「モラハラ」考

真栄城輝明

(佛教大学特任教授・大和内観研修所所長)

 

【モラハラとは】

モラハラ(モラル・ハラスメントの略語)という言葉は、この国では、2015年1月に三船美佳が夫の高橋ジョージに突き付けた離婚問題報道を契機に世に知られるようになりました。それまでは、他のハラスメント、たとえば、パワー・ハラスメント(パワハラと略)やセクシャル・ハラスメント(セクハラと略)に比べるとほとんど無名のハラスメントでした。対人援助職の間でもその名はあまり知られていなくて、森田ゆり氏(1998)によれば、看護職416名を対象にしたモラハラの調査では″モラル・ハラスメント〟の言葉を聞いたことがある人は163名(43.6% )であり、医療に従事する看護職であっても半数以上が知らないというのが実態でした。

では、モラハラという言葉は、誰によって提唱されたのでしょうか?提唱者は、フランスの精神科医、マリー=フランス・イルゴイエンヌ先生です。マリー先生は、長年の臨床経験からモラハラの加害者は「精神の吸血鬼」であり、その行為は、「精神の殺人者」にも匹敵すると指摘しています。これまでは、物理的になされる肉体的暴力(DV)が注目されてきましたが、外面には見え辛い精神に対する暴力(モラハラ)は日常の闇に隠れて見過ごされてきました。言葉や態度など目に見えない暴力で相手を支配下におき、精神的な苦痛を与え、相手を不安に陥れて支配するケースに接してきた精神科医のマリー先生が「モラル・ハラスメント―人を傷つけずにはいられない」という著書を出版したことによって、専門家はもとより一般の人たちもモラハラ問題の深刻さにようやく気づき始めました。そして、フランスでは、彼女の著書の影響を受けて、フランス議会が積極的に法制化に取り組み二〇〇二年に職場におけるモラル・ハラスメントを禁止する法律が出来たのです。

ちなみに、わが国では、DV防止法が2002年に一部施行、2003年から全面施行されていますが、モラハラについては、法的な記載はなく、フランスのようなレベルには至ってないというのが現状です。

 

【モラハラとDV の関係】

先に述べたように、モラハラは精神的な暴力です。ハラスメント(harassment)を「いやがらせ」と訳する人もいますが、バイオレンス(violence)同様に「暴力」と呼んだ方が実態に即しているように思います。モラハラとDVにおける精神的暴力の違いについて明らかにすべく調査した鈴木由美氏(2007)は、「DVの精神的暴力にモラハラは包含されるので暴力である」と述べています。DVのような外傷等が残る顕在化しやすい肉体的な暴力と違って、モラハラは、言葉や態度等によって行われる精神的な暴力なので、なかなか顕在化しないために、長い間潜在化したままでした。

 

【二次被害】

DVを熟知していない法律家や医療者からみたらモラハラは、緊急性や重大性を感じさせないために、被害者が二次被害などに遭遇することが少なくありません。何といってもモラハラは客観的な証拠に乏しいため援助を受けることが困難であり、その点でDVよりも深刻になっています。被害者自身もほとんどの場合、身をもって受ける痛み、あるいは相手が意図的に行う行為によってしかモラハラを判断しようとしません。身体的暴力を受けてきた人たちは、のちに殆どが精神的暴力のほうが辛らかったと証言しています。目に見えないモラハラは、その始まりを被害者当人が気付かないためにモラハラが進行して、ひどいうつ状態や自律神経失調状態に陥ってしまい、日常生活で苦しんでいる被害者が少なくありません。

 

【回復ワーク】

心理学の講演会ではじめて「モラル・ハラスメント」という言葉を知ったというひとりの女性が、集中内観にやってきました。これまでは自分自身を責めてばかりで生き辛さを感じていました。モラハラの加害者は自己愛の強い人(自己愛性人格障害)が多いと言われています。

一方、被害者は必要以上に罪悪感を抱きやすく、自己肯定感の乏しい人が多く、その女性も「お前は何の役にも立たない、ダメ女だ!」と結婚直後から夫に繰り返し罵られているうちに、「夫が怒るのは、私が悪いからであって、すべて私のせいだ」と思い込んでいました。そして体調を悪くしていましたが、自分の不調の問題は、モラハラの被害によるものだと知り、それから回復したいと思ったらしく、集中内観を体験しました。

