2015年6月アーカイブ

内観療法における内観面接士の役割

The Role of Naikan Interviewers in Naikan Therapy

 

真栄城輝明

Maeshiro Teruaki

(佛教大学Bukkyo University・大和内観研修所Yamatonaikan Institute

 

 Ⅰ はじめに

企画者より依頼されたタイトルは、「内観療法における治療者の役割」であった。それを表題のように「治療者」を「内観面接士」(それについては後述する)に変えさせてもらった。本当は「内観療法」も「内観」に変えたかったのであるが、今回はそのままにしておいた。

内観の世界では「内観法」と「内観療法」の二通りの呼称が使われてきた。歴史の順で言えば、1941年のころであるが、精神修養法としての「内観法」という言葉が先に生まれている。「内観療法」という呼び名は、それから37年後の1978年に内観学会(1982年に日本内観学会に改称)が設立されて以後、頻繁に登場するようになった(それ以前にも使われてはいたが・・)。それは内観が精神療法(以後、サイコセラピーと称する)として臨床場面に導入されるようになり、研究成果が次々と発表されるようになったからである。精神医学や心身医学と共に臨床心理学が世の中で知られるようになってくると、内観もサイコセラピーとして期待されるようになる。

ここで言葉の正確さにこだわるならば、内観とは、「内観法」と「内観療法」の両者を含んだ呼び名である。今回はしかし、本誌の読者を考慮してタイトルでは、「内観療法」としたが、「内観」としたほうが本文の内容にはふさわしかったかもしれない。

というのも、「内観療法」というとどうしても「治療」が目的となるが、「内観」は「内観法」を含むものなので病気だけを対象にするのではなく、人が生きるうえで直面する迷いや悩みをも対象にするからである。したがって、内観面接士は「治療者」にとどまらず、それを超える役割を担うことになる。別言すれば、単に「病」だけでなく「病んでいる個人」を視野に入れたうえで、「個人を超えた自然」にまで視点を拡げているからである。

奈良県断酒連合会43周年記念誌・せいりゅう

 

「今」を生きる

 

真栄城輝明

(佛教大学・大和内観研修所)

 

 毎年のように記念大会を開催している奈良県断酒連合会が、今年は43周年を迎えるというので、記念誌への寄稿依頼がありました。そこで、今回は表題のテーマで祝辞代わりの一文を認めることにしました。このタイトルは、各地の断酒会が好んで掲げるテーマでもあります。たとえば、去る524日に愛知県の小牧断酒会(河村一則会長)が10周年を迎えて記念大会を開催した際にも同じようなテーマが掲げられていました。参加者300余名のなかには奈良県断酒連合会からも遠路をいとわず濱田剛さん夫婦が出席していましたが、全国各地から集まった仲間たちと歓談し、交流する姿が目に入ってきました。                                                                         

 ところで、今回、断酒会が好む「今」という字に魅せられて白川静の著した「字通」で調べてみたところ、以下のように記されていました。もともとは象形の字で、壺などの蓋栓の形を表現したもので、酒壺に蓋栓を施した形を表したものだというのです。それを「あん」(今の下に西という字を加えたもの)と読んでいたようです。そして、面白いと思ったのは、「飲」という字の原形は「今の下に西を書いてその右横に欠」を加えてできた文字だというのです。従って、「今」という字は「あん」に作り(欠)を入れて「飲酒」の意味になるらしい。ということは、「飲酒」と「今」は思わぬところで深いつながりを持っていたことになります。なるほど、断酒会の記念大会に「今」が登場するわけはそのせいだったのか、とひとり合点をしてしまいました。さらに辞書を読んでいくと「今」という漢字は、本来は「』(シュウ)と読んでいたことが分かりました。「人」という字の下に下線が引いてあり、人が何かの上に立っている姿を表しているとのこと。

そして、「今」という漢字には『集合、集める、集まる、合う』などの意味も含まれていると言うのです。そうなると、断酒会などのように人が集まるところこそ「今」ということになります。考えてみますと、「わたし」という意識は「今ここ」にしか存在できません。未来にアクセスするのも過去にアクセスするのも「今」なしでは不可能なことなのです。全てが「今」の上に成り立っているというわけです。つまり、この全宇宙には「今」しかないということになります。だから、昔の人たちは『全てが今ここにある』ということを漢字に託し残してくれたというのです。先人に深く首を垂れてその意味を味わいたいものだと思いました。

このように考えていくと、奈良断酒連合会が43年を迎える「今」は、断酒会を立ち上げてくれた先人たちの努力と精進のお蔭であり、まずはそのことに感謝しなければならないでしょう。そして、先人から受け継いだ断酒のタスキを未来の仲間たちにつないでいくことこそ「今」の会員に課せられた大きな責務だと思われます。さらに言いますと、断酒人がモットーにしている「一日断酒」は、「今という瞬間の積み重ね」の結果として成就されることになりましょうか。それこそ「今」を生きることの意義はそこにあります。

さいごになってしまいましたが、貴会のさらなるご発展を祈りつつ、43周年の節目にあたって心よりお祝い申し上げます。

 

 

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