2014年12月アーカイブ

高須万智

子ども臨床学コース 3回生

 

◎これまでの授業の感想

子育てというテーマということもあって、女性のライフスタイルを考える機会がとても多かったように感じます。子どもが出来ても働いていたいか、専業主婦をつとめるか、という点については多くの人たちが考え悩んだのではないでしょうか。

私自身は、子どもが小学生までのうちは、「おかえり」と言って家で待っていたい思いも強かったので、しばらくの間は専業主婦でいてもいいかなと漠然と考えていました。

 それでもこうしてみんなの様々な意見を聞くと、専業主婦に対してネガティブなイメージを持っていることも多かったりして、改めて自分の将来のことをまた考えるようになりました。そもそも夫だけの収入で充分な家族生活を送っていけるほどの稼ぎがある男性がこのご時世どのくらいいるのか、もしも離婚してしまった場合、子どもを自分の持つお金だけで不自由なく育てることができるのか、などずいぶん現実的でシビアなことまで考えられるテーマであることにも気付きました。しかしこうして多く考えたのですが、結局、それでもきっと私は家族を持ったら、自分より子どもの生活を優先して考えていくんだろうなという根本的な自分の価値観に気付きました。これこそ人それぞれの感覚であるのではないかなと思いますが。

でもそこには正しさも間違いもないように思います。人にはさまざまなライフスタイルもあるのだから、そこにあるライフイベントの捉え方も人それぞれ。

その多様性をこの授業では知ることができているのだなと、たくさん考えて原点に戻ってこのことを感じました。

 

◎短歌

〈子育て観〉

望むなら 眉間のしわより 笑いじわ 増えてくような 家族になりたい

休日は 家に子どもが また増える ダラダラしないで ナマケモノ父

休日は 子どもと父親 外に出し 家でまったり ナマケモノ母

帰宅した 途端に父子は ナマケモノ そこで一撃 母は強し

〈結婚観〉

一時の 気の迷いとは 言わせない 夫選びは 計算高く

これからの 人生共に 歩むなら 愛し愛され 出来る相手を

〈死生観〉

他ではない 自分のために ある命 どうせならもう 楽しまなくては

内観療法の作用機序の検討

―内観にならなかったと実感している内観者へのインタビュー調査を通して―

 

         ○森下 文1)  真栄城輝明2)

        1)奈良女子大学人間文化研究科博士後期課程 2)奈良女子大学教授

 

Ⅰ問題と目的

 集中内観は精神医学・心理臨床・教育・矯正分野等に導入され,その有効性は広く社会的に認知されてきている。このような集中内観の広がりの背景には、内観者自身が内観効果を実感し、その実感を周囲に語ることでの宣伝効果に依るところも大きい。内観者の多くは内観の有効性を実感して集中内観を終える。しかし"内観にならなかった"や"内観の有効性が理解できなかった"として、集中内観に対する不全感を抱えたまま内観を終了する者も存在する。また、内観に対する抵抗が強く、途中で集中内観を中断する者も少数ではあるが存在する。これまで集中内観の有効性に関する先行研究は数多く行われているが、集中内観の中断者や困難者の特徴に関する研究は長島ら1)2)によって行なわれている程度である。長島らによる研究は、集中内観中断者を減らす目的で、統計的手法や単一事例の検討を通して内観者の困難要因を明らかにするというものである。本研究の目的は、"内観にならなかった"という感想を持つ、いわゆる内観抵抗例における集中内観中の心理的変遷過程を明らかにすることにある。そのため対象となる内観者に直接インタビュー調査を行い、彼らの発話分析を通して内観者の心理的変遷過程と内観への抵抗との関係を仮説モデルで提示し、考察を加えた。

