2016年5月アーカイブ

奈良県断酒連合会が44周年を迎えるにあたって、記念誌(せいりゅう)への挨拶文の依頼があり、それに応えて以下の挨拶文を認めましたので、本欄にも掲載することにします。

 

【はじめに】

つい先日の5月22日のことです。

愛知県春日井断酒会が40周年を迎え記念大会を開催するというので出席してきました。

表題は、その時の記念講演の演題でした。飲酒時代はもとより、断酒してからも生きづらさを抱える断酒人が少なくないとみた講師がそれをテーマにしたようです。

貴会の中にも生きづらさを抱えている方がいるかもしれないので、祝辞の代わりに講演の内容から私の独断で一部を抜粋して紹介しようと思います。

 

【生老病死】

講師によれば、これは仏教語であり、人間が生きていくうえで、避けることのできない四種の苦悩を記したものだ、というのです。当日の記念大会の会場には、主催者発表によりますと372名の参加者がいたようですが、ひとりの青年が講師控室にきて発した言葉が印象に残りました。

「老病死はともかく、なんで生きることが苦だというのですか?しかも、なぜ生が真っ先に来るんですか?」

若いとはいえ、青年は身近にいる祖父母や親せきの老人たちを通して「老」が「病」を伴って、「死」を連れてくる場面に遭遇したこともあり、それが苦悩だということはよく知っているようでした。

けれど、若さの真っただ中にいる青年にしたら生きていることは楽しいことが多いので、なぜそれが苦悩なのか、疑問だというのです。なるほど、青年の率直な言葉はすがすがしいほどでした。

【生きることがなぜ苦なのか】

「人生は不条理である」

講師はそう言って、いくつかの例を挙げました。「どんなに養生に努めても人は病にもなるし、交通規則をしっかり守っていても交通事故にあう人がいます。また、真面目にコツコツ生きている人よりも悪行を尽くしながらも地位や財産を築く人がいます。正義が負けて悪人が勝ち組でのさばることもよくあります。このような不条理な世界を私たちは生きているのです。この不条理こそ苦そのものです。この世に生まれたことが苦以外の何ものでもないと悟ったとき、『生老病死』という言葉が生まれました。」

青年がどこまで納得したかは不明ですが、講師のことばに頷いて見せていました。

 

【生きづらさからの解放】

この世がストレス社会と呼ばれて久しい。ストレスや不安を抱えていると生きづらくなります。では、それを解き放つにはいったい、どうすれば良いのでしょうか?

「外的状況が困難に思えたら、それを物理的に変えようとするのではなく、まず、自分の内側の世界を調べるようになりました。ストレスや不安、惨めさを感じたら、内側に入って、その感情と向き合いました。気持ちが落ち着き、自分の中心を感じられるまで、一人で座ったり、自然の中を歩いたり、音楽を聴いたりするのです。そうすると、外側の世界も変わり始めて、何もしなくても障害物が消えていくことに気づきました。」

講演の中で紹介されたこの一文は、末期ガンであの世まで行ったが、奇跡的に生還したアメリカ人の女性・アニータ・ムアジャーニさんが著した本(臨死体験が教えてくれたこと)から引用されたようでした。

講師曰く、「アルコール依存症の病的酩酊(複雑酩酊)の世界は、ブラックアウトがつきものなので、ある意味、臨死体験に近いかもしれません。実際、ある男性は離脱期に幻覚妄想が出現したので保護室に隔離しましたが、そこで亡くなったはずの母親に電話をかけて話していました。その時、彼はこの世ではなくあの世に踏み込んでいたように思います。」

ところで、そのアニータさんは、臨死体験後にこれまでと生き方が変わったそうです。どのように変わったかと言いますと、「かつては多くの友人がいて、社交的でしたが、今は臨死体験のグループを通じて出会った少数の人たちと親しくしています。昔の友人たちと親しくするのはむつかしいと感じるようになったからです。」

同じ体験をした人たちとの交流は、お互いに癒し癒される関係が築ける、というのです。これはまさに断酒人の心境ではないでしょうか。

 

【まとめ】

 講演を簡単にまとめると、次のような内容だったと記憶しています。

①同じ体験(たとえば酒害体験)をした仲間と交流し、かつての飲酒時代の友人とは、一定の距離を保って付き合うこと。

②困難に直面したとき、外の世界を変えようとするのではなく、自分の内面世界に目を向けて、自分自身の感情をしっかり見つめること。その為に、内観は有効なので、一度は集中内観を体験すること。

③集中内観の結果、相手の立場に立って物事を見ることができるようになり、人間関係において最も重要で大切なものとされている「共感性」が養われよう。

 

【さいごに】

今回もまた、さいごになってしまいましたが、貴会が44周年を迎えられたことに対して、心からお祝い申し上げます

そして、記念大会の盛会をお祈り申し上げます。さらに、この節目にあたって、貴会の益々のご発展を祈りつつ、生きづらさから解放されるために会員諸氏がそれぞれにご精進されますことを願っております。

【まえがき】

 本紙は、先に講演集として発刊された「家族関係の不思議」の復刻版である。

 それなのになぜタイトルを変えたかというと、一本の講演が追加されたからである。それは、新しく着任した佛教大学が関係しているという華頂幼稚園の「子育て講演会」に招かれて講演したものであり、演題は「子どもの心に耳をすませば-心理臨床の視点から-」であった。

 ところで、不精な私は、これまで自分の講演を記録に残すという発想がなく、今回、華頂幼稚園のほうで録音してくれただけでなく、ご丁寧にもそのテープを起こしたうえで、講演録まで作ってくれたのである。せっかくの記録なので、先の講演集に追加させてもらったという次第である。

考えてみれば、先の講演集もまた招いてくれた断酒会や立命館の大学院生らが講演を録音してくれたうえで、テープ起こしという煩雑な仕事までして記録を作ってくれたおかげで陽の目を見ることができた冊子である。

したがって、今回の作品もまた自分自身が産んだという実感はない。産んでもらったというのが正直な気持ちなのだ。つまり、世の中の父親たちが我が子に接して抱く心境と同じだと言ってよいだろう。

そうはいっても、活字になった本紙についての責任は、私にあることは間違いない。これはちょうど誕生した子どもを自分の子として認知した以上は、育てていく責任が父親にはあるのと同じ理由からでもある。もとより、育てるのは単なる義務感だけではなく、愛着があるからである。

 前回の講演集は、第2刷りが発行されているが、本紙はそれを越えて読者に愛されてほしい。子どもが愛情を受けて、たくましく育っていくように本紙もまた、読者の愛情によって、大空に翼を広げて飛び立つことができるからである。

 ところで、今この序文を書いている最中に、2016414()21:26頃に発生した熊本地震の被災状況が刻々と報じられている。テレビでは、益子町の倒壊住宅の現場では、生き埋めになっていた生後 8ケ月の女の子の赤ちゃんが救助隊員に救出される場面が映し出されている。小さな命が大切に育まれることを祈りたい。JNNの報道によれば、現段階の熊本地方では9万人が避難し、41人の死者が確認されているという。亡くなられた方々のご冥福を祈りつつ、震災にあわれたすべての方々の救出と被災地の復興を心よりお祈り申し上げます。

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