ところが、内観で過去のことを思い出そうとするとどうしてもモラハラによって傷ついた心が疼いてなかなか想起するのが困難になってしまいました。何しろ彼女のパワハラの被害歴は四十年という長きに及ぶものでしたから僅か一週間の集中内観で回復するには無理がありました。

そこで、内観の原法ではなく、内観カウンセリングという方法が導入されました。内観カウンセリングとは、集中内観が一週間という期間、内観研修所や病院の内観室に籠って、いわゆる非日常の世界で行うのに対して、日常生活をしながら、たとえば一週間に一度や二度の頻度で通ってきて内観的なカウンセリングを行う方法です。(詳細を知りたい方は拙著・『心理療法としての内観』をご参照ください。)

内観を体験された方ならお分かりだと思いますが、内観には、三項目(①して貰ったこと、②して返したこと、③迷惑をかけたこと)があり、それに沿って自分自身を見つめていくわけですが、モラハラの被害者は、病的な罪悪感に苦しんでいることが特徴なので、内観面接士には、慎重な対応が求められます。その工夫の一つとして生まれたのが内観カウンセリングなのです。

さて、その女性の回復ワーク(詳細なプロセスは、ここには控えます)は、2年という歳月がかかりましたが、内観カウンセリングが奏功して回復の道を歩むことができました。具体的には、自ら自助グループを立ち上げて、仲間と共に回復ワークに取り組んでいます。ついでに言えば、彼女が自助グループを発足する際に参考にしたのが断酒会の運営の仕方でした。断酒例会にオブザーバーで参加を認めてもらい、「言い放し、聞き放し」の良さを体験することができました。自分の話を非難されることなく、しかも共感的に聞いてもらったという体験が彼女には新鮮で感激だったというのです。

 

【モラハラと嗜癖】

嗜癖問題の中で筆頭格と言えば、まず、アルコール依存症でしょう。じつは、そのアルコール依存症の家庭において「モラハラ」はかなりの頻度で発生しています。

かつてこの国には「亭主関白」という住人がいて、「俺より先に寝るな」「飯はうまく作れ」などと威張り、家父長制の下で、暴挙の限りを尽くしていた時代がありました。夫は一家の大黒柱とされ、主人とか亭主と呼ばれ、暴力を振るえば、「叩かれるようなことをする妻が悪い」「どこの家でも一発や二発あるものだ」「女は口が達者だから殴って教えるのだ」という考えが許されていました。夫がアルコール依存症になったのも妻のせいだと言われて、男は手のひらで遊ばせるものなのだと妻たちはたしなめられたものです。調停という公の場においてさえそう言って憚らない夫を許す空気があり、妻たちは沈黙せざるを得ませんでした。これに耐えられない妻たちが離婚しようとすれば、「片親の子どもは非行に走る」「妻さえ我慢すれば丸く収まる」と責められ、子供のために耐え忍ぶ妻が賞賛された風潮がありましたが、「モラハラ」という言葉が生まれたお陰で、世の中の価値観が変わったのです。

今や「関白失脚」の時代を迎え、この時代「関白宣言」にしがみつく夫は、人間関係嗜癖として依存症の一つに位置づけられる時代になりました。適度な依存関係であれば「相互依存」ということで健康な人間関係とみなされますが、人間関係に嗜癖しているために生き辛さを感じるようであれば、「共依存」と診断されて、その人は「共依存症者」と呼ばれることになります。

「相手の要求に敏感で、過度に応じる人」「人に必要とされることを生きがいにする人」「人の世話に忙しくて、自分の世話を忘れてしまう人」などの兆候が見られたら、「共依存」が疑われます。共依存者は、モラハラの被害者になりやすいので、まず、その回復が必要になります。

【参考文献】

鈴木由美(2007):モラル・ハラスメントについての調査 看護職はカップ ル問の精神的な暴力をどのようにとらえるか 桐生短期大学 紀要,第18号.

真栄城輝明(2015):DV被害からの回復の試み ―内観カウンセリングを援用して― 奈良女子大学心理臨床研究,第2号

真栄城輝明(2004):心理療法としての内観 朱鷺書房

マリー=フランス・イルゴイエンヌ 高野優[訳](1999):モラル・ハラスメント人を傷つけずには居られない紀伊國屋書店

森田ゆり(2001):ドメスティック・バイオレンス~愛が暴力に変わる時 小学館