Ⅱ方法

2014年1月~12大和内観研修所における集中内観参加者の中で事前に調査協力依頼に応じた方の中で"内観にならなかった"という実感を持つ内観者9名(女性5名、男性4名)を調査対象とした。面接時に改めて本研究の背景と趣旨,倫理的配慮について説明を行い,全て了解・同意を得た。「集中内観に参加する経緯や、内観中の心境の変化について語ってください」と教示し、話の流れを重視し,自由に話してもらうことを意識した。調査協力者の自発的な語りを一通り聞いた後、語られなかった調査内容について質問した。面接時間は1時間から2時間半に及んだ(平均1時間20分)面接内容は,本人の了解を得てすべて録音し、その逐語記録を修正版グランデット・セオリー・アプローチ(以下、M-GTA:木下2003)を用いて分析を行った。M-GTAはデータを切片化するのではなく、データに表現されている文脈を重視する立場をとり、研究対象とする現象がプロセス的性質を備えている場合に適するとされる。本調査で語られた豊富なエピソードに基づき、内観者の心理的変遷を解明する目的から、M-GTAが本研究に適していると考えられる。分析テーマを「内観に抵抗を示す内観者の心理的変遷変化過程」と設定した。最も情報量が豊富な内観者のデータから分析を着手、「内観への抵抗」という心理的意味を重視し「概念」を形成した。概念を分析ワークシートにまとめ,2例目以降は1例目の概念との類似点,対極例について比較検討を行いながら,新たな概念を生成していった。次に概念間の関係性を吟味して複数の概念からなるカテゴリーを生成した。最後にカテゴリー相互の関係や時系列にそって分析結果をまとめ、得られた結果を仮説モデルとして示す。

 

Ⅲ結果と考察

 内観者の発話データをから「内観に抵抗を示す内観者の心理的変遷過程」として【内観に馴染めない】⇒【内観できない焦り】⇒【内観に対する葛藤】⇒【最後まで頑張る】⇒【自分を納得させる】が示された。このような内観者の心理的変遷への影響要因として【内観者自身の要因】【面接者との相互関係】【内観の特殊な実施構造】という3要因が抽出された。【内観者自身の要因】は「全く思い出せない」「内観への疑念」「時系列があいまい」「相手の視点に立つことへ腹立ち」などの概念から構成された。【面接者との相互関係】では「面接者への過剰な意識」「もっと聞いて欲しい」「責められている」など、【内観の特殊な実施構造】では「作法に対する違和感」「部屋の雰囲気」「同室の内観者の存在」「間が持たない」などの概念が抽出された。内観者の「内観への抵抗感」は3要因が複雑に絡みあっているが、特に【内観者自身の要因】からの影響が大きいことが示された。内観者は、自分の「内観への抵抗」を面接者や内観環境の要因に転嫁して考える傾向が示唆された。また、内観がうまくいかないことに対して内観者が自責的になる傾向も示された。詳細は当日の発表に譲るが、インンタビュー調査を通して、内観者自身がうまくいかなかった内観に対する想いを言語化し、自分の内観を見つめ直すことで、調査対象者9人全員が再度内観したいという思いを語るようになったことを付記する。

 

Ⅳ参考文献

1)長島美稚子 長島正博;中断者を減少させる一工夫 内観研究1273792006

2)長島美稚子 長島正博:集中内観における困難者の特徴―アンケート調査対象    

者における検討― 内観研究1445572008

3)木下康仁:グランデッド・セオリー・アプローチの実践,弘文堂,2003

  表題の授業において冬休みの課題を与えたところ、早速、レポートが送られてきました。ご本人の了解をもらって本欄に掲載することにします。

西本沙代

(文学部人間科学科3回生)

 

これまでの授業を振り返っての感想

 講義名に「子育て」とあるので、授業を受けるまでは主に子育てに直結するお話を聞くものだと、漠然と考えていた。しかし実際、「子育て」とはそれ単体で考えられるものでは決してなく、ひとりの人間の考え方や価値観、ライフスタイルと切り離すことのできない話題であるということを、これまでの授業を通して感じた。「子育て」は、遠い未来の時間軸にぽつんと存在しているのではなく、今まさに自分の頭の大部分を占めている就活を越えたその先にある卒業後の生活、そこに仕事や結婚といういくつもの要素と重なり合って存在しているのだと思った。このように捉え方が変わると、まだまだ先のことのように考えていた「子育て」が、急に現実味を帯びて迫ってくるような感覚になった。

