高の3190万人であり、総人口に占める65歳以上人口の割合(高齢化率)は過去最高の251%(前年241%)に達したという内閣府の報告があります。

 警視庁の「万引きに関する調査報告書」によれば、高齢者の万引きが増加しており、心理的背景には「孤独(268%)」や「生き甲斐がいがない(8,3%)」など精神的な孤立感が見られるようです。

 件の高齢の女性は、孤立しないために「犬友」を見つけたようですが、そういう例はむしろ少なくて、大半は孤立する傾向にあります。そして、孤立した高齢者のなかには、酒浸りの生活を過ごしている人も少なくありません。

 

【貴会に望むこと】

 さいごに、結成42周年を迎える貴会に望むことを記しておきます。

私が断酒会の方々と接してきて思うことは、会員同士の絆の強さです。名前を知らない「犬友」でさえも「家族」以上に心の支えになることを思えば、断酒人にとっての「断友」は「犬友」の比ではないでしょう。断酒会においては、たとえ単身者であっても孤立することはなく、多くの仲間が家族のように支えている光景を目にします。これを私は「人間関係力」と呼びたいと思います。そこで、長年にわたって断酒会が育んできた「人間関係力」を孤立しがちな一人暮らしの「単家族」の方々に伝えていく方法はないものだろうか、と思う次第です。たとえば、断酒会が学校や地域の活動に積極的にかかわっていくことによって、それが可能になるのではないでしょうか。いま、時代は「人間関係力」を求めているからです。

というわけで、42周年の節目にご一考いただければ幸いです。

15回「東洋思想と心理療法」研究会が駒澤大学の中央講堂にて開催されました。去る67日のことです。私は世話人の中村伸一先生とのご縁で特別講演の講師という大役を仰せつかったので参加してきました。前日から上京し、中村先生所有のゲストハウスに泊めていただき、夜遅くまでミッドナイトセッションで盛り上がりました。中村先生と私は精神科医と臨床心理士という職業の違いはありますがが、同年齢であることはもとより、話してみるとお互いに共通する思い出と人物が次から次と出てきて、改めてご縁の深さを感じたという次第です。私の出番は午後からになっていましたが、午前の教育講演から最後のシンポジウムまでしっかりと聞いてきました。尊敬する西園昌久先生は、御年86歳をお迎えのようですが、相変わらずシャープで適切なコメントを随所で発せられ、それだけでも参加した意義を感じました。

 研究会の4日後に、ご丁寧なメールが事務局長の岡部健先生より送られてきましたので、ご本人の了解を得て本欄に掲載させていただくことにしました。

 

真栄城輝明先生    

 拝啓 

この度はご多忙の折、またご遠方にもかかわらず、当研究会の特別講演のご講義を賜り、

世話人一同深く感謝申し上げます。また、十分なお礼もできませず、失礼の段お許しいただきたく存じます。

 特別講演では、パワーポイントの資料に加え、音声によるリアルな内観者の肉声を聴き

なまなましい感情が伝わり、とても印象深い講演となりました。

「正直に語る」こと、そして忘れている過去を思い出すことで、「人生の過程を発見的に振り返り、それを基に現在の生活を幸せに感じて歩むことを援助すること」、という先生のいう内観の定義を体験的に学ぶことができました。

 私は、先生のお話から「愛」があってこそ、「罪」や「恥」を認められる、「正直に話せる」ということかな、と教わったように思います。

 また、中国と日本の違いの話や中国で内観療法が保険点数に加わった話もとても興味深いものでした。その後のアンケートからも、先生の講演から「学ぶことが多かった」と大変ご好評をいただいております。 ほんとうに素晴らしいご講演をありがとうございました。

 簡単ではございますが、お礼のご挨拶とさせていただきます。 

敬具

 

「東洋思想と心理療法」研究会 事務局長 岡部健 

陶山 真里奈

(奈良女子大学大学院博士前期課程M1)

 

 2014/5/31の午前10時から午後6時まで表題のテーマの集中授業を休憩なしにぶっ通しで受けた。昼食中もビデオを鑑賞しながらであったが、疲れるどころかすっきりしたし、あっという間の8時間であった。その感想の一部を抜粋して以下に述べる。

 まず『悪魔の囁き』というビデオを鑑賞した。外国の(フランスの)精神分析がどういうものかについて触れることが出来た。長椅子に患者が寝そべって思いつくことを全て話すというスタイルをとっていた。ビデオの中の精神分析は、自由連想法というより悩み相談に近いような印象を受けた。主人公の精神分析医自身があまりやる気の無いような印象だったからだと思う。患者は自分の話したいことを話し、分析医はその話を文字通り"聴く"だけだった。信頼関係が出来てくれば(分析医に慣れてくれば)核心に迫る話を患者からしてくれるかもしれないが、本当に"聴く"というあの態度だけで患者が良い方向に向かうのか疑問に思った。相槌や関心を持った質問が主人公から出てくることが無かったからだ。真栄城先生が授業中に「カウンセリングには愛情が必要」とおっしゃっていたように、彼には愛情が感じられなかった。精神分析後に主人公が患者に対して何らかの解釈をする描写があればまた印象は別だったかもしれないが、あの主人公がそこまで患者のことを考えているとは思えない。この話は、主人公がギュンターを通し自分の本当の姿を認め生きていくストーリーだが、教訓としてクライエントはカウンセラー(自分)の鏡であるということを忘れてはいけないと思った。カウンセリングがうまくいかないときは、一度立ち止まってクライエントと自分を振り返る機会を設けるべきだと思った。

