内観の詩

(佐藤章世 作)

 内観者の中には内観後に絵や詩を送ってこられる方がいます。今回は詩が送られてきました。内観を体験された方だけでなく、内観未体験者にも参考になると思い、ご本人の了解を得て、本欄に掲載させてもらいました。もし、感想などあればお寄せ下さい。

 

プロローグ 

「『内観』やってみたいのよね。

でも、一週間かかるでしょ。

時間をつくるのが大変よね……」

 

いつ聴いたのか誰がつぶやいたのか

場所も時間も、つぶやいた人の顔も名前も思い出せない。

でも確かに耳に残る愛音

内観って何だろう?

問いかけは微かな発光体となって

光の射さぬ闇の片隅に

小さくちょこんと座っていた

 

私が本当に困って

解決のために考えられるすべての努力が尽き果てた時

『内観』

という愛音が振動を起こした

 

さっそくパソコンを開く

HPの片隅にある、

内観につながる素っ気ない数字の羅列

ちょっと汗ばんだ人差し指が

ピコピコ ピコピコ

ぎこちなくナンバーをプッシュする

 

「あの……、内観研修をさせていただきたいのですけれど」

「いいですよ。ご希望の日はいつですか」

 

覚悟は決まった

私は内観をするのだ

七日分の着替えとシーツと洗面用具を鞄に詰め、

夏のまぶしい日差しの朝

特急列車で西へと急ぐ

    駅

駅に降り立つ。

古の都の華やぎははるか遠く

中世の城郭の威容と

現代の商店街の少し寂れた風情とが

ほどほどにブレンドされた街に立つ。

七日分の荷物をかかえ

地図を頼りに道を進む。

行き交う人々は次第に消え去り

雑踏は静寂に変わっていく。

時間と空間が

緩み歪む気配がする。

ここは過去と現在が交差する場所だ。

       内観の作法

内観は、屏風の中に座っておこないます。

内観は、朝五時半から夜九時半までぶっ続けで一週間、食事中でもお風呂の中でも休まず行います。

内観は、まず母に対する自分を小学校低学年から順に調べます。

内観は、母に対して自分が「お世話になったこと」「して返したこと」「ご迷惑をおかけしたこと」を調べます。

内観は、自分の中の仏性でするものです。

仏性とは、良心とも呼ばれ、心の奥深い清らかな泉のほとり、ひっそり佇んであなたが来るのを待っています。

調べたことは、面接者に報告します。

面接は、一日に五、六回行います。

面接の時、内観者は面接者への、面接者は内観者への、尊敬と感謝で合掌一礼します。

面接が終わると、再びひたすら内観します。

内観は、つながりのあるすべての人に対して行うことができます。

内観は、「嘘と盗み」についても調べます。

お食事は、三度三度屏風までお運びします。

わからないことは、何でも聞いてください。

それでは、始めてください。

しっかりお願いします。

 

 

 

 

        屏風と母    

「さあ内観するぞ」と

意気込んで屛風の中に座ったものの

座に落ち着くと

意気込みとはウラハラに

体は心の重みをドロンと感じはじめる

遠くはるかに聞こえるのは

踏切と電車の音

階下から漂ってくるのは

おくさんが準備してくださっている夕食の鍋の湯気

隣の部屋から伝わってくるのは

同じく内観する かすかな悲しい女性の気配

『効率』の呪縛を解かれ

チョロチョロと

自分だけの時間が流れはじめる

 

祖父母の家に小さい屛風があった

二曲の屏風に

切り絵でほどこされているのは

秋の草花と飛び交うトンボ

屛風の前で

ちゃんちゃんこを着て小首を傾げているのは

幼い頃の私

この屏風に

秋の風景をほどこしたのは

結婚前の母

やがて生まれくる我が子を

冷たく吹き荒ぶ風から護りたいと

祈りでも込めていたのであろうか

 

あれあれ 妙なことを思い出した

これは内観かな

これが内観かな

これも内観かな