 短歌・川柳の課題とも関連して感じたことは、「死生観」や「結婚観」「子育て観」など自分たちの生活や人生と深く関わり一生ついてまわる事柄であるのに、それらについて改まって必要な知識を教えてもらったり人と意見を交換するという機会が、あまりないことが不思議に思えた。特に「子育て」について、自分が親に育ててもらって体験してきたことを、先生の臨床経験による知見と絡めて説明してもらえるので興味深いし、いつか自分が親になるときまでしっかり心に刻んでおこうと思う。

 また、授業で他の受講者の方のさまざまな意見に触れることができるのは、良い刺激になるし本当に勉強になる。ライフスタイルに関するいろいろな話題について、日常で友達の意見を聞いたりすることは滅多にないので、授業を通してそれができることは有意義だし、自分の考えを言語化することで、自分自身の考え方の再確認や意見の整理にも繋がると感じている。就活セミナーなどで行うものとはまた違った方向から自分の将来を考える機会になるので、残りの授業でもさらに考えを深めていきたい。

 

 

「死生観」「結婚観」「子育て観」についての短歌・川柳

・「死生観」

 いつの日か 閻魔の裁き 受けるまで 我が身律して 一挙一動

(死後の世界の地獄では、閻魔が浄玻璃の鏡に亡者の生前の姿を映し出して亡者の善悪を見極めるという。いつかそんな日がくるまで、身の振る舞いには気をつけて暮らしたい。)

 

我が為に親しき顔の 集えども 挨拶交わす ことは叶わず

(葬式の場面を思い浮かべて。自分のために親しい人たちが集まってくれるけれど、当の自分はこの世にはおらず、挨拶すらもうできない。元気に生きているうちに、会いたい人にはたくさん会っておきたい。)

 

・「結婚観」

婚前に老後のことまで 決めるのか あすの予定も 立てられぬのに

(目先の予定ですら上手に立てられないのに、ましてや何十年も先のことなど一体どうやって決めるのか...という疑問と不安を込めて。)

 

結婚の予定もないのに ブランドの ドレスのカタログ 目が肥えてゆく

(結婚の予定があるわけでもないのに、母が仕事柄持ち帰ってくるブランドのウエディングドレスのカタログを眺めながら、「このデザインいいなあ」などと勝手に選り好みする自分。いろいろな取り決めをしなければならないことを知り、結婚は面倒なことが多そう、大変そう...と思いつつも、こういうきらびやかな面には興味を示してしまう。)

 

・「子育て観」

 子は鏡 親を如実に 映し出す

(子どもにとって最も身近な存在である親は一番の手本であり、子どもをしつけるにも、まずは親としての自分自身の行動や言動を見つめ直さなければならない。)

 

寒空に息はずませて 漕ぐペダル 赤いほっぺの 笑顔がみっつ

(冷たい空気に頬が赤くなるような冬の日に、前とうしろに子どもを乗せて母親が自転車を漕いでいる光景。私もそんなパワフルな母親になりたい...私と妹を乗せて出かけていた母を思い返しつつ。)

Ⅰ まえがき

 編集部より原稿執筆の依頼状が送られてきた。その中に同封された企画趣旨によれば、本特集は4部構成になっており、筆者の分担は第Ⅲ部に掲載されるという。そこでは精神分析を筆頭に10の学派が登場するらしく、編者の言葉によれば「精神療法家としてその道を極められた方々に、到達された現在の精神療法家の姿を描き出す」ことが求められているようである。ところが、いまだ道半ばの筆者には編者の期待に応える自信はない。筆者としてはせいぜい自らの心理臨床との出合いを振り返りつつ、内観療法との出合いから現在までについて述べることしかできない。それが果たして編者の意向に沿った「私の精神療法」になるのだろうか?