 次に『内観療法』のビデオを鑑賞した。内観療法を受けて帰っていくクライエントの気持ちや感情が整理され、彼らが帰宅する頃には来た時よりも前向きになって帰っていくのが微笑ましかった。途中で15歳の少女が抜け出したシーンがあったが、抜け出したくなるほど自分や家族と向き合わなければならないということを表している。人間はどうして自分を見つめ、過去と向き合うことが怖いと感じるのだろうか。それはきっと、様々な事柄を思い出しそれに伴う感情に押し潰されてしまうからだろう。そういう人ほど内観療法は効果を発揮すると思った。なぜなら、1週間という時間設定は、少しずつ自分の内面と向き合うことができ、少しずつアウトプットしていくことが出来るからだ。1週間という期限はすごく考えられた期限だと思う。

 

 日本には昔からアニミズム(自然信仰)という考えがあり、内観療法が畳、屏風を利用するのもアニミズムに通じるからだと思う。自然に敬意を払い山や岩や木を御神体として神を祀り自然に感謝をすることが、目に見えないものを大切にするという思い遣りにつながるのだと思う。現代日本人のストレスは自然と触れ合う機会が減り、他を思い遣る機会が減っていることから来るのかもしれない。内観をしている最中に発生する自然からの囁きが内観療法を手伝ってくれるのは、自分たちも自然の中の一部であり生死について考えるきっかけになると思う。

 集中授業前から少し「寂しさ」を感じておりすっきりさせたいと思っていたので、被験者に立候補した。もちろん、真栄城先生や他のみんなも顔見知りで、内にあるものを出してもよいという安心感があったから出来たことだと思う。思いつく単語を言葉にしていく内に、映像としてたくさんの場面が浮きあがってきた。単語が「お父さん」「おじいちゃん」と核心に触れた瞬間、涙が溢れ「おじいちゃんに会いたい」と言葉にすることで次々溢れ出てくるものを止めずに話すことが出来た。「おじいちゃん」の言葉の次に「会いたい」という気持ちが沸き上がり、「会いたい」と言葉に出来た。自分でも意識はあるため、「会いたい」という言葉を言わないという選択も恐らく出来たと思うが、閉じ込めてしまうとシコリになることが頭でも感覚としても分かっていたので、言葉にすることにした。一旦言葉にすると感情が溢れ、それに付随する言葉を口にすることが出来た。カウンセリングはやはり他人の力が必要で、スーパーバイザーの必要性も納得できた。その後に内観療法を体験した。内観をしている最中も涙が止まらなかったが、和室に居ることで少し温かさを感じることが出来た。内観を体験して、畳と屏風は日本人に適していると思えた。畳と屏風にはどこか温かみがあり、屏風は必要であればすぐに開けることが出来るという人とのつながり、安心感を覚えることができた。①してもらったこと、②して返したこと、③迷惑をかけたことの3点を思い返すが、②のして返したことを思い出せなかった。だがこの感覚はどんな人でも多かれ少なかれ持っていると思う。なぜなら、特に自分が大学に行くようになってからお金が現実的なものとなり、お金の工面がいかに難しいことかが分かるからだ。だがこの感覚があるからこそ、自分が結婚して子どもが生まれたときに、子どもに同じようにしてあげられるのだろう。

 最後に、座談会をして授業を終えた。座談会は内観後現実に戻るために行うと真栄城先生がおっしゃっていたが、まさしくその通りだと思った。泣いた後はプールからあがった後の感覚に近く、頭、顔、胸が熱くぼーっとしている。感覚遮断の世界から感覚を取り戻すことだけでなく、涙の後の火照った身体をクールダウンさせる意味もあると思う。いろんなことをフィードバックすることで、今度は主観よりも客観的に自分を見ることができ、それが現実世界に引き戻してくれるのだろう。

 4月から奈良で一人暮らしをしている。この1年間母親、猫、近くに住んでいる祖母と共に暮らしたことで、奈良の生活に慣れてきた今頃に少し寂しくなってきたのだろう。恋人もいないため誰かに甘えたい気持ちを昇華できずにいたときに、祖父の温かさを思い出しその温かさを欲しくなったのだと思う。ともすればそれは、父親の愛情を求めることにもつながっているのだろう。この何日間の寂しさを思い出してみたが、何となく満たされない感覚が欲求不満に通じる感覚があると思う。

全体を通しての感想だが、母親の愛情、父親の愛情がいかに人間にとって重要であるかを実感出来る授業だった。家族というのは、やはり自分自身の一部なのだと痛感する。これから自分が出会うクライエントには、愛情を持って接していこうと思える授業だった。201463

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