内観療法

真栄城輝明

(佛教大学・大和内観研修所)

【はじめに】

編集部から「テーマに関する主要人物,歴史的事実,セラピーの対象および目的などをご紹介願います。」という依頼があったので,紙面の許す範囲でそれに応えることにする。

 

【創始者は吉本伊信】

心理療法に限ったことではないが,新しい技法が生まれるとき,そこに創始者と呼ばれる主要な人物が存在する。内観の場合は,吉本伊信(1916-1988)である。吉本は,大正5(1916)年5月25日に5人兄妹の三男として奈良県大和郡山市にて生れている。のちに僧侶の資格を取得してはいるが,市井の人であり,医学や心理学とは無縁の一民間人であった。奈良県内で最も古い歴史を持つ,県立郡山中学校,いわば第一中等学校に入学しているが,中学2年生の時,肥料商を営んでいた父親の強い勧めに従って農業学校に転校している。けれども,家業の肥料商を継ぐ意思はなく,20歳のとき,実家の2階にて書道教室を開いているが,求道心に導かれるままに,精神修養法としての身調べに情熱を注ぐようになる。伊信の求道心は,妻となったキヌ子夫人の母で子どもの頃は兄嫁の義姉として付き合いがあった森川リウの影響を強く受けたようである。のちに義母となるその森川リウは,内観三昧の生活を送った人として知られ,内観を通して気付いた事柄を大学ノートに書きつけていた。死後にそれが見つかって,内観界では「道のうた」としてよく知られている。それだけでなく,母・ユキエの存在も大きかった。当時は,現代と比べて乳幼児の死亡率が高く,吉本家も例外ではなく,3歳になった一人娘のチエ子が夭折している。大正13年5月12日のことである。その前日の5月11日に弟が生まれている。伊信少年が小学校2年生になった年である。可愛い盛りの娘を亡くした母親は悲しみに打ちひしがれて,毎日のようにお寺に参っていたが,母は息子の伊信を伴って求道,聞法,読経勤行に打ち込んだようだ。その母の姿を伊信少年は傍らで見て育っている。この時の体験こそ「俺はさて何のために生れて来たか?後生は大丈夫か?」を問う姿勢,つまり内面世界の探求,すなわち『内観』に生涯をかけてゆく,という人生を歩むことになった。

 

【吉本伊信の宿善開発から内観の普及が始まった】

21才のとき,将来の妻の自宅,森川家においてその師,駒谷諦信とその弟子による身調べの指導を受けている。ところが,3日ともたず挫折してしまう。2回目は場所を布施諦観庵に移して指導を受けるが,またもや6日目に挫折した。三度目は意を決して,家人にも内緒で矢田山中の洞窟(マンガン試掘抗跡)にて不眠不休飲まず食わずの単独の身調べを試みるが,身体衰弱で4日目の朝に洞窟から出てきたところを,捜索にきた村人に発見されている。ときは昭和12(1937)年1月5日から8日の出来事である。転迷開悟に至らず,やむなく下山しているが,三度の挫折から約1年弱の時を経て,11月8日に4回目の身調べに挑んでいる。その間に結婚もしていた。ようやく機が熟したのであろう,11月12日午後8時のことであるが,ついに宿善開発を果たした。その瞬間,「この喜びを世界中の人に伝えたい」という強い想いに駆られている。

 

【内観の目的と対象】

内観とは,当時20代の青年・吉本伊信が60歳を過ぎた師・駒谷諦信(~1945)と共に「身調べ」を下敷きにして開発した自己観察法のことである。何のために「身調べ」(自己観察)を行うかと言えば,悟り(宿善開発・転迷開悟・一念に遇う,とも呼ばれる)を拓くためである。何故の悟りかと言えば,「いかなる境遇にあっても感謝報恩の気持ちで幸せに日暮らしができる,そういう心のすみかに転換するためだ」と吉本はその著『内観への招待』のなかで述べている。つまり,内観は元々仏教の世界で行われていた悟りを拓くための「修行法」として出発しているが,その頃は「内観法」と呼ばれ,人々の悩みの解消を目的としていた。個人的な悩みはもとより,人間全体の悩みをも対象にしていると言ってよいだろう。

 

【内観法から内観療法へ】

その「内観法」の効果に注目した一人の心理学者が現れた。信州大学の竹内硬教授である。自ら吉本の内観道場を訪ねて内観を体験したあと,次のような一文を記している。

「ひるがえって私も,昭和三十九年六月末から七月にかけて大和郡山の内観道場で集中内観の実習を体験し,その後多くの教え子を派遣して実習させた結果,効果の偉大さに自信を得た。思えば,約三十年ほど以前,練成道場長であったり,時には岡山児童相談所長もやり,TPT調査の発案者でもあった私は,心理学研究四十年に及ぶのであるが,今日この驚くべき内観法のあることを知り,心から成る賛辞を呈するとともに,この法が多くの人々に活用されんことを念願するものである。」(昭和52年に吉本伊信が自費出版した赤表紙の「内観の道」の本に寄せた『内観とは何か』と題する論文より 原文のまま)

それを機縁に,内観は心理学の分野に広まり,その後,吉本伊信は1968年2月に岡山大学医学部,3月には東京慈恵医科大学,1974年6月に鳥取大学医学部,1978年3月大阪大学医学部など,立て続けに医学の分野から講演に招かれるようになった。以来,心理療法としての内観が発展し,研究されるようになった。1978年には竹元隆洋(精神医学)や三木善彦(臨床心理学)が発起人となって,村瀬孝雄(臨床心理学)を初代会長とする内観学会が設立された。以来,2017年の今日まで第40回を数える大会を開催しており,この間の内観研究の発展には目覚ましいものがある。心の時代の内観は,少なくとも内観学会に見る限り,内観療法一色になった感がある。

 

【心理療法としての内観】

心理療法としての内観をできるだけ簡潔に説明する必要に迫られて,まとめてみたのが,次の一文である。筆者なりに内観療法の定義を試みたというわけである。

「内観療法とは,悩みや問題の解決のために来所した内観者が,自身も内観を体験し,内観に精通した専門家(面接者)の指導に従って,自己観察を行うことである。その際に,面接者は,部屋の隅に屏風を立てるなどして,可能な限りに刺激を遮断した環境を提供したうえで,内観者が一定の時間,集中的に自己の内に沈潜して,過去から現在に至るまでの対人関係の中で,自分がどのようなあり方をしていたかを,『して貰ったこと』『して返したこと』『迷惑をかけたこと』という三つの観点から具体的に観照するように見守り,その結果,内観者がこれまでの人生の過程を発見的に振り返り,それを基に現在の生活を幸せに感じて歩むことを援助すること,である。」(真栄城 2014)

内観では,自由連想法と違って三項目というテーマが設定されている。それを筆者は,「課題連想探索法」と呼んでいる。

 

<参考文献>

真栄城輝明(2014) サイコセラピーとしての内観 秋田巌編 日本の心理療法 pp.3-72竹内硬(1977)  内観とは何か 吉本伊信著  内観の道 内観研修所発行 pp.1-16

吉本伊信(1983) 内観への招待  朱鷺書房