Ⅱ 心理臨床との出合い

 筆者と内観療法の出合いを語る前に心理臨床との出合いから語ろうと思う。

高校2年の夏休みのことである。ラジオのスイッチを入れたところ「テレホン人生相談」という番組が流れてきた。人間関係について相談してきた相談者に対して、一方的な助言を与えるのではなく、相手にも考えさせながら問答する心理学者の応対の仕方が強く印象に残った。そのとき初めて人の悩みを解決する職業がこの世にあることを知った。2学期早々に進路相談があったので、「将来は、ラジオの回答者のような心理学を専門とするカウンセラーになりたい」と担任(女教師)に話したところ一笑に付されてしまった。

「ラジオのカウンセラーは、特別な人で誰もがなれるわけではないのよ。私も大学では心理学を専攻したけど、心理学では就職するところがなかったので教師になったのよ」と諭すように言われた。確かに、当時、筆者が生まれ育った沖縄にはカウンセラーと称する職業は聞いたことがなかった。少なくとも筆者の周囲にはいなかった。それはラジオの世界にしかいなかったので、買ったばかりのオープンリール式テープレコーダーにその番組を録音してテープが擦り切れるまで繰り返し聞いた。何度も聞いているうちに歯切れの良い東京弁に惹かれて、上京することにした。大学での専攻は迷いなく心理学科を選択した。詳細は省くが、縁があって学部の1年生のときから都内の某精神病院の閉鎖病棟にも出入りさせてもらうようになった。そして、大学の授業がないときはほとんど精神病棟の中で患者さんと他愛もない話をしたり、トランプやオセロなどをして過ごした。精神病を理解するには学部で学んだだけでは物足らなくて大学院へ進学した。卒業後は病院臨床の仕事に就きたいと思っていたので、医学部の精神医学教室の研究員になった。と同時に、精神病院の常勤心理士として勤めることになった。そこでの臨床経験をもとに数年後には、心理臨床学会にて発表する機会を得た。テーマは「38歳の抵抗」と題して女性のケースとの心理療法過程を報告した。会場には、100人前後の参加者が来てくれたが、大半は女性の臨床心理士であった。質疑応答の時間になったとき、女性陣から厳しい質問が発せられ、それに応えることができず、ほとんど立往生の状態で、冷汗が背中を流れた。若い男性に中年を迎えた女性の心理がわかるはずはない、といった論調の質問が続いたとき、一人のベテランの臨床心理士(女性)がマイクをとって、筆者の代わりにそれらの質問に答えてくれたのである。全く面識のない方だったが、声を聴いてびっくりしてしまった。高校生の時、何度も聞いていたので耳がおぼえていた。そう、例の「テレホン人生相談」の回答者だったのである。その日、発表後に夕食までご一緒いただいただけでなく、帰宅後しばらくして、ご著書が贈られてきて望外の喜びをかみしめつつ、ご縁の不思議さを痛感することになる。以来、人間関係における「つながり(縁)」に関心を持つようになった。

セックス依存症で苦悩しているある男性のクライエントの方から以下のようなメールが届きました。「暇に任せていつものようにネットを浮遊していたら、自分の気持ちを代弁する文章に出くわしましたので、先生にも読んでもらいたくてお送りします。」と言って、以下のようなマザーテレサの言葉をもじった文章を送ってきました。

 

「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。

 言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。

 行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。

  習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。

  性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから」

これはマザーテレサのことばですが、僕に当てはめると

「エロいこと考えるの気をつけなさい、いつかエロいこと言うから。

  エロいこと言うの気をつけなさい、いつかエロいことするから。

  エロいことするのは気をつけなさい、いつかエロが習慣になるから。

  エロい習慣に気をつけなさい、いつかエロい性格になるから。

  エロい性格に気をつけなさい、人生すべてエロになるから」

 全くその通りだと思います。これまでの僕の人生はすべてエロになってしまっていた。内観を体験し、自分を見つめるようになったら僕にぴったりのこの言葉に出会いました。この文章をセックス依存症で苦しんでいる仲間にも読んでもらいたいので、ブログで紹介してください。

 

嗜癖青